表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

95/267

94.冷遇令嬢は初めてに怯む

なだらかな傾斜地を登る。冷えた空気が爽やかにも感じられる初冬の朝。


羊飼いの少年たちが、遠くでペコリと頭をさげた。



「気持ちいいわねぇ~」



わたしが伸びをすると、側で〈ばあや〉が微笑んだ。


敷物を敷いて、朝食の支度をしてくれる。


せっかくカルマジンの街を一望できる山肌に〈お出かけ〉するのだからと、早起きして外で朝食をいただくことにした。


バスケットを開けば、バターが香るブリオッシュ、しっかりとした食感のサワードウブレッド、美しいリネンに包まれたパンの盛り合わせが姿を見せる。


もちろん、ばあや特製のサンドイッチは今日も魅惑的。


スコーンには杏のジャムを添えて、サワーチェリーのコンポートも。


パプリカの効いた風味豊かなソーセージに、トゥーロー、カシュカヴァル、パレニツァと、テンゲル産のチーズも種類豊富に並ぶ。


そして、欠かせないのが、



「やっぱり、茹で卵ですわね~」



ホクホクといただき、エイナル様と微笑み合う。


数人の護衛騎士たちは、わたしたちを囲むようにして腰を降ろす。


もちろん、ルイーセさんも、ばあやのサンドイッチは大好物だ。



「さあさあ、剣聖様。たんとお召し上がりくださいませね」



と、ばあやに勧められ、不愛想に黙々と食べる手が止まらない。


穏やかな朝。


末席に腰を降ろすデジェーも、緊張を緩めてくれた様子でスコーンを口にした。


農作物の栽培には不向きな傾斜地を、羊の放牧に活かしている。盆地特有の昼夜の寒暖差から身を守るため、羊の毛は密度が高くなり、良質な羊毛が採れる。


牧草のなかには栄養が乏しい環境を好む固有種の薬草が混じり、天然の精油成分が羊の皮脂成分を向上させるのだろう。


内側から輝くような自然な光沢が生まれる。


畜産、紡績、織物、染色。規模は小さいながらも、垂直統合型の繊維産業が、この盆地の中だけで完結している。


しかも、生産しているのは付加価値の高い緋布だ。これから、いくらでも豊かになることが出来るだろう。


ふと、視界のなかに大荷物を抱えた女性たちの姿が見えた。



――女の人が持つには、大きすぎる包みね……。



と、目を凝らす。



「あっ……。羊毛か」



女性たちが牧草地を流れる水路の側で荷物を開くと、ふわふわの白い雲のような塊が見えた。


デジェーが、落ち着いた物腰で口を開く。



「……春に刈った毛を洗浄する、今がちょうど追い込みの時期なのです」


「へぇ~っ!?」


「寒さが厳しくなると、水が冷たくなり過ぎて作業が難しくなりますから」


「なるほど~っ!」



わたしが目を輝かせていると、女性たちがペコリと頭をさげてくれる。


そして、こちらをチラチラ見ては、なにやらキャッキャッと騒がしい。



「エイナル殿下が……、眩しいのでしょう」



そう言うデジェーからは、最初に会った時の挑発的な雰囲気がすっかり消えている。



「……え? ボク?」



と、エイナル様が自分の顔を指差し、居心地悪そうに笑われた。



「……この地を麗しい貴公子が訪れることは、マレですから」


「あ、うん……」


「よろしかったら、近くで声をかけてあげてくださいませ。……あの者らにとっては一生の思い出となりましょう」



苦笑いのエイナル様が、わたしの顔をチラッとのぞき込まれた。



「よろしいのではありませんか? ……そうして差し上げては」


「あ……、うん。そうか。……コルネリアがそう言うなら」



と、エイナル様が腰を上げる。


ばあやと護衛の騎士を伴い、女性たちのもとに向かうと、キャーッ! と黄色い歓声があがった。


ルイーセさんが、スンと鼻を鳴らした。



「いいのか? ……調子に乗らせて」


「ふふっ。エイナル様には、少しくらい調子に乗っていただきたいのですけどね」



エイナル様は、平伏していた女性たちを立ち上がらせ、和やかに歓談されている。


高貴なお生まれでありながら、エイナル様は本当に自然に、民の輪に溶けこまれる。


目を細めて、広いお背中を眺めた。



「……まこと、エイナル殿下は太陽のようなお方でございますね」



と、デジェーが呟いた。



「ふふっ。……ありがとう。なにより嬉しい言葉だわ」


「……この国は病んでおります」


「ええ……」



すこし声の調子を落としたデジェーの方を見ずに応えた。



「……この地の不正を、正さねばなりません」


「そう……」



顔を向けると、デジェーの真剣な眼差しにドキリとした。迷いも濁りもない視線。


人払いを求められ、ルイーセさんがデジェーの身体を改め、佩剣と護身用の短剣を預かる。


声の聞こえない距離まで、ルイーセさんと護衛騎士たちが離れた。


デジェーは知らないだろうけど、これは剣聖ルイーセの間合いの範囲内だ。デジェーがおかしな動きをすれば、一閃のもとに斬り伏せられるだろう。


それでも、必要以上には近寄らせない。


視線が、すこし熱すぎたのだ。



「直言の機会を賜りましたこと、恐悦至極に存じます」


「ええ……」


「……この地に張り巡らされた、ちいさな不正の水路。こびりついて取れません」



黙って、エイナル様のお姿を目で追う。


すでにカリスが不正の痕跡を捉えている。余計な言質は与えられない。


風で揺れた髪を、耳にかき上げた。



「私を信じろとは申しません。ですが、どうか私をお使いください」


「ええ……、ありがとう」


「……リレダルのやり方、バーテルランドのやり方では、この地、この国に巣食う病を根絶することはできないでしょう」


「なるほど……」


「コルネリア陛下のお考えは素晴らしい。感服しております。……私は陛下の理想をテンゲルに根付かせるため、最も鋭い、汚れ仕事も厭わぬ刃となりましょう」


「ふふっ。……何が望みなの?」



正直に言えば、この手の売り込みは聞き飽きていた。


侍従にしろとか、枢密院の書記官にしろとか、要するに側近に取り立てろと言ってくるのだ。


身を硬くしたデジェーが、次の言葉を絞り出すのを待った。



「私を……、陛下の寵臣に」


「ちょっ!?」



思わず、デジェーの顔をまっすぐ見て、真剣な眼差しに吸い込まれそうになる。


この場合、寵臣とは、国王における側室を意味する隠語だ。つまり、デジェーは自分を、第二王配とでもいうべき、わたしの愛人にしろと言っているのだ。



「エイナル殿下という太陽の隣で、コルネリア陛下という月が輝いているのは存じております。……ならば、私にはその月に焦がれ、一夜で命を終える蜉蝣(かげろう)の栄誉をお与えくださいませんでしょうか」


「……バ、バカなことを言うものではありませんわ」


「陛下を想うだけで、この身が焦がれんばかりに狂おしい。……ほんの一瞬でも、お側で仕え、この命を燃やして陛下の理想のために……、私は死にたいのです」



もちろん、受けるつもりなどない。


だけど、胸が勝手にドキドキする。高鳴りが止まらない。


こんなに真正面から愛を打ち明けられたのが、初めてなのだ。


どうしたらいいのか、ただ狼狽えている。


フェルディナン殿下のときは、どこまで本気でいらしたのか、よく分からなかった。


だけど、デジェーの瞳はまっすぐで、真剣そのもの。側には剣聖ルイーセが控え、さらにはエイナル様もいらっしゃる。


非礼だと咎められ、即座に首が飛んでもおかしくはない。


その、命懸けの愛の告白に、わたしは何と答えたらいいのかと、……怯んだ。



「……その望みは、叶えられません」


「無理を申しました……」


「……忘れます」


「私が……、命を賭けてコルネリア陛下の理想に殉じたいと思っていること……、この国の不正を正したいと思っていることに、嘘偽りはございません」


「心強く思います……」


「どうか、そのことだけでも、覚えておいていただければ、これに勝る幸いはございません」


「……分かりました。カリス宮中伯の監査に協力してください」


「かしこまりました。身命を賭しましても」



と、デジェーが頭をさげた瞬間に、腰を浮かせて立ち上がる。



「殊勝な心がけ……、嬉しく思いますわ」



ルイーセさんに視線を送り、側に戻って来てもらう。


そして、佩剣と短剣をデジェーに返し、末席に戻らせた。


すこし離れたところに立つサウリュスが、ジッとわたしを見ていた。木炭を走らせることもなく、射るような視線で、わたしを見詰めている。


スケッチのモデルを品定めしているのだろうけど、いまはその視線が熱過ぎる。



「お~いっ! コルネリアもこっちにおいでよ! みんな、ボクよりコルネリアに興味があるみたいだよ~!?」



と、エイナル様のお声で、ホッとして手を大きく振ってから歩き出す。


そして、自分の膝が震えていることに、ようやく気が付いた。心臓もバクバクいってるままだ。



「……す、すぐ行きますわ~っ!」



エイナル様に応え、深呼吸した。


初冬の朝の冷たい空気が、胸の中いっぱいに染み込んでいった。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、

ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 変な男に絡まれやすいな陛下…。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