氷の包囲
霜の歌い手の歌が再び始まった。
今度は全力だった。
結界も警告もなく、廃村を取り囲むように氷が這い寄ってきた。地面が凍る。広場の石畳の隙間から白い霜が噴き出し、家の壁を氷が覆っていく。さっき咲いた花壇の花が、一瞬で白い氷の彫刻に変わった。
空気そのものが凍りつく。吐く息が白いのではない。息が凍って細かな氷の粒子になり、顔の前でちらちらと光る。気温が尋常ではない速度で下がっている。
「ばあさん!」
カレが叫んだ。ロヴィアタルは結界の前に立っていた。杖を両手で握りしめ、全身で歌っている。薬草のルーノとは違う、もっと深い、もっと古い歌。老魔女の全力だった。
だが結界は保たなかった。
氷が結界を覆い尽くし、光が遮られる。結界の壁が白く曇り、そしてひび割れた。亀裂から冷気が噴き出し、ロヴィアタルの体を打った。老魔女がよろめく。
「まだ……持つ……」
嘘だとわかった。ロヴィアタルの唇から血の筋が流れていた。歌の力を限界を超えて引き出している。体が耐えられる限度を超えているのだ。あの日——歌術師団との戦いで古い歌を使った時と同じだ。だが今回はそれ以上だ。
このまま歌い続けたら死ぬ。
カレはそれを確信した。
住人たちが家の中で震えていた。セッポが囲炉裏に残った薪を全て投じたが、炎は霜の歌い手の旋律に侵食されて弱々しく揺れるばかりだ。マルヤがヴェイッコと他の子供たちを毛布で包み、自分の体温で温めている。
「寒い、寒い……カレ兄ちゃん……」
ヴェイッコの声が、薄い壁を通して聞こえた。小さな声だった。泣く力も残っていない。
カレの拳が震えた。怒りではない。決意だ。
「ばあさん、もういい」
「何を——」
「ここからは俺たちがやる」
ロヴィアタルが目を見開いた。カレの顔を見つめ、そしてアイノを見た。アイノは既にカンテレを構えていた。手は震えている。だが目は据わっている。
「あんた、さっきの花壇みたいにできる?」
アイノの問いに、カレは一瞬だけ考えた。
花壇は小さかった。枯れた花を咲かせるだけだった。だが今度は——廃村全体を覆う氷を、霜の歌い手の全力の攻撃を、共鳴で跳ね返さなければならない。訓練はたった一回。成功したのはたった一回。
できるかどうかなんてわからない。
「やるしかない」
カレが答えた。
ロヴィアタルが結界を薄めた。全力を維持する代わりに、最低限の防護だけを残す。老魔女が地面に座り込み、杖を抱えて息を荒げた。もう立てない。
「行きなさい」
ロヴィアタルの声が掠れていた。だが——笑っていた。あの、からからとした笑い声の残り火が、唇の端に灯っている。
「お前たちの歌を、聴かせておくれ」
カレとアイノが結界の前に並んだ。
目の前には、氷に覆われた世界が広がっている。かつて緑だった森が白い氷の墓標に変わり、大地が霜に閉ざされている。その中心に、霜の歌い手が立っている。白い外套が風になびき、古い歌が響き続けている。
カレが深呼吸した。冷たい空気が肺を刺す。
アイノのほうを見た。アイノもカレを見ていた。紫がかった青い瞳。北の夜空の色。
「行くぞ」
「言わなくてもわかってる」
カレが声を発し、アイノのカンテレが鳴った。
二つの歌が立ち上がる。一つは言葉。一つは音。
花壇で成功した共鳴を、今度は戦場で——廃村の命運がかかった一瞬に。




