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巖頭より  作者: 笹山 直
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 翌朝佐倉は、座卓から顔を起こして、自分の肩に毛布がかけられていることに気がついた。

 一階に降りると藤村家の朝食はもう終わっていたらしかった。一人だけ遅めの朝食をとると、佐倉は早苗に言って民宿を出た。歩きたいと思った。

「観光にでも行くんですか?」

 振り返ると花が早足で追いかけてきていた。

「ああ、ちょっと、気分転換に」

「じゃあ私が案内しますよ」

「え?いやいいよ」

「私も暇なんですから案内させてください」

 花はそう言うと佐倉の横に立って歩き出した。

 いったい何を思ってこの女はついてくるのだろう。佐倉は内心快く思わなかった。


 とりあえず名所を巡ってみたい、と佐倉が言うと、花はいよいよ先立って歩き出した。

 バスターミナルで、日光駅行のバスに乗り込むと、佐倉の隣に座る花はとにかく喋り続けた。大学はどこなの?部活とかやってるの?

「君の話が聞きたいな」

 質問の多さに耐えかねた佐倉がそういうと、花はまた楽しそうに自分のことを話し始めた。学校のこと、友達のこと、家族のこと。佐倉はほとんど話半分に聞いていた。

 高くなった日の光がバスの中に差し込んでいた。つい昨日同じ観光バスに乗ったときとは違い、佐倉の中には自身でもよく知らない不鮮明な気持ちが去来していた。一度旅に出てしまったことによって、なにか支えていたものが外れたように、心がぐらついていた。しかしぐらついている原因も、方向も、佐倉にはまだ分からなかった。

 花は、佐倉の横顔を見ながらまだ話している。


 日光駅でバスを降りると、花は飲み物を買ってくると言って、駅構内へ小走りに入っていった。佐倉はそれを目で追ったついでに、一台のバスがバスターミナルに滑り込んできたのを捉えた。目の前に留まったそのバスに、彼は迷うことなく乗り込んだ。花に悪い気がしないこともなかったが、それよりも自身の鬱屈した気持ちのまま、人に迷惑でもかけてみたい気もしていた。

 バスは急ぎ足に発車した。

 最後列の席に座った佐倉が、後方の車窓から駅を振り返ると、ちょうど花がまた小走りに出てくるところだった。彼女は佐倉の姿を探して首を振っていたが、バスがもう建物の陰に隠れようとした瞬間、車内の佐倉と目が合った。彼女が口を開いた時には、バスはすでに視界から消えていた。

 佐倉はスマートフォンのメッセンジャーを開いて、花へ断りのメッセージを打ち込んだ後、窓枠に腕をついて車外の景色に目を向けた。

 こんなに厭世的な気持ちがつきまとうようになったのは、ここ最近のことだ。地元を離れて寮暮らしをしてみると、嫌でも現実と向き合うようにもなる。寧ろ寮ならまだましな方で、学生気分を引きずった――大学生でありながらこの言い方は多少おかしいが――学生が周りにいるおかげで、社会から目を逸らす暇があった。もしもアパートで一人暮らしでもしていれば、もっと早くに今のように隈をたたえた目になっていただろう。


 佐倉は華厳の滝間近の停留所で降りると、低い雲が厚くかかった空を仰ぎ見た。滝。別にパワースポットだとかマイナスイオンだとかに興味はないけれど、見るだけでも気はまぎれるかもしれない。佐倉は両手をコートのポケットに突っ込んで歩いた。

 華厳の滝には隣にエレベータが設置されていた。ここから滝に沿って降りて行くことで、滝を正面から見ることのできる観瀑台に移動できるらしかった。てっきり滝の隣や、滝壺の縁に立って間近から見られるものだと思っていた佐倉は、観瀑台まで降りる気にもなれなかった。

 エレベータの脇には柵が建てられていて、その先に小路が続いていた。この道を進めば滝の間近まで行けるかもしれない。佐倉は高くはない柵を乗り越えて小路を進んだ。


 水音が低く周りに響いている。小路を歩く佐倉の右手には雑草の繁茂する崖がそびえ、また左手には泥土を含んだ雪が高く積まれており、この先に控える大滝が滝壺を叩く音が辺りに反射していた。

 佐倉は滝よりもまず、その人を見ることとなった。

 滝口から少し下った足場、開けた展望が臨めるその場所に、真黒な人が、木柵に寄りかかって、こちらに背を向けて立っていた。はじめ逆光のために黒く見えるのだと佐倉は思っていたが、近づくにつれて、その人が本当に真黒な衣装に身を包んでいるのだと分かった。細い体躯と丈の長い外套から女性だと思われた。

 先客がいたのなら帰ろうか。佐倉は踵を返そうと思いつつも、その人から目を離すことが出来なかった。視界の中で唯一動いていないものはその人影だけであり、まるで等身大の切り絵をその場所に貼りつけたようであった。見えない顔がどんな表情をしているのかが気がかりで、佐倉は珍しく他人の身の上を考える。あの人は何があってここにいるのだろう。あの柵を乗り越えてまでわざわざここまで来たのには、僕のように故あってのことなのだろうか。だが考えるほど、佐倉の考えは自身の内側にばかり収束した。

 スマートフォンのメッセンジャーの着信音で佐倉は我に返った。花からの連絡らしかったが、佐倉は気に留めずその女性の後姿を凝視した。着信音に気づいた女性は振り返る。黒いウェーブがかった髪を額の真中で分けたその顔は、真黒い全身の中で白く映えている。女性は佐倉の姿を認めると、目を細めて口角を上げた。長髪が下からの風にあおられてふわりと広がる。

 笑ったのか?

 佐倉は遅ればせながらそう思い至る。女性がゆっくりと口を開いた。

「君も――――」

 囁くような小声と瀑音のために聞き取れず、佐倉は戸惑い、聞き返すように首をかしげるが、女性は首を振ってまた微笑を浮かべただけであった。

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