92.冷遇令嬢は明日を今日よりいい日にしたい
早暁。街をぐるりと囲む山々から朝陽が顔を出すや否や、カルマジンの政庁に入る。
カリスの指揮のもと、すべての帳簿、帳票類を貴賓室に積み上げた。
慌てて駆け付けた王領伯の顔が歪む。
「こ、これは、なんの騒ぎですかな?」
「王家領の統治実態を把握させていただきます」
と、カリスが涼やかに応えた。
すでに帯同する文官と侍従騎士が、帳簿をめくり始めている。
ナタリアは染色工房に先行させ、わたしの受け入れ準備を兼ねて、怪しい動きがないかチェックさせている。
王領伯が狼狽した様子で、汗を拭う。
「い、いや……、このように勝手なことをされましては……」
「王領伯……。カルマジンはどなたのご領地ですか?」
と、カリスの冷ややかな微笑みが、王領伯に息を呑ませた。
濃紺のドレスが、黒髪でスリムなカリスの長身によく似合っている。
「そ、それは……、コルネリア陛下のご領地にて……。されど、このようなやり方をされては……」
「代官に委ねられしは、王家の領主権。その徴税と行政執行の権を代行する、代行権……、ですわね?」
「いかにも……」
「コルネリア陛下ご臨席のもと、王領伯の仕事ぶりを見ていただける……」
「そ、それは……」
「……光栄だとは思わぬのですか?」
ゆるりと微笑むカリスに、王領伯は何度か口をパクパクさせた後、黙り込んだ。
衛兵団の詰所は、ルイーセさん率いる騎士たちが監査に入っている。
ばあやが、わたしとエイナル様にお茶を淹れてくれ、王領伯と、その後ろに立つ嫡男のデジェーにソファを勧めた。
「……王領伯。そして、デジェー殿。わたしは何かを暴きに来たのではないのです」
「ははっ……」
「ただ、本当の統治実態が知れたら、それでよいのです」
まあ……、これまで甘い汁を吸ってきたことは間違いない。
周辺の諸侯から、国王に取り次ぐだけで定めにない寄進を受け取ってきたことは判明している。
賄賂……、とまでは言い切れない。
旧王政のもとでは当たり前になっていたことを、当たり前にやっていただけ。
問題は、わたしのつくる新しい政治風土に合わせていけるかどうかだ。
「王領伯。……コショルー難民の帰還事業の方はいかがですか?」
「……幸いと申しましょうか、カルマジンにはコショルーからの難民は少なく、その者たちも帰国を望んではおりません」
「まあ! それは、素晴らしいですわね」
「……え?」
「王領伯の統治が優れているからこそ、馴れ親しんだカルマジンから離れたくないのでしょう。……もう、30年も前のことですものね。コショルーの内戦も」
内戦から逃れ、この地で生まれた子供も多いことだろう。人口は国力に直結する。住み続けたいと望んでくれるのなら、それに越したことはない。
そして、この地の王領伯が、比較的、民に寛容な統治を行っている証左ともいえる。
ただ、代官が民から財を搾り取るのに、多くは税の形をとらない。
「王領伯。水車の使用料……、というのが、ずいぶん高額なようですわね」
と、カリスが、細目を詰めていく。
「そ、それは……、宮中伯閣下はご存知ないであろうが、水車を維持するには、それなりの経費がかかるものなのですぞ?」
「……それにしては、水車の修繕費は集めた使用料の百分の一以下……」
「うぐっ……、そ、それは昨年は……」
「……5年平均で」
「うぐっ……」
カリスの監査に、後ろに並ぶ文官たちが、ふむふむと頷きながらメモをとる。
近いうちには、彼らだけで王家領の監査に行かせ、ゆくゆくはカリスの後継として宮中伯に取り立てられる者を育てたい。
隣に座るエイナル様に耳打ちする。
「……皆、真剣に取り組んでくれておりますわね」
「ふふっ。カリス閣下は誰よりもいいお手本だからね」
領地の不正追及は、モンフォール侯爵領でわたしもカリスも嫌というほどやった。
カルマジンでは、正当な代官権の行使の範疇を逸脱してはいないけど、手を変え品を変え様々な搾取の構造が民を縛っている。
窓の外では、街が動き始めていた。
もちろん、はやく街あるきがしたいし、染色の工房にも足を運びたい。
けれど、やることをやってからだ。
わたしとエイナル様が腰を降ろすソファの前で、カリスと王領伯が向き合って議論を積み重ねている。
「……ごらん、コルネリア」
「え?」
と、エイナル様がそっと指差す方を見ると、デジェーが真剣な表情をしてカリスに何度も頷いていた。
「……父親とは、違う意見を持ってるみたいだよ?」
「ほんとうですわね……」
若い人が改革に興味を持ってくれるのは、なにより明るい材料だ。
土地に明るい世襲代官――王領伯が意識を切り替えてくれるのなら、出来れば罷免などはせず、このまま統治を任せたい。
当然、あきらかな不正などが見付からなければ……、だけど。
カリスが、親の年頃の王領伯に、諭すような優しい声で語りかけた。
「……税率を半分にしても、民の稼ぎが倍になれば、税収は変わらない。それが、コルネリア陛下の治政です」
「はあ……」
「ご自分には合わないと思われるなら、どうぞ遠慮することなく、世襲代官権と王領伯の称号を返上なさいませ。……それで、罪に問うたりはいたしませんから」
