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浅い眠りの海をたゆたいながら、鈴の音を聞いていた。

何故そんなものが聞こえるのか疑問に思うこともなく、漠然と、ただ鈴が鳴っているからこれでいいのだと思っていた。

茫洋とした意識の中で理由のわからない安心感に抱かれ、そのまま深く眠る。それからまっさらになってまた目覚めるのだ。誰かに教えられたわけではないけれど、知っていた。世界はそういうものなのだと。

それなのに、眠りは不意に妨げられた。

鈴の音が聞こえなくなる。放り出された、と思った時には、視界いっぱいに灰色の空が広がっていた。

曇天、と瞬間に判断してから困惑する。雲はない。ただ空が暗く、そのくせ視界はそこそこ明るい。湿った、陰気な気配で満ちていた。なんとなく雨の前を思い出す。

不思議と不安はなかった。ただ戸惑った。決められた流れから弾き出されて、この後どうしたらよいのだろうか。

ふいに視界が遮られる。格子。籠。それに近いもの。ぐるりと仰ぎ見るが、持ち主は見えない。ゆらりと視界が高くなり、移動が始まる。

荒野だ。ごつごつとした地面の薄茶、枯れ木の灰茶。遠くさらさらと流水の音が聞こえるが、視認できる範囲にそれらしきものはない。

やがて移動が止まる。眼前には扉があった。建物の全容は近すぎてわからない。ただ、立派な、扉だと、思った。

一瞬何かを思い出しそうになる。扉が開く。これを見たことがある気がする。開ききるのを待たず中に入る。いや、違う。この扉ではない。背後で扉が閉まる音がする。そうだ、あの時は。

入るのではなく、出ていったのだ。

「ようこそ、闇の底へ」

籠の持ち主が言った。見える。少年だった。それ以上はわからない。目に見えた情報を、理解することができない。

「おい」

少年が声を張り上げた。もう一度。

しばらくして、きぃ、と扉の開く音がする。扉があるのだと認識して、初めてそれが見えるようになった。入ってきたのとはちょうど逆、部屋の奥にも扉がある。そこから男性が顔を覗かせた。

「やあ、おかえり。異常がありましたか」

穏やかな顔の男性だったが、口調はひどく億劫そうだった。表情と言葉に齟齬がある。気持ちが悪い。

「おや」

男性はこちらに目を留め、しばし首を傾げた。その後ちらりと少年を見やる。無言のまま、説明を求めているようだった。

「河原で見つけた。…同じだろう、俺と」

「ふむ」

ようやくこちらに歩みよってきた男性は少年から籠を取り上げると、しげしげと眺め回した。

「その判断は間違っていませんが、まあ、どうですかね。使い物になるかどうか」

「……」

「もう結構崩れている」

「…なんとかできないのか」

「何もできない者は黙っていなさい」

籠から解放され、男性の掌に乗せられる。そのまま部屋の片隅に連れていかれた。…姿見の前だ。

「あなたは、自分が何者かわかりますか」

問いかけられている。そう認識はできたが、返答の手段を持たない。

「あなたは、話すことができるはずですよ」

話す?

「あなたは、忘れているだけです」

そうだったかもしれない。話をしていたかもしれない。

そう思うと、滝の落ちるように蘇る感覚があった。確かに話していた。楽しかったこともあった。悲しかったこともあったし、苛立たしかったことも、あった。

『私は、話すことができる』

それは、きちんと音となって、男性に伝わったようだった。

「そうです。あなたは、話すことができる。ならば」

鏡の前に差し出される。

「あなたは、こんな形ではなかった」

鏡には炎の塊が映っていた。

「あなたは、こんな形ではなかった」

男性がもう一度呟く。

そうだ。私は、こんな形ではなかった。

私は過去、男性や少年と同じような形をしていた。

ゆらりと鏡像の炎が揺らめく。左右に1本ずつ、そして下に2本すらりと伸びていく。手足だ。頭も出来上がる。形だけは彼らに近付いたが、炎の消えた表面はぬっぺりとして、まだ過去の私ではなかった。

「よろしい。しかしあなたは…」

男性がまだ何か言いかけたが、もうその必要はない。

私は過去、男性や少年と同じような形をしていたが、違うところも多かった。彼らよりも華奢で、全体的に丸みを帯びていた。髪は彼らより長く、身長は彼らより低かった。

つまり、私は女性だった。可愛いと評判の、お気に入りの制服を着て、毎日高校に通っていた。通学路。切りすぎた前髪。端が擦りきれたスクールバッグ。寄り道をした公園の噴水。記憶の欠片が集まってくる。

「驚いた。自力で戻してくるとは」

目を見張る男性を尻目に、私は完成に近付く。過去の私を、今に連れてくることに成功する。

集まった記憶はぶつ切りだ。これだけ思い出しても、まだわからないことがいくつもあった。例えばーー名前とか。


「ようこそ、闇の底へ」

誰でもないあなたが、光の行く末に辿りつけますように。

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