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97.王配殿下の大切なお役目

  Ψ  Ψ  Ψ



緋布の貯蔵庫から行宮に戻り、街を見渡せるバルコニーで、ボクはコルネリアとお茶をして過ごす。



「尊貴な緋色……。各国で珍重されるのがよく解かる荘厳さでしたわねぇ~」


「うん。……リレダルには海を大回りして入ってきてた。大河の交易が盛んになれば、もっと人気が出るだろうね」


「ほんとですわね!」



何も気が付いていないフリを続け、ボクたちの能天気で仲睦まじい姿だけを街の者たちに見せる。


日が暮れて、寝室に入ると、コルネリアがクネクネと踊ってみる。



「こ、こんな感じでした?」


「ふふふっ。そうだねぇ……、もっと、こうじゃなかった?」


「あっ! エイナル様、お上手ですわね!?」



朝のサウリュスの真似をしてみて、ふたりでクスクスと過ごす。


行宮で下働きをしてくれている土地の者たちが皆、家に帰った夜更け過ぎ、ノックもなく寝室の扉が開く。



「……ネルの指示通り、染色工房にはすべて監査の者を改めて入れたけど、アカネ染めの痕跡は見付からなかったわ」



と、カリスが声を潜めて腰を降ろした。


フリの必要がなくなったコルネリアが、真剣な表情で口元に手をあて考え込む。



「妨害もなく私たちを貯蔵庫に入れたのは、見分けられないという自信があったからだと思うのよ……」


「そうね……。根が深そうね」



やがて、ナタリアが寝室に姿を見せる。



「サウリュス殿が、なかなか放してくれませんで……」



苦笑いするナタリアが、カリスの隣に腰を降ろした。



「……コルネリア陛下のお美しさについて、熱く語り合っておりました」


「ふふっ。ボクもそっちに行けば良かった」


「まあ……」



と、頬を赤らめるコルネリアに、ナタリアが真剣な表情を返す。



「……サウリュス殿は創作意欲がかき立てられたようで、しばらく部屋に籠るそうですわ」


「ご苦労だったね、ナタリア」



照れて眉を寄せるコルネリアに代わって、ボクから褒詞をとらせる。


サウリュスの気性からいって、芸術的感性の赴くままに機密を口にしてしまう可能性がある。


カルマジンで行われている不正の全貌が明らかになるまで、できれば部屋に籠っていてほしい。


そして、小さな壺をかかえたばあやと、扉の外で護衛にあたっていたルイーセとが入ってくる。



「……これで、最後でいいな? 周囲には人を近寄らせないように命じてある」



音をさせずに扉を閉めたルイーセの言葉に、コルネリアが頷く。


そして、ナタリアに皿を二枚用意させ、それぞれに布の切れ端を置いた。昼間、貯蔵庫で切り取ってきた緋色の布の切れ端だ。


その上に、ばあやが持ってきた小壺から、液体を垂らす。


皆で、ジッと見詰めた。


やがて、ひとつは紫がかった鮮やかな深紅色、クリムゾン・パープルに変色する。


サウリュスが、ケルメス染めだと指差した布の方だ。


そして、もうひとつは、くすんだ赤紫色に変色した。



「ノラ義叔母(おば)さんが着けていたアカネ染めのエプロンと同じ色ですわね」


「うん、そうだね……」


「……決まりですわ。精巧な偽造ですが、ばあやに煮詰めてもらった灰汁の上澄み液。強いアルカリへの反応が異なります」



コルネリアが、険しく目をほそめる。



「どうする? すぐに王領伯たちを捕縛して厳しく取り調べる?」


「いえ……。見分けられるハズがないという王領伯の自信は、偽造が長期間かつ大規模に行われてきたことを示唆しています」


「うん。かなりの量があったからね」


「アカネ染めの偽造品がどこで造られているのか、現場を先に押さえてから取り調べを行いたいところです」



ルイーセが見た人影の件も気にかかる。


ボクたちが偽造品の存在を把握したと気付けば、王領伯は隠ぺいに動くかもしれない。


しばらく考えたコルネリアが、皆に指示を出していく。


翌朝。コルネリアはボクの馬の前に乗った。



「ふふっ。久しぶりですわね。エイナル様の前に乗せていただくの」



街の民が、にこやかに見送ってくれ、コルネリアは楽しげに手を振り返した。


カルマジンには、カリスと監査に必要な最低限の人員を残し、近くにある小さな港町へと〈お出かけ〉だ。


峠を越え、盆地を抜けると、護衛の騎士たちの一部をカルマジンに戻す。


炭焼きの村では、陰ながらの護衛を務めた〈陰働(かげばたら)き〉が得意な者たち。



「……王領伯が隠ぺいに動くなら、この機に乗じようとするでしょう。偽造品を一旦、製造元に戻そうとするかもしれません」



