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第9話:消滅と解放

 アンカーが放った白い閃光は、地下の石室全体を一瞬で飲み込んだ。それは、単なる光ではなく、時間そのものの逆流を視覚化したような現象だった。

 ヒロトの身体は、強烈なエネルギーの渦に晒され、意識は霧散寸前だった。最も恐ろしいのは、物理的な苦痛ではなく、存在そのものの消滅だった。

 脳裏から、アヤメとの全ての記憶が、砂が指の間からこぼれるように、止めどなく流れ去っていく。

 カフェでの再会、非線形時空理論の解説、廃墟での愛の誓い、そして、アンカーの前で交わした最初で最後のキス――

 全てが、ヒロトにとって**「過去」という事実**を失い、単なる夢や妄想へと変わっていく。


「だめだ……忘れるな……!」


 ヒロトは、失われていくアヤメの姿を、必死に脳裏に焼き付けようともがいた。しかし、アムネシアが作り出した1000年のループの痕跡は、その根源が断たれたことで、瞬く間に歴史から拭い去られていった。


 工作員たちは、時空安定器を握りしめたまま、時間エネルギーの解放によって動きを停止していた。リーダーのカシワギだけは、その場に立ち尽くし、アンカーを見つめていた。


「アムネシアのコードが消去されていく……」カシワギが呟いた。


 彼の視線は、アンカーを中心に、時間のロープがねじれ、そしてまっすぐな状態に修復されていくのを捉えていた。白い閃光は、ロープに刻まれていた血のような色の「傷」(偽りの因縁)を焼き払い、消滅させていく。

 カシワギの顔には、敗北の色と同時に、理論的な驚愕が浮かんでいた。彼が信じていた「時間保存則」は、彼らが「不安定」と見なした自由意志の愛によって、より深いレベルで「修復」されようとしていた。


「彼らは、時間を破壊するのではなく……本来の安定を取り戻した……」


 カシワギは悟った。彼らが守ろうとしていた安定とは、アムネシアが作り出した歪んだ安定であり、ヒロトたちの行動こそが、真の時空の修復作業だったのだ。


 アンカーの光が最大に達した瞬間、ヒロトは最後の記憶を失った。

 アヤメの名前。彼女の顔。彼女と交わした言葉。そして、この場所に来た理由――。

 全てがヒロトの意識から消え去った。残ったのは、強烈な光と、胸の奥に残る、形容しがたい熱い感情だけだった。

 その熱い感情こそが、アムネシアのプログラミングでも、偽りの因縁でもなく、彼自身の意志でアヤメを愛し、共に自由を選んだという、**「自由意志の記録」**だった。

 光が収束する。アンカーの円盤は、黒く、ただの石のような物体に変わり果てていた。アムネシアのエネルギーは、全て時間ロープの修復に使われたのだ。

 ヒロトは意識を失い、冷たい石室の床に倒れ込んだ。

 しばらくして、ヒロトが意識を取り戻した。

 視界に入ったのは、見慣れない、薄暗い地下室の天井だった。身体の痛みはない。頭はスッキリとしており、デジャヴュの感覚も、激しい動悸もない。


「……ここは、どこだ?」


 彼は起き上がり、周囲を見渡した。隣には、倒れ伏している工作員たちと、微動だにしないカシワギの姿。そして、黒い石と化したアンカー。

 ヒロトは、なぜ自分がここにいるのか、全く分からなかった。

 なぜ、この石室に来たのだろう?

 目の前の男たちは、何者で、なぜ倒れている?

 彼の脳裏に、この場所に関する情報は何一つなかった。アムネシアのコードも、ループも、アヤメのことも、まるで存在しなかったかのように消え去っていた。

 しかし、立ち上がった彼の胸の奥には、説明のつかない、強烈な達成感と、**「何か、非常に大切なことを成し遂げた」**という確かな感覚だけが残されていた。

 ヒロトは倒れているカシワギのそばに歩み寄り、彼が手から落とした解析端末を拾い上げた。端末の画面には、以下のメッセージが表示されていた。


CODE: AMNESIA.EXE - DELETED

PROTOCOL: NON-LINEAR TIMELINE RESTORATION - COMPLETE


 彼はそのメッセージを見ても、それが何を意味するのか理解できなかった。ただ、**「これで、何もかも終わった」**という、漠然とした解放感を覚えた。

 ヒロトは地下室を後にし、薄暗い階段を昇り始めた。彼の背後で、カシワギはゆっくりと目を開けた。彼の目には、ヒロトと同じく記憶の痕跡はなかったが、彼は黒いアンカーを見つめ、静かに呟いた。


「……これで、良かったのだな」


 時空保存会のリーダーもまた、ループの終焉と引き換えに、全ての記憶を失っていた。ヒロトは、記憶のない、新しい世界へと向かって歩き出した。

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