第四章:過去の呪縛から 2/9
血の杭の鬼に攫われた宰を救うため、五太老の力を借りる源次郎。優雅なる烈女・永島眞千代や、五太老の筆頭・旭淳之介らとともに、今回の事件の真相を探っていくが……。
「此度の事件は、血の杭の鬼が宰を得るべく起こしたものだと考えられる。鬼は、思考を持つことのできる唯一の怨霊だ。堕ちモノが凶暴化するのを見越して、陽動である桜の異変を起こす。そして俺たちを撹乱し、本来の目的である宰から注意を逸らす。女ばかり狙ったのも、陽動の一環だ。本体まがいの原型に寮生を預けたのも、そこにあると一応考えることはできる」
一理ありますな、と眞千代が返した。
「だが、そうなると矛盾が生じてしまう。『女を襲うこと』と『俺たちを撹乱する』こと、『宰を手に入れること』。陽動には、この三つを桜の咲いている間に完遂しなければならぬという条件が出てくるのだ。堕ちモノが凶暴化しているその間にな。……だが、桜は昨日で終わった。寮生が攫われ、鬼が動き始めたのは、桜なき今日。陽動を起こす意味はなくなってしまった」
『ほう。簡単に聞いただけではありますが、ならば、陽動などなかったのでは?』
「そうだ、なかったのだ。それどころか、魔物の凶暴化は、血の杭の鬼にも予想外の事態だった。女を攫わせるはずが、襲わせることになってしまった。魔物を操れなくなったのだ。だからこそ、今日なのだろう。再び魔物を操れるようになり、今日からようやく動き出せたのだ」
歩きながら聞いていた宰の話を簡単にではあるが説明していく。すると、当の源次郎も抱いたような驚きが彼らの中にも現れる。旭もまた、今の話には納得できるものがあったようだ。
『堕ちモノの不可解な動き方も、深く考えねばそうなるのかもしれん。いや、そもそも深く考える必要などなかったのか。考えすぎたために、俺たちは混沌の坩堝に自らを投じることとなったのだ。そうなると、この事件……単純に考えることこそが、答えとなるのか』
「ああ。俺はそうだと思っている」
『なんとも、まあ……。これは完成されたもの。既に二つに分けられた説ではありませぬか』
眞千代も今の話には納得がいった様子で、わりかし機嫌がよさそうに微笑した。
『二つを一つとして事態を捉えていたわたくしたちには、すぐに思いつきもしなかったことでしょう。実に見事です。――して、源次郎。短時間でそのような良説を導き出した者、一体どなたでありましょうか? 源次郎に語らせたほどの慧眼の持ち主、少々興味を持ちましたぞ』
「ああ。俺んとこの篠原宰だ。今日、俺たちのことを話してやってな」
そう言うと、少し予想していたことではあったが、眞千代の雰囲気が急激に冷たくなった。
『……なんだ。男でしたか。汚らわしきことを口にしてしまいましたな』
「そう言わんでくれ、眞千代。宰はなかなかおもしろいヤツなのだ。これから伸びてくるぞ」
『百も生きぬ男の分際で、源次郎にそのような幻想を抱かせるとは……。小賢しき小僧めが』
「とにかく、血の杭の鬼についてはこの程度で構わんだろう。一瞬だが明確に感じ取れた気配からして、大した危険は持たないヤツだ。頭も悪いしな。が、魔物のほうはそうもいかんぞ」
そして源次郎は、一番の問題である異界の魔物の話へとようやく戻す。
「寮生を奪還した戦いの後、原型の体内から鬼の血に塗れた木の杭が出てきた。俺が始めに感じた気配の正体はこれだったのだが、今はそれ自体の意味は問わん。問題なのは、魔物の体内にあったことで、血の杭の鬼の気配が歪められ、この俺に勘違いをもたらしたということだ」
『源次郎……。それは大事でありますぞ』
眞千代がピクリと反応した。
『ぬし様は【全国】で唯一、個々別々に鬼の気配を見抜くことのできる有名の者です。違えたことなどありませぬ。『先の戦争』では特にそのお力を発揮なされましたゆえ、此度の事件にて鬼の気配に惑わされたともなれば、事の重さは二百年前にも勝るものがありますぞ』
