96.冷遇令嬢は得意な方だ
「ダメなんだ!」
握りしめられた象牙のような拳が、テーブルの上でプルプルと震える。
かと思えば、ふわりと広がる芥子色の髪をバサバサとかきむしり、勢いよく身体を大きく反らすや、椅子ごと後ろに倒れる。
「ちょっ……、サ、サウリュス?」
と、わたしが腰を浮かす間もなく、長い脚が宙を掻いて跳ね起きて、腕をグルングルンとふり回して身体に巻きつけたり、頭を抱えて前屈したり……。
「くっ……」
と、エイナル様の息とも声ともつかぬ音が喉から漏れ、見れば上唇と下唇を口の中に巻き込んで笑うのを必死に堪えている。
わたしも、真顔だ。
なにか、とても苦悩していることはビシビシ伝わってくる。
たぶん、それはとても高尚な、芸術上の壁なのだろう。それはよく分かる。
笑ったりしたら、失礼だ。
だけど、何気ない朝食の時間に、突然、不思議な踊りを披露される身にもなってほしい。また長くてしなやかな手足が、予測不能で不可解な動きをするのですよ……。
とりあえず、鼻でほそく息をする。
呆気にとられていたナタリアが、そっとサウリュスに声をかけた。
「ま……、まあまあ……。とりあえず朝食にされては……」
「いくつもの神聖さ!」
「は、はいっ!」
グイッと詰め寄られ、両方の二の腕をつかまれたナタリアが、クッと目を見開く。
「いくつもの美!」
「……は、はい」
「無段階に! 無限に連なり……、どれを私の神聖さだと、どれを私の美だと定めたらいいのか!?」
「な、なんのお話でしょう? 私でよければおうかがい……」
「ああっ!!」
と、サウリュスが、また頭を抱えてうずくまる。
「……何が神聖なのか、何を至上とするのか、自分で決めなくてはならないことが、こんなにも苦しいことだとは!」
「あ、あの~」
心配げに歩み寄るナタリアのすぐ側で、サウリュスは腕を奇怪な形に伸ばして跳ね起きた。
結果。あくまで、結果として。
ぽよんと、サウリュスの手がナタリアの豊かな膨らみを弾いた。
「あら、……やだ」
「うっ……。こ、これは……、失礼した」
ぐぐぐっと、わたしとエイナル様のこめかみに極限の力がこもる。
――あれだけの勢いを止めたのが……、おっぱい。
腹筋の下の方が鈍く痛い。
ナタリアが胸の前にやった手をほどきながら、サウリュスに歩み寄った。
「……戦って、おられるのですね」
「あ、ああ……」
「勝ちたいのですね」
「か、勝ちとか、負けとか、芸術にそのようなもの……」
「ご自分に! ……勝ちたいのですわよね?」
「……そ、そうだ」
「なにと……、戦われているのか。せっかく座を共にするのです。私たちにもお聞かせくださいませんか?」
「うっ……」
途方に暮れた迷い犬のような目をしたサウリュスの、整った顔立ちがわたしの方に向いた。
「コルネリア陛下の美だ……」
――わ、わたしですか?
たしかに、饗宴の間にわたしが入り、席に着くや否や、サウリュスは踊り始めた。
「……コルネリア陛下の美。神聖さ。いくつもの美と神聖さが無限に連なり、そのどれを選ぶこともできない……」
「あら……」
と、ナタリアが微笑む。
けれど、サウリュスの目にも耳にも入らないようだ。ジッとわたしを見詰めている。
「……昨日は部屋に籠り、なのにひと筋の線も描くことが出来なかった」
「分かりますわ……。テンゲル諸侯に燦然と君臨する凛々しいコルネリア陛下も……、コルネリア陛下」
気が付けば、ナタリアが恍惚とした表情を浮かべていた。
「類稀なる知性で民を導き富ませるコルネリア陛下も……、コルネリア陛下」
「ああ……」
サウリュスが億劫そうにして、ナタリアの方へと顔を向けた。
「罪には罪だと毅然と立ち向かわれ、公正な裁きを下されるコルネリア陛下も……、コルネリア陛下」
「おお……」
「エイナル様と愛を囁き合い頬を赤らめるコルネリア陛下も……、コルネリア陛下」
「そ……、それは、いささか……」
「……ユッテ殿下のほっぺをつついて目を輝かせるコルネリア陛下も……、コルネリア陛下」
「その通りだ」
「雨でぬかるんだ山道に足を滑らせ転びそうになったコルネリア陛下も、……コルネリア陛下」
「……そうなのか?」
最後のは、いらないんじゃないかな? と、ナタリアをジトッと見た。
目の前にいるわたしを置いてけぼりに、わたしの話で盛り上がるのはどうだろう。
ふたりが大仰過ぎて、なんだか照れ臭くもならない。
「それは、つまり!!」
ビシィッとナタリアが、サウリュスの鼻先を指差した。
「私の女神様なのです!」
「女神……」