コルネリアが、重点的に監視してほしい場所を騎士たちに伝える。


さらに、ひとりは王都のクラウスとビルテへの、急報の密使として走らせた。


そして、支流に面した小さな港町へと入った。



「ふぁ~! ここも、のどかですわねぇ」



港町といっても、小さな舟ばかりが係留された漁港の集落といった風情。


板葺の屋根ばかりで、ドーム屋根は見当たらない。のどかな寒村だ。


そして、コルネリアが頭を抱える。



「……資料で知ってはいましたけど、こんな小さな村落にまで……」



カルマジンと同規模の〈行宮〉が建っていたのだ。


立派なシャンデリアに、緋色の絨毯。白亜の壁に太い柱は大理石製だ。


港に出て、支流を眺める。


粗末な桟橋の隅に腰かけ、子どもたちに飴を配っている老爺の姿が目に入った。


のどかな風景。


案内役に求めた船乗りの若者が、日に焼けた顔をほころばせた。



「……女王陛下が税を減免してくださり〈柳のじいさん〉も喜んでおります」



ラヨシュと名乗った青年が、褐色の肌から歯並びのいい白い歯を見せた。サッパリとした性情を思わせる濁りのない笑顔。


背丈はボクと変わらず、細身だけど腕が引き締まっている。


遊覧船を運行させる元水兵たちを思い出す、男が惚れるタイプのいい男だ。


飴を配る〈柳のじいさん〉というのは、この辺りの小規模な水運業者を取りまとめる相互扶助組織〈柳の組合〉をつくった、元船乗りらしい。



「……水運業者だなんて、おこがましい。親から受け継いだ小さな舟で、王都まで荷物を運ぶだけです」



ひとり一艘。小舟の船主たちが、漁の合間に近隣の産物を王都に運び、わずかな手間賃を得ている。



「今じゃ、あんな感じですけど、昔はじいさんも熱くて、無実の罪を着せられた民を逃がしたり、匿ったりしていたそうです」


「まあ……、そんなことが」


「……できることなら、そんな不当な裁きも全部、調べ直していただきたいのですが……」


「ええ、分かりましたわ。すぐには難しいでしょうけれど、必ずや。……生まれ育った地に、皆が帰れるようにいたします」



コルネリアが、ラヨシュに力強く応えた。


夜。行宮に入り、コルネリアがシャンデリアを見上げた。



「……水晶のシャンデリア」


「うん。綺麗だけど……、民を苦しめてきた象徴だね」


「よく見ると、目立ちにくいところに使われているのは水晶ではなく、ガラス玉ですわ……」


「え……?」



緋色の絨毯は、すでにサウリュスがひと目で「アカネ染めだ……」と指摘した。


それに加えて、明るく輝くシャンデリアまでもが、テンゲル王国に横たわる深い闇の存在を暗示していた。


そして、ボクはコルネリアを見送る。



「ルイーセとふたりなら安心だ」


「……すみません。大切な旦那様を囮に使うようなことをしてしまって」


「ふふっ。王配エイナルのいるところ、女王コルネリアあり、だ。……コルネリアが密かにカルマジンに戻るなら、この方法が一番いい」



偽造品の製造元を早急に突き止めるためには、コルネリアの知性と観察眼が欠かせない。


ルイーセを護衛につけ、夜闇に乗じてカルマジンに潜入する。



「……街娘姿も、素敵だね」


「まあ……」


「フードを深くかぶって、顔をよく隠して行動するんだよ?」


「はい。分かりましたわ」



ルイーセの馬の後ろに乗って、しっかりとしがみつくコルネリアの背中を見送った。



――別行動は、いつ以来かな……?



女王としては軽率な行動とも思えるし、大袈裟でもある。行かせるべきではなかったかもしれない。


けれど、この後、ボクはまたもやコルネリアの知性が見出していた壮大な真実に、大いに驚かされることになった。


ただ、このときのボクは、ナタリアに手を引かれて苦笑いしながら、サウリュスの部屋を訪れていた。



「さあさあ! もっともコルネリア陛下の美しさをご存じのゲストをお迎えし、今夜の〈コルネリア陛下の美を讃える会〉は盛り上がりますわよ~っ!」



ナタリアの弾む声に、サウリュスが億劫気に目を逸らす。


この画家に、コルネリアの不在を察知されないのもボクの大切な役目だ。



「……このスケッチはいいね。あ、こっちも……」



と、スケッチブックをめくりながら、愛する妻の様々な美しさに目を瞠らせた。


26冊もある。まるで、コルネリアが今夜も変わらず側にいるかのように錯覚した。

本日の更新は以上になります。

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