89.王配殿下は背中を見守る
Ψ Ψ Ψ
謁見の場において、王妃が国王に席を並べるのは通例のことだ。
王妃の椅子も玉座と呼ばれる王国が多い。
けれど、王が女性、つまり女王となると事情が異なる。
王配が女王と席を並べて謁見した例など聞いたことがない。王配に席が与えられたとしても、女王に一段譲るのが通例だ。
それだけ女王という存在は特殊であるし、王配はなおさらだ。
歴史を遡れば、諸侯の反対で妻である女王の戴冠式に出席が許されなかった王配までいる。
会場となる聖堂の外に櫓を建てさせ、窓から望遠鏡で妻の晴れ舞台を眺めていたそうだ。
けれど、コルネリアは、
「なぜ、エイナル様と席を並べてはいけないのですか?」
と、押し切ってしまった。
聡明なコルネリアが通例を知らなかったはずがない。
けれど、コルネリアの問いに明確に答えられる重臣がいなかったことも事実だ。
――女王の権威を確立し、夫が妻の権力を簒奪することを避けるため。
というのが、順当な答えになるだろう。
だけど、いったい誰が、コルネリアの権威を否定できるというのか。
歴史の表舞台に突然現れ、大河伯としてリレダルを水害から救い、今はまたテンゲルの女王に推戴された上に、リレダルの実力者である祖父、前大公を退けたのだ。
加えて、大河の国際運用を提唱し、諸歴ある三ヵ国間での条約を結ばせ、自らその盟主の座に就いた。
「えへへ……。なんだか、ちょっと恥ずかしいですわね……」
と、玉座に座るコルネリアが、頬の上側をすこし紅くