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第3話:未来が作る因縁

 アヤメは、アムネシアのコードが保存されていたヒロトのPCを、古い研究施設で調達した解析装置に接続していた。


「このコード自体には、破壊的な機能はない。ただ、延々と特定の周波数を発信しているだけ。それが、時間ロープの過去に情報を届ける『信号』になっている」


 アヤメはそう説明したが、ヒロトにはその信号が何を伝えているのかが理解できなかった。物理学と情報科学が交差する、難解な領域だった。


「その情報って、具体的にどんな内容なんですか?『こう動け』みたいな命令?」ヒロトは尋ねた。


「そこが核心よ。私たちが過去世で抱いていた感情、例えば**『結ばれてはいけない』という恐怖や『必ず裏切ってしまう』という予感**。アムネシアが送っているのは、その**『感情の青写真』**に近いものだと推測しているわ」 

 ヒロトはぞっとした。自分たちが1000年間繰り返してきた悲劇は、自分たちの純粋な意志ではなく、未来の自分が起動したコードによって、過去にいる自分たちへ遠隔操作されていた可能性があるということだ。


「じゃあ、俺がさっき君の手を振り払ったのも、アムネシアの影響が残っていたから……」

「ええ。私たちは、アムネシアによって作り上げられた**『偽りの運命』**というレールの上を、1000年間走らされてきたのよ」アヤメは唇を噛んだ。「時空保存会が目指す『安定』とは、私たちをこの偽りのレールから外さないこと」


 ヒロトは、自分たちが単なる実験動物のように扱われていた事実に、静かな怒りを覚えた。


 解析作業は深夜に及んだ。疲労がピークに達した時、ヒロトはまたしても、過去世の鮮明なフラッシュバックに見舞われた。

 今回は、彼らの因縁のクライマックスに近いシーンだった。

 荒廃した塔の内部。過去世のヒロトは血まみれで倒れ、アヤメを抱きしめている。アヤメの背中には、深い傷。

 過去世のヒロトは、囁いた。『ごめん……私は、君を、裏切らなければならなかった……』

 アヤメは微笑んだ。『いいえ、あなたを責めないわ。これが私たちの……カルマ』

ヒロトは呼吸を荒げて現実に戻った。額にはびっしょり汗をかいている。


「また、見たのね」アヤメが冷静にティッシュを差し出した。

「ああ……過去世の俺は、明らかに彼女を裏切っていた。悲劇の元凶は俺だ」ヒロトはうなだれた。


 しかし、アヤメは首を横に振った。


「その記憶こそ、アムネシアが作り出した最大の偽りよ。考えてみて。過去世の私たちは、なぜ『裏切らなければならない』という衝動に駆られたの? それは、未来の誰かが、その衝動を時間軸を遡って送り込んだからじゃない?」

「未来の誰か……」

「そう。現代のあなたよ。あなたがアムネシアを起動したという事実は、過去世のあなたにとって、既に動かせない未来の結末だった。だから、過去世のあなたは、その結末に至るために、自らを裏切り者へと仕立て上げるしかなかった」


 アヤメの言葉は、ヒロトの脳裏に焼き付いた。悲劇の根源は過去にあるのではなく、今、ここにある。その衝撃的な真実が、ヒロトの価値観を根本から揺さぶった。


 翌朝、アヤメは配信を装ったメッセージで、時空保存会が自分たちを追跡している状況を伝えた。


「彼らは、私たちが『アムネシアのアンカー』を探し、ループを破ろうとしていることに気づいた。監視の目が厳しくなるわ」


 アヤメは、アムネシアの解析結果から、アンカーが1000年前の因縁の舞台となった土地――古代の祭祀場があったとされる、現代のとある大学の地下にあることを突き止めていた。

 二人は、周囲の目を欺くために、敢えて公衆の面前で行動することを選んだ。人混みに紛れ、保存会の監視から逃れようとしたのだ。

 大学のキャンパス内、人が行き交う中庭で、ヒロトはふと、足を止めた。

「デジャヴュが……今、この場所だ」

 ヒロトが見つめるのは、中庭の隅に立つ、古びた石碑だった。

 ――石碑の周りで、過去世のヒロトとアヤメが、楽しそうに笑いあっている。そこには、裏切りも、悲劇の予感も、一切なかった。純粋な愛と、平和な時間だけがあった。

 その光景は、崩壊した塔の記憶よりも遥かに鮮明で、温かいものだった。


「見て、アヤメ……これが、アムネシアの影響を受ける前の、本当の過去だ」

 ヒロトは震える声で言った。

 アヤメもその石碑を見つめた。その時、彼女の目にも、同じ平和な過去の光景がフラッシュバックしていた。


「私たちの因縁のカルマは、悲劇を繰り返したことじゃないわ。この平和な時間を、奪われたことよ」


 二人は強く手を握り合った。この平和な記憶こそが、アムネシアが作り出した偽りの運命を断ち切る、真の希望だった。

 その時、周囲を歩いていた数人の学生風の男女が、ヒロトたちに向かって一斉に歩調を速めた。彼らは、時空保存会の工作員だった。


「逃げましょう、ヒロト! アンカーはここから地下よ!」アヤメはヒロトの手を引いて走り出した。


 二人は、追跡を振り切って、石碑のそばに隠された、地下施設へと続く古い入り口を目指した。扉の向こうには、千年の因縁を終わらせるための、究極の闘いが待ち受けている。

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