「ああ、だろうな。実は俺もそう思っている」
宰はまだその重大さを理解できていない様子だったが、源次郎の鬼を感じ取る力は、それだけ大きな意味を孕んでいる。何せ、大頭十六人分の「総意」なのだ。源次郎が血の杭の鬼に惑わされたともなれば、それは【全国】の大頭が全員惑わされたということに他ならなくなる。
――桜瀧村で起きた今回の異変が、戦争並みの大事件となってしまうのである。
だが源次郎は、そこまでの重大性が今回の事件にあるようには思えなかった。宰の話もそうだが、己の中の蝕みが大方取り除かれたために感じることだ。この事件には、つじつまの合わないところがある。そして、そんな矛盾を生み出すほどの存在が、例の魔物だということだ。
(とはいえ、アレが反応しないのも気にかかる。これほどの魔物なら、何もないはずがないというのに……。ああ、クソッ。宰の鼻を根拠に『大した事件じゃない』と言えるはずもない。まだ何も話していないのだ。なら、円城寺の名を出すか? だが、今はまだその時では……)
この事件には戦争並みの重大性などない。そう納得させるためには、どうすればいいのか。
(…………?)
源次郎はふと、隣に潜む池田を盗み見た。霊術を使う池田は目を閉ざして、無言で固く佇んでいる。長年をともに過ごしてきた男の態度にあるものを感じ、源次郎は一時思考を止める。
(なにを耐えている、池田?)
そういえば池田は、魔物の正体がわかったと言っていた気がする。だが今の彼は、あえてそれを言わないように耐えている様子である。もしそうならば、なぜ彼は言おうとしないのか。
(わからん……。おまえが口を閉ざすのは、そうせねばならぬほどの理由があるからなのか?)
口を割らせる隙はなさそうだ。ならばもう、早く真相に辿り着けるよう考えねばならない。
宰が鬼に奪われたのだ。まだそれほど時間は経っていないが、それでも時間は過ぎていた。
「有象無象の騒ぎなどどうでもいい。今はそれよりも、事件の真相を早く解き明かすことだ」
源次郎は端的に言い放って、話を推し進めようとする。――と、その前に旭が口を開く。
『三和の霊域の可能性はないか。……鬼に惑わされた背景には』
「ああ、それもあったな。俺もはじめはそう考えた。だが、三和の霊域に隠れていた血の杭の鬼を、そこにいる状態で俺が気づいてしまったのには違和感がある。それに、もう一つ。気配をかき乱していたのは、異界の魔物の仕業だ。先程の黒い渦を見た時、そう感じ取れたのだ」
『黒い渦……〈風〉で感じたものか。確かに禍々しい気配がした』
五太老に情報を流していたのは、やはり旭だったようだ。その旭がいったん口を閉ざす。
『……この件、霊域との関わりはないと見るべきか』
「鬼自体が謎だらけだ。眞千代の話したように、霊力を引きずり出すような真似もするだろう」
『血の杭の鬼と、大都会の怨念……その繋がりは?』
「そいつは考えてなかったな。血の杭の鬼は今まで東京にいた。それもまた確実に言えることだ。とすると、血の杭の鬼は、大都会の怨念から魔物を生み出した……いや、無理だろうな」
『〈向こう〉からの連絡がないからか?』
「ああ、それに尽きるな。東京には監視が置かれている。なにより、眷属どもが騒いでおらん」
『源次郎。眷属さえ気づかせぬほどのものだったとは、考えられませぬか?』
今のは眞千代の問いかけである。疑わしげな彼女の声に、源次郎はすぐさま言葉を返す。
「大都会の怨念の存在に、いち早く気づいたのは連中だ。それはなかろう」
『そうですか。……全く、どうしたものですかのぅ。同属の反応がないために、異界の魔物とは言い切れず、百鬼図録にもそれらしき魔物が見当たりません。さりとて、大都会の怨念から生まれし堕ちモノと言うにも現実味がなく、それ以上に脆弱なる屑とは同類にもできません』