「そうです。女神です。唯一至高の女神を前にして、どこが美しいだの、どこが神聖だの、……不敬の極みですわっ!」
「おお……、師よ」
変な師弟関係を結ばないでほしい。
女神。お腹すきました。
はやく、朝食にしましょう。
Ψ
デジェーのことで塞ぎがちだった気分が、朝のドタバタで、いくぶん晴れた。
今日は、カリスの勧めで政庁の倉庫を視察する。
「もう! すっごい綺麗で、圧巻だったのよ!?」
と、興奮気味に教えてくれたのは、出荷を待つ緋布の貯蔵庫。品質を保つため、最適な温度と湿度で厳重に保管されるそうだ。
場所が分かるので、王領伯の同行も、デジェーの同行もなし。
エイナル様と、ナタリアと、護衛のルイーセさん。
そして、まだブツブツ言ってるサウリュスもついて来た。
借りてきた鍵でナタリアが通用口を開けてくれ、一歩、中に足を踏み入れるや、胸を打たれる荘厳さ。
キレイに折り畳まれ、天井の高い壁の両側一面に緋布が積まれている。
ランタンを持ったナタリアが、柱につけられたランプに、ひとつずつ火を灯していくのも、壮麗な宗教儀式のようだ。
扇で隠すのも忘れて、口をパカッと開けて見上げてしまった。
「……見事なものだな」
ルイーセさんの声で、現世に戻ってきた。
「ええ……。すごいですわね」
「この蔵だけで、いったいどれほどの財になるんだろうな?」
「ふふっ」
「……なんだ?」
「いいえ。ルイーセさんらしい感想だなって思いました」
「あいにく、美だのオシャレだのには縁遠い人生だ」
すべてのランプが灯され、石畳の床をゆっくりと歩く。
カルマジン程度の小規模な街だと、商人の商館がなく、政庁がその機能を代わって果たすことはよくある。
代官が利ざやを懐に入れるのも、不正とは言えない。
けれど、これだけの緋布を取り扱うなら、その利益は莫大なものになるだろう。
エイナル様と話したくて、後ろを振り向いたら、サウリュスが険し過ぎる表情で憮然と立っているのが目に入った。
――あの表情。見覚えが……。
中性的で端正な顔立ちに浮かぶ、たしかな嫌悪感。
――あれは……、王都の祭りで、ブロムの絵画を見たときの……。
「冒涜だ!」
と、サウリュスが吐き捨てた。
「……ぼ、冒涜?」
美しい布地を金銭に変えることが気に障ったのだろうかと、うず高く積まれた緋布を舐め回すように睨み続けるサウリュスを見詰めた。
「赤が混じっているではないか!!」
「……え?」
「至高の緋色と、赤を一緒に、それも適当に、乱雑に、無秩序に混ぜて積むとは……、許しがたい冒涜だ!!」
「……赤?」
「お分かりにならないのか!? これも、これも、あれも……、皆、アカネ染めではないか!!」
「しっ」
と、口の前に指を立てた。
「なにを……」
「……声を落として。お願い。サウリュス殿」
「う……、はい」
ルイーセさんには通用口から外を見張ってもらうようにお願いして、皆でサウリュスを囲む。
「……ケルメス染めの緋布のなかに、アカネ染めの布が混じっていると?」
「そうだ、お分かりに……」
「分からないの。……サウリュス殿。貴方の目だけが頼りなの」
「う……」
「本当の美を知る、本当の芸術家であるサウリュス殿のお力を貸してくださらないかしら? ……そんなヒドイ冒涜を正す、お手伝いをお願いしたいのです」
わたしが、瞳をまっすぐに見詰めると、サウリュスは黙ってわたしを見詰め返す。
やがて、ちいさく頷いた。
無言のまま、サウリュスが指差す布地の端を小さく切り取っていく。
ボソリと呟く、サウリュスの声がした。
「……無秩序で乱雑に扱われることが許せなかっただけで……、赤は赤で美しい」
「ええ。そうですわね」
にこりと微笑むと、サウリュスは目を逸らした。
そして、柱のランプをすべて消し、外に出た。
「ふわぁ~っ! たくさんの緋布! ……とってもキレイでしたわねぇ~!」
バカのフリなら得意な方だと思う。
エイナル様の腕に手を乗せ、感動を熱く語り続ける。嘘でも偽りでもない。感動したのは本当だ。
偽物は、わたしの感動の方ではなかったというだけのことだ。
ルイーセさんが耳打ちしてくれる。
「……私が外に出た瞬間に、人影が動いて消えた。聞かれたかもしれぬ」
「急ぎますわ……」
一瞬だけ、わたしの剣聖様と真剣な視線を交し合い、あとは賑やかにして行宮に戻った。
無段階の色を見分けられる類稀なる画家が、カルマジンの不正をつかんでくれた。
本日の更新は以上になります。
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