「あ、いや! ……そ、そのようなつもりは、毛頭ございません! コルネリア陛下のご叡慮に平伏すばかりにございます」
と、王領伯が青ざめさせた顔の額をテーブルにこすりつけんばかりに、頭をさげた。
わたしからも声をかける。
「……王領伯」
「は、ははっ」
「民を豊かにしましょう。民が稼いで初めて政庁の金庫が潤う。王宮の金蔵が潤う。……わたしはそのような国に生まれ変わらせたいのです、テンゲル王国を」
「はは――っ! コルネリア陛下の尊いお志に、胸を打たれましてございます!」
大仰に平伏して見せる王領伯に、
――フリだな、フリ。
――どうせ、ポーズだけだ……。
と、この場にいる全員が、生温かい目で見守っていたけれど、嫡男のデジェーだけは様子が違った。
「まさに、宮中伯閣下の申される通りにございます」
「……お解りいただけたのなら、なによりですわ」
「ゆるやかに、この国を変えてまいりましょう」
「ゆるやかに……、ですか?」
「……急激に緩めれば、民が増長しましょう。あれもくれ、これもくれと収拾がつかなくなる恐れがあります」
「ふむ……」
「そうなれば、暴動にまで至った王都の二の舞。……どうぞ、この地に根差した我らの統治をご信頼ください」
と、藍色の髪がはらりと垂れた。
「デジェーの申すことにも一理あります」
わたしの言葉に、王領伯がパッと明るい顔を見せて両手を握り合せた。
改革を先延ばしにするいい口実を見付けたという顔だ。わたしがこの地を去れば、ウヤムヤにしてしまおうという魂胆だろう。
「カリス宮中伯。……計画的かつ、段階的な緩和の策定を手伝ってあげてください」
「はっ。かしこまりました」
「手数料の類は、即時一律廃止でかまいません。そのほかの領民負担の軽減は、統治に無理が出ない形で」
「……そのように」
わたしの視界の隅っこで、サウリュスがしきりに木炭を走らせてるのが気になる。
こんな国の枢機に関わる場にまで入れてあげてるのだから、スケッチするにしても、もう少し目立たない感じでやってほしい。
「今日より明日がいい日になる。……民にそう思ってもらえるような計画を、王領伯と一緒に策定してください」
なんの変化もなかった軟禁生活。明日も明後日も、必ず今日と同じ日が来た日々。
統治の名のもとに、民をがんじがらめに軟禁するような治政を、わたしは望まない。
屋敷を一歩踏み出したとき、わたしの背中にはえたような気がした羽根は、いまでもパタパタと羽ばたき続けている。
わたしが微笑むと、皆が平伏した。
「……エイナル様。お言葉を」
「うん。……みんな、コルネリアのためによろしく頼む」
やわらかなお声に、場の空気が緩む。
ただ、デジェーだけは片眉を下げ、意味ありげな笑みを浮かべ、長い髪をかき上げていた。
そして、サウリュスはスケッチの手を止めて、物憂げな瞳を窓の外に向けている。
この場をカリスに任せ、わたしはエイナル様と退出する。
「はぁ~! やっと、街あるきですわね」
と、エイナル様の腕に手をかけた。
こうしていないと、エイナル様がいつの間にか後ろの方に行ってしまわれるのだ。
「ふふっ。昨夜から楽しみにしてたもんね、コルネリアは」
「あら? ……エイナル様は楽しみではないのですか?」
「ううん、楽しみだよ。……コルネリアの瞳が輝くところを見られるのが」
「ま」
と言いつつ、政庁を出るや、わたしの目が輝く。
ドーム状をしたテンゲル様式の屋根を近くで見上げると、色鮮やかな釉薬瓦のタイルで幾何学模様や花の紋様が描かれている。
朝陽をキラキラと反射する様は、まるで宝石箱の中を歩いているみたい。
もちろん、立派なのは裕福な者たちの家や店舗だけなのだけど、いずれは皆が望みの屋根を設えられる街に育ってほしい。
「……クランタス様式の影響ですな」
と、サウリュスが億劫げに口を開いた。
「まあ、そうなのね!?」
「……ドーム屋根は、海を越えクランタスに入った。滑らかな円みは神聖性を象徴する。……天を目指すリレダル様式とは、神聖性の概念が異なる」
ふむふむと、サウリュスが解説してくれる屋根に描かれた紋様の由来に何度も頷く。
いくつかはお母様に教わっていたけど、ここまで詳しい解説を聞くのは初めてだ。
「……コルネリア様のお陰だ」
「え?」
「神聖性には種類がある。……そんな単純なことにも気が付かず、自分の信じる美だけが美であると……、私は頑なだった」
ここに来るまで、サウリュスは何枚もわたしをスケッチしていた。
サウリュスが何に気が付いたのか、きっとそれはサウリュスだけのものだ。
けれど、この優れた画家になんらかのインスピレーションを与えられたのなら、光栄なことだ。
「うふっ。また、絵を見せてくださいね」
「ああ……」
と、サウリュスが微かに照れ臭そうな表情をして、天を仰いだ。
いつの間にか、エイナル様がわたしの後ろを歩いておられることに、しばらく気が付かなかった。
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