第99話 誰か来たみたい
鼻の上のそばかすが可愛いらしいその少女は、ゆるく解けかけていたエプロンの紐を後ろで結びなおしながら、なおも話し続けた。
「そして、その授業中でお目にかかったアンジェリーナ様のお姿に心奪われまして、もう2年前の話ですけどその歴史の教科書は大事に保存してるんですよ? だって中々他にお写真残ってないですから、てかいっそ、アンジェリーナ様のとこだけ引き伸ばして寝室の天井にでも張っておきt……ごほん、ごほん」
モグ モグ
「まぁ、そんなことはおいといて。ここまで来るまで、さぞ大変だったんじゃないですか? 国もヒドい仕打ちをするもんですよ、全く……あっ、この愚痴はここだけの話ってことで。今、この国で以前の王家をちょっとでも褒めたり、今の王政を批判するようなこと言ってるとこ見つかると捕まっちゃうんですよー。だから皆、おちおちと国のこと話せなくて……」
モグ モグ
「あぁ、でもホントにヒドいなー。裸足のまま歩かせるから、おみ足がすり傷だらけになっちゃってるし、ドレスなんかビッリビリじゃないですか。足かせもつけたままだし、というかなによりも髪っ! あぁぁぁぁ、今すぐ洗ってさしあげたい!! 土ぼこりやらなんやらで燻っている紅を綺麗にしたい!今すぐしたい!!てか、触りたい!! ……触っても、いいですか? 」
モグ モグ
ごきゅん
先に差し出されていたごはん―――パンと野菜の入ったスープ―――をガツガツと食べながら少女の話を聞いていたアンジェは、粗方食べ終えたところで、何故か興奮ぎみで髪を触ろうと迫る少女をさっきまでパンをちぎっていた利き手で少し制し、口を開いた。
「別に触ってもいいけど……ところで君は何者?」
「何者」という表現はあまり良くないかもしれない。が、敵同然となってしまっているカナリア国内でこれぐらいの防衛態勢は許されるだろう。
あと少しでアンジェの髪に触れそうだった、制された手をしぶしぶ引っ込めながら少女は「あぁ、自己紹介まだでしたね」と応じた。どうやら、アンジェの態度は別に気にしてないようだ。
制服の襟を正し、エプロンの裾を払う。一歩後退してから彼女は、ニッコリ笑顔を向けて自己紹介した。
「改めて……はじめまして、アンジェリーナ様。私はカナリア国内の学校に通うただの学生、ジナと申す者です。おそらく、アンジェリーナ様のお歳と変わらないと思います。そして今日から、このカナリア国の城内でアンジェリーナ様の身の周りのお世話をすることになりました、メイドです」
ジナと名乗った少女は、そこまで一気に言ってしまうと、最後にエプロンの裾を持ったまま深くお辞儀をした。
「私のお世話役かぁ……よろしくね、ジナ!」
ジナを制した手で、今度は握手を求めた。
しかしジナは差し出されたアンジェの手を握り返すことはなく、「こちらこそ、アンジェリーナ様、どうぞよろしくお願いします」と一歩距離をとったままニコニコと笑って突っ立っている。
前言撤回。
どうやら先ほどのアンジェの態度を気にしてはいない、ということはないらしい。牽制前後で態度が違いすぎる。
「あー」
どうやって元に戻ってもらおうか。というか、さっきまでの気さくな感じに接してくれるジナの態度は、堅苦しく思っていたカナリア入国後の雰囲気が一変し、むしろアンジェには有難かったのだ。
「あのね、ジナ」
アンジェはどうにか気を楽にしてもらおうと、言葉を選びながら話し始めた。
「別に私、怒ってないよ?」
が、あまり言葉が思いつかない。「う~ん」と目を瞑り、腕を組みながらアンジェは結局、頭に浮かんでくるまとまりの無い、けど伝えたいことを話す。
「だから、さっきみたくいっぱい喋って。髪は別に触ってもいいよ……あ、後、『アンジェリーナ様』はやめて欲しいなぁ。呼ばれなれてないしアンジェでいいよ。それに敬語もやめて! 私は……姫とメイドとか、そんな関係じゃなくて……私は……そう!ジナと友達になりたい!」
そう、これだ。これが言いたかったんだ。
言うだけ言って一人満足したアンジェ。そんなお姫様を前に、対照的に目をパチクリと呆気に取られているジナ。ジナがアンジェの言葉を理解して笑い出すのに、数秒を要した。
「……………………っふは!あははははっ! う、うん、よろしくね、アンジェリー……じゃなかった、アンジェ!」
目じりに涙を溜めながらジナは盛大に笑い、つられてアンジェも吹き出して、次こそ二人は仲良く互いの手を握り合った。
「で、アンジェ! 髪、触ってもいいってホント!?」
「えっ、あ、うん。いいけど……」
(なんでそんなに必死なんだろう?)
ジナの異常なほどまでの髪への熱意に、アンジェがそろそろ正直引きかけた時、
ガチャガチャ
誰かが牢屋の戸口にいることに気づいた。鍵を開ける音が無機質な部屋に響く。
「誰か来たみたい」
先ほどまでジナとわいわい騒いでいたため、全く足音に気づけなかった。
アンジェが戸口をじーと見ていると、視界の端で対面にいるジナが顔を青くしているのに気づいた。さっきの上機嫌と打って変わって、口元がワナワナと震えている。そしてやはり、話す言葉も震えていた。
「あー、うっかり忘れてたよ、アンジェ。今から――――――――王様に謁見する予定だった」