第50話 でも、頑張らなきゃねぇ
「さぁ、あの部屋に行っておいで、アージス」
そう言いながら微笑んでいる女はその女の子供らしき小さな男の子の背中を軽く押して、向いの部屋に行くように勧める。
「どうして、お母さま?」
男の子が愛らしい声で首をかしげて女に聞く。
「あのね、アージス。
あの部屋の中にはね、あなたの未来のお嫁さんがいるのよ」
その愛らしい男の子を愛でるように女は男の子の髪を優しくなでる。
「お嫁さん?
でもお母さま、僕まだ五歳だよ」
「いいのよ、そんなことは!
ほら、あなたのお嫁さんを待たせているわよ?」
女に再度背中をグイグイ押されて、半ば納得のいってない顔で男の子が渋々向いの部屋の入口に向かう。
それを確認すると女はかがんでいた体を立ち上がらせ、斜め後ろにいる男に向かって言う。
「それでは、私はカナリア国の王妃との会談がありますゆえ、後のアージスのこと頼んだわよ、セーランド」
「はい、了解いたしました、妃殿下様」
そう返事をすると男は女が立ち去るまで跪いていた。
そして女が立ち去ると急いで、小さな手で一生懸命ドアノブを回そうとしている男の子のもとに駆け寄る。
「アージス様、ドアは私が開けましょう」
そして代わりにドアノブを回してやる。
「ありがとぅ。
ねぇ、セーランド、僕のお嫁さんってどんな子かなぁ?」
「さー、どのようなお方でしょうかね。
それはアージス様がご自分で確かめて頂いた方がよろしいかと」
そう言いながらドアを開ける。
開けた部屋の中には小さな女の子がちょこんとソファに座っていた。
そしてその女の子は男の子に気づくとポンッとソファから飛んで降り、パタパタと男の子のもとまで走ってきて、屈託のない満面の笑顔で言った。
「わたちのなまえはアンジェリーナ、アンジェってよんでねぇ」
まだまだ拙い言葉づかい、よろよろした歩き方、差し出された小さな手、自分よりも年下の真っ赤な髪の女の子を見て、男の子はどう思ったのだろうか?
それはその男の子だけぞ知ること。
「真っ赤な髪を持つ奴を見つけたら、そいつはカナリア国の王族だ」
そんな噂を昔の人々はだれしも知っていた。
貴族、町民、農民、位かまわずだれしも知っていた。
しかし、カナリア国の王家の血は時代の流れとともに次第に薄まっていき、カナリア国の王族でも滅多に赤い髪を持つ者は現れなくなった。
そうやって滅多に現れなくなってきたので、噂もいつしか誰も知らなくなった。
だからカナリア国はこれ以上、王家の血を薄めないためにも、赤い髪を持った子が生まれると、その子を次の王と決めた。
それが原因で悲劇を生んでしまうとは、その時、誰も知らなかった。
「朝だ、もう朝だ・・・・・・」
目を細めながら窓を見るアンジェは一睡もしていなかった。
あの後、(王宮の)廊下をもうダッシュで走り、すぐさま自分の部屋に入り、ベッドにもぐり込んだ。
仕事を放棄していることも忘れて・・・・・・。
それから食事の時間だとメイドに呼ばれても部屋を出ることもなく、アージス自ら心配でアンジェの部屋に来ても、何となく会うのが気まずくて、扉を開けなかった。
正直言って、今日は働ける気分ではない。
「でも、頑張らなきゃねぇ」
そう思い、そろそろとベッドから出て、制服に手を伸ばすアンジェ。
そんなアンジェの一日が今日も変わらずにやって来た。