ここまで「わからない」ということがあるだろうか。これまでの事例が全て通用しないとなると、源次郎たちは再び「大都会の怨念」という未知なる脅威を疑うことになる。だが、己自身で言ったように、東京には監視がつけられている。そこから連絡が来ていない。監視している連中が連中なので、源次郎も時々蔑ろにしがちだが、それは私情である。上に問題があるのであって、下の連中にあるわけではない。となれば、本当に何も異常はないのかもしれない。
そして、眞千代の言うように現実味がなかった。今回の魔物が大都会の怨念から発生したとなれば、自分たちの築いた二百年の安寧が、これによりひっくり返ることになるからである。
――人とヒトならざるモノ。その戦争が、大都会の怨念により再び勃発することになる。
大都会の怨念の台頭には「先の戦争」が関わっているとされている。それゆえ、大都会の怨念から異界の魔物が発生したという事態になれば、例の「呪い」はまだ続いているということになる。源次郎や五太老が最も懸念していたのは、まさにそれである。今回は幸い、そういうことはなさそうだが、「血の杭の鬼」と「東京」の繋がり、果たしてこれは偶然なのだろうか。
(クソッ! 妙な背後関係まで絡んできやがったっ。ますます状況が混乱していくっ。今はこんなことを考えている場合じゃねえってのにっ。宰の命が危ないっていう、こんな時にっ!)
早く宰の元へ駆けつけたかった。その衝動に、源次郎は今にも突き動かされそうになった。
……だが源次郎には、どうしてもストップがかかってしまった。
四国一帯の鬼人と眷属を統括する【刀条家当主】としての立場。西国勢威第二位【伊予島南西大頭】としての立場。【全国】の中で二、三番という大変な高位を授かっている源次郎は、その重みに常に行動を制限される。源次郎は、多くの命を預かる身だ。立場的に不安定な鬼人一人のために、勝手に動くことは許されなかった。己の持つ責任はそれだけ重大なものだった。
そんなことをさも当然のように考えなければならない、己の立場が悔しくてならなかった。
(宰……ッ)
こんな時、円城寺ならどうするだろうか。いや、それ以前に円城寺なら一人で行動を起こすに違いない。おまえなんか頼らん。そんな一言さえ吐き捨てることなく、円城寺は勝手に去っていくのだ。あれは、そういう冷たさを持つ鬼人だった。それが、本来の円城寺の姿だった。
そんな円城寺が、己の命を賭してまで守り、源次郎へと託したもの――篠原宰。
苦しく、悲惨な目に遭った。それでも立ち上がった宰の姿に、源次郎は五百年の闇を照らす希望を見出した。ゆえにこそ源次郎は、宰の未来を心の底から守ってやりたいと思ったのだ。
(宰! どうか生きててくれっ。必ずおまえを助けるっ。必ずおまえの未来を守ってやるっ。だから、俺が行くまで生き延びててくれっ。おまえまで、円城寺のように死なないでくれ!)
円城寺は、最も過酷な時をともに過ごした鬼人である。そんな存在を、あまりにも惨い形で失った。ゆえに、宰は「新たなる希望」となる。源次郎の「生きる理由」となった男なのだ。
『――なにゆえ、そこまで考える必要があるのじゃ』
その時である。木の洞から響くような、しわがれた野太い声が聞こえてきたのは。
源次郎はハッと我に返った。
今まで沈黙していた男、五色雷左衛門がついに声を発したのだ。
まだ22:00内だ……! すみません、遅れました(´・ω・`)
次の投稿は、1/16(金)の22:00過ぎになります。
源次郎視点は、次回で終わりです。
それと、キャラ紹介のページ(イメージイラスト付き)を公開しました。まだ一部修正ができていないところがありますが、それでも「イイヨ!」という方は、お暇なときにチラ~リと覗いてみてください。URLは、最新の活動報告(一番下)に書いてあります。
それでは!