94.冷遇令嬢は初めてに怯む
なだらかな傾斜地を登る。冷えた空気が爽やかにも感じられる初冬の朝。
羊飼いの少年たちが、遠くでペコリと頭をさげた。
「気持ちいいわねぇ~」
わたしが伸びをすると、側で〈ばあや〉が微笑んだ。
敷物を敷いて、朝食の支度をしてくれる。
せっかくカルマジンの街を一望できる山肌に〈お出かけ〉するのだからと、早起きして外で朝食をいただくことにした。
バスケットを開けば、バターが香るブリオッシュ、しっかりとした食感のサワードウブレッド、美しいリネンに包まれたパンの盛り合わせが姿を見せる。
もちろん、ばあや特製のサンドイッチは今日も魅惑的。
スコーンには杏のジャムを添えて、サワーチェリーのコンポートも。
パプリカの効いた風味豊かなソーセージに、トゥーロー、カシュカヴァル、パレニツァと、テンゲル産のチーズも種類豊富に並ぶ。
そして、欠かせないのが、
「やっぱり、茹で卵ですわね~」
ホクホクといただき、エイナル様と微笑み合う。
数人の護衛騎士たちは、わたしたちを囲むようにして腰を降ろす。
もちろん、ルイーセさんも、ばあやのサンドイッチは大好物だ。
「さあさあ、剣聖様。たんとお召し上がりくださいませね」
と、ばあやに勧められ、不愛想に黙々と食べる手が止まらない。
穏やかな朝。
末席に腰を降ろすデジェーも、緊張を緩めてくれた様子でスコーンを口にした。
農作物の栽培には不向きな傾斜地を、羊の放牧に活かしている。盆地特有の昼夜の寒暖差から身を守るため、羊の毛は密度が高くなり、良質な羊毛が採れる。
牧草のなかには栄養が乏しい環境を好む固有種の薬草が混じり、天然の精油成分が羊の皮脂成分を向上させるのだろう。
内側から輝くような自然な光沢が生まれる。
畜産、紡績、織物、染色。規模は小さいながらも、垂直統合型の繊維産業が、この盆地の中だけで完結している。
しかも、生産しているのは付加価値の高い緋布だ。これから、いくらでも豊かになることが出来るだろう。
ふと、視界のなかに大荷物を抱えた女性たちの姿が見えた。
――女の人が持つには、大きすぎる包みね……。
と、目を凝らす。
「あっ……。羊毛か」
女性たちが牧草地を流れる水路の側で荷物を開くと、ふわふわの白い雲のような塊が見えた。
デジェーが、落ち着いた物腰で口を開く。
「……春に刈った毛を洗浄する、今がちょうど追い込みの時期なのです」
「へぇ~っ!?」
「寒さが厳しくなると、水が冷たくなり過ぎて作業が難しくなりますから」
「なるほど~っ!」
わたしが目を輝かせていると、女性たちがペコリと頭をさげてくれる。
そして、こちらをチラチラ見ては、なにやらキャッキャッと騒がしい。
「エイナル殿下が……、眩しいのでしょう」
そう言うデジェーからは、最初に会った時の挑発的な雰囲気がすっかり消えている。
「……え? ボク?」
と、エイナル様が自分の顔を指差し、居心地悪そうに笑われた。
「……この地を麗しい貴公子が訪れることは、マレですから」
「あ、うん……」
「よろしかったら、近くで声をかけてあげてくださいませ。……あの者らにとっては一生の思い出となりましょう」
苦笑いのエイナル様が、わたしの顔をチラッとのぞき込まれた。
「よろしいのではありませんか? ……そうして差し上げては」
「あ……、うん。そうか。……コルネリアがそう言うなら」
と、エイナル様が腰を上げる。
ばあやと護衛の騎士を伴い、女性たちのもとに向かうと、キャーッ! と黄色い歓声があがった。
ルイーセさんが、スンと鼻を鳴らした。
「いいのか? ……調子に乗らせて」
「ふふっ。エイナル様には、少しくらい調子に乗っていただきたいのですけどね」
エイナル様は、平伏していた女性たちを立ち上がらせ、和やかに歓談されている。
高貴なお生まれでありながら、エイナル様は本当に自然に、民の輪に溶けこまれる。
目を細めて、広いお背中を眺めた。
「……まこと、エイナル殿下は太陽のようなお方でございますね」
と、デジェーが呟いた。
「ふふっ。……ありがとう。なにより嬉しい言葉だわ」
「……この国は病んでおります」
「ええ……」
すこし声の調子を落としたデジェーの方を見ずに応えた。
「……この地の不正を、正さねばなりません」
「そう……」
顔を向けると、デジェーの真剣な眼差しにドキリとした。迷いも濁りもない視線。
人払いを求められ、ルイーセさんがデジェーの身体を改め、佩剣と護身用の短剣を預かる。
声の聞こえない距離まで、ルイーセさんと護衛騎士たちが離れた。
デジェーは知らないだろうけど、これは剣聖ルイーセの間合いの範囲内だ。デジェーがおかしな動きをすれば、一閃のもとに斬り伏せられるだろう。
それでも、必要以上には近寄らせない。
視線が、すこし熱すぎたのだ。
「直言の機会を賜りましたこと、恐悦至極に存じます」
「ええ……」
「……この地に張り巡らされた、ちいさな不正の水路。こびりついて取れません」
黙って、エイナル様のお姿を目で追う。
すでにカリスが不正の痕跡を捉えている。余計な言質は与えられない。
風で揺れた髪を、耳にかき上げた。
「私を信じろとは申しません。ですが、どうか私をお使いください」
「ええ……、ありがとう」
「……リレダルのやり方、バーテルランドのやり方では、この地、この国に巣食う病を根絶することはできないでしょう」
「なるほど……」
「コルネリア陛下のお考えは素晴らしい。感服しております。……私は陛下の理想をテンゲルに根付かせるため、最も鋭い、汚れ仕事も厭わぬ刃となりましょう」
「ふふっ。……何が望みなの?」
正直に言えば、この手の売り込みは聞き飽きていた。
侍従にしろとか、枢密院の書記官にしろとか、要するに側近に取り立てろと言ってくるのだ。
身を硬くしたデジェーが、次の言葉を絞り出すのを待った。
「私を……、陛下の寵臣に」
「ちょっ!?」
思わず、デジェーの顔をまっすぐ見て、真剣な眼差しに吸い込まれそうになる。
この場合、寵臣とは、国王における側室を意味する隠語だ。つまり、デジェーは自分を、第二王配とでもいうべき、わたしの愛人にしろと言っているのだ。
「エイナル殿下という太陽の隣で、コルネリア陛下という月が輝いているのは存じております。……ならば、私にはその月に焦がれ、一夜で命を終える蜉蝣の栄誉をお与えくださいませんでしょうか」
「……バ、バカなことを言うものではありませんわ」
「陛下を想うだけで、この身が焦がれんばかりに狂おしい。……ほんの一瞬でも、お側で仕え、この命を燃やして陛下の理想のために……、私は死にたいのです」
もちろん、受けるつもりなどない。
だけど、胸が勝手にドキドキする。高鳴りが止まらない。
こんなに真正面から愛を打ち明けられたのが、初めてなのだ。
どうしたらいいのか、ただ狼狽えている。
フェルディナン殿下のときは、どこまで本気でいらしたのか、よく分からなかった。
だけど、デジェーの瞳はまっすぐで、真剣そのもの。側には剣聖ルイーセが控え、さらにはエイナル様もいらっしゃる。
非礼だと咎められ、即座に首が飛んでもおかしくはない。
その、命懸けの愛の告白に、わたしは何と答えたらいいのかと、……怯んだ。
「……その望みは、叶えられません」
「無理を申しました……」
「……忘れます」
「私が……、命を賭けてコルネリア陛下の理想に殉じたいと思っていること……、この国の不正を正したいと思っていることに、嘘偽りはございません」
「心強く思います……」
「どうか、そのことだけでも、覚えておいていただければ、これに勝る幸いはございません」
「……分かりました。カリス宮中伯の監査に協力してください」
「かしこまりました。身命を賭しましても」
と、デジェーが頭をさげた瞬間に、腰を浮かせて立ち上がる。
「殊勝な心がけ……、嬉しく思いますわ」
ルイーセさんに視線を送り、側に戻って来てもらう。
そして、佩剣と短剣をデジェーに返し、末席に戻らせた。
すこし離れたところに立つサウリュスが、ジッとわたしを見ていた。木炭を走らせることもなく、射るような視線で、わたしを見詰めている。
スケッチのモデルを品定めしているのだろうけど、いまはその視線が熱過ぎる。
「お~いっ! コルネリアもこっちにおいでよ! みんな、ボクよりコルネリアに興味があるみたいだよ~!?」
と、エイナル様のお声で、ホッとして手を大きく振ってから歩き出す。
そして、自分の膝が震えていることに、ようやく気が付いた。心臓もバクバクいってるままだ。
「……す、すぐ行きますわ~っ!」
エイナル様に応え、深呼吸した。
初冬の朝の冷たい空気が、胸の中いっぱいに染み込んでいった。
本日の更新は以上になります。
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