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93.冷遇令嬢は清流に足を浸ける

晴れ渡った瑠璃色の冬空の下、緋色の長い糸束が竿からふさりと垂れさがる。


その隣には朱色の糸束、丹色、赤橙色と続いて、橙色にまでいたる糸束のグラデーションが風に揺れていた。



「ふわぁ~っ!! ……キレイねぇ……」



背景には背の低い鈍色の石壁、さらには灰茶色をした板壁の作業小屋が糸束の色鮮やかさを引き立てる。


小屋の向こうには水路があるのだろう。水車からするガッコン、ガッコンというリズミカルな音が微かに響いていた。


こんなにも種類豊富な赤色を見るのは初めてだわ! ……と、言いそうになった口をつぐむ。



――赤……、だなんて迂闊に言ったら、サウリュスに叱られちゃうかも。



上唇で下唇をキュッと押さえて、気難し屋の画家を見上げた。



「……見事なものです」


「サウリュス殿の目から見てもそうですか!?」



と、興奮気味のわたしに、サウリュスは何も応えない。


失礼な言い回しだったかしら? と、肩をすくめて糸束の列に視線を戻す。



「……失礼」


「えっ!?」



と、サウリュスが謝ってきたことに驚いたのは失礼よね……と、苦笑いしながら、もう一度、顔を見上げた。



「……この色を絵の具で出すにはと、考え込んでしまいました」


「な、なるほどぉ~っ!」



画家ならではの発想が興味深い。



「……染料ならば、薄めるだけで無段階に色を変えられましょうが……、絵の具では混ぜ合わせなければなりません」



すごいですわね、エイナル様! と、横を向いたら、いなかった。


エイナル様は少し後ろに立たれ、護衛のルイーセさんのさらに後ろで、美しい糸束の列に目を奪われておられた。



「あっ! コルネリア陛下!」



と、糸束の向こうから、ナタリアが染色工房の親方と一緒に姿を見せる。


すみれ色めいた銀髪を揺らし、ナタリアがわたしに耳打ちした。



「……差し当たって、怪しいところは見当たりませんでした」


「ありがとう、ナタリア」



あたりには粗末な板壁の小屋がいくつも建ち並び、それぞれが染色の工房なのだろう。


王領伯がわたしを近付けたくなかったのは、この粗末さのせいかもしれない。



――王侯貴族が競って買い求める最高級品の緋布をつくる工房街が、あまり裕福に見えない景色をわたしの目に入れたくなかったのかしら……?



顔を縁取るような焦げ茶色の顎髭が印象的な親方が、わたしに深々と頭をさげた。



「女王陛下におかれましては、水車の使用料を廃止してくださいますそうで、誠にありがたいことにございます」


「あら? 耳が速いわね」


「はい。先ほど、デジェー様の使いの方が報せてくださいましてございます」



デジェー、抜け目のないことね……。


と、かるく苦笑いする。


政庁を出て街の景色を楽しみながら歩いている間に、わたしの視察先に先回りして報せたのだろう。


親方からわたしに、礼を言わせるために。


ナタリアが首をひねった。



「……染色の工房で、水車を何に使っているのですか?」


「ふふっ。縮絨よ」


「……しゅくじゅう?」


「染めた糸を布に織って、織った布を水車が回す木槌で何時間も叩くの。そうすることでフェルト化が進んで、厚くて丈夫で柔らかな高級布になるのよ?」


「へ、へぇ~。……さすが、コルネリア陛下は、よくご存知ですわね~」


「ふふっ。もちろん、わたしも実際に見るのは初めてよ? さあ、早く中を案内してください……。もう! ウキウキして大変なんだからっ!」



小屋の中は全体が土間で、かまどが並び、弱火でクツクツと染料を煮出している。


向かいの女性たちが乳鉢で丁寧にすりつぶしているのは、その元になる原料だ。


ひとつひとつが目に新しくて、跳ねるようにして見て回る。目を輝かせる。


染め終えた糸を織る、織り機のカコン、カコンという音が、水車の音に重なって、まるで打楽器のハーモニーのよう。


染料づくり、糸の染色から機織りまで、工程ごとの分業をせず、すべてを工房ごとで行うのは非効率かもしれない。


けれど、伝統的な製法による品質維持との兼ね合いが難しいところだ。


裏手の水路を見せてもらい、水車小屋の中では迫力ある木槌の音と動きに息を呑む。


親方が、グルリと顎髭を撫でた。



「……地下水の清流が、カルマジンの布づくりを支えているのです」


「ほんと……、キレイな水ね」



テンゲル王国が誇る排水技術が活かされているのだろう。


石造りの水路を流れる澄んだ水は、周囲をかこむ山々のひとつから引き込まれ、街にくまなく張り巡らされていた。


こじんまりとした市街地から、なだらかな傾斜は牧草地、そして深い森へと繋がる山々の景色も見応えがある。


高い壁に囲まれたような、牧歌的な盆地の景色に、



――父も、どうせ軟禁するなら、こんな街にしてくれたら良かったのに……。



と、苦笑いもしてしまうけれど、いまは頭から追い出す。


早速、染料のすりつぶし作業に挑戦させてもらって、真っ白な乳鉢の中で、真っ白な乳棒をグリッ、グリッと、丁寧に動かす。


そして、食事用の小さなかまどを借りて、煮出し作業もやらせてもらう。



「こ……、これは……」



と、微笑ましげに見守ってくれていた親方が、鍋をのぞき込んで目を見開いた。



「ふふっ。……灰汁(あく)を使ってみたの」


「灰汁……」


「かまどの灰を水に浸けた上澄み液」


「そ、そうですか……」


「弱いアルカリ性にしてやると、抽出効率があがる……、って知識では知ってたんだけど、思ったより上手くいったわね」



職人たちが集まってきて、かわるがわるに鍋をのぞき込んでは感心して見せる。



「……急にやり方を変えたら品質にバラつきが出るでしょうから、手が空いてるときに、色々試してみては?」


「え、ええ……。今は注文がたて込んでいまして」



王領伯も言っていたリレダルからの大量注文。ブロム大聖堂の創建300年祭に向けてのものだった。



「まあ!? ……リサ様のところに行くのですね、この緋布たちは」


「神官様だけでなく、聖歌隊や、皆さんの分が欲しいとのことで、いま工房街はてんてこ舞いなんです」


「……テンゲルの緋布がリレダルに渡り、リレダルの服飾工が仕立てるのね」


「左様、聞いております」



平和が訪れ、大河を行き交う交易船が皆を豊かにしていく。


この小さな王家領にも、その恩恵が届き始めていることが、とても嬉しい。


親方に勧められ、靴を脱いで水路に足を浸けた。


初冬の冷たい水が気持ちいい。


ナタリアと並んで腰掛け、水路側には壁のない、小屋の中を見渡した。


活き活きと働く工房の職人たち。


水車の音も、織り機の音も、すべてを祝福して聞こえる。


小屋の入口では、スケッチブックを広げたサウリュスが木炭を走らせ、眉間にシワを寄せている。


その向こう、ほそい街路を歩くカリスの姿が見えた。


デジェーに案内され、手元には帳簿を広げて監査に回ってくれていた。



「……あの男はどうも、好きになれませんわ」


「ん? ……デジェーのこと?」



と、ナタリアに応えた。



「立ち回りが器用というか……、ずる賢そうというか……」


「ふふっ。……ひとつの街を統治するのには、強かな者も必要よ?」


「それに比べて、サウリュス殿はいいですわね」


「あら? ……あんなに嫌がってたのに、ナタリアは宗旨替え?」


「……礼儀を知らないところは、いまでも気に喰わないですけれど」


「ふふっ。……どこがナタリアのお眼鏡に適ったのかしら?」



そっと、色っぽい口元に手を添えたナタリアが声を潜める。



「……弱いところですわ」


「え? ……どこが?」



あまりにもサウリュスのイメージとかけ離れた言葉に思わず吹き出し、ナタリアに耳を寄せた。



「サウリュス殿は、きっと……、勝ったことがないのです」


「へぇ……」


「コルネリア陛下のお姿を何枚も何枚もスケッチに描きとめ、それでもまだまだ納得がいかない様子」


「……そんなに描いてくれてる?」


「あのスケッチブック、12冊目です」


「え? ……そんなに?」


「……ずっと負けっ放しなのに、諦めない姿。……次はもっとよく描けると思ってページをめくって木炭を手にする姿。……ゾクッとしますわ」



ナタリアの目に映るサウリュスの姿も興味深い。


ゾクッとはしないけど。


ふと、足さきに糸くずのようなものが絡みついた。


手を伸ばすと、ほそいアカネの根だった。



「山の向こうは、あの段々畑の村……。地下で水脈がつながっているのかしらね?」



やがて、空が茜色に染まり、親方たちに礼を言って、絢爛豪華な行宮へと戻る。


いつ来るかも分からない国王のために建てられた、この宮殿の活用方法も考えなくてはいけない。


テラスで、カリスと星空を見上げた。



「……帳簿が合わない?」


「気が付かなかったフリをしておいたけど……、大きな数字を操作した痕跡が、いくつか見られたわ」


「そう……」



正直に申告すれば、旧王政下での行いは大きな罪には問わないと布告してある。


それでも隠したい不正が、このカルマジンの地には潜んでいるらしい。



「残念ね……」


「しばらく、素知らぬ顔をして監査を続けるから、ネルは能天気なフリして視察を続けてちょうだい」


「のうて……」


「ふふっ。フリよ、フリ」



バカのフリなら得意な方だと思う。


カリスが動きやすいよう、わたしは初めての景色に、目を輝かせ続ける。


ただ、翌日の牧草地の視察には、デジェーに案内役を命じ、



「……この地の不正を、正さねばなりません」



と、その真剣な眼差しに吸い込まれそうになって、怯まされてしまったのだった。

本日の更新は以上になります。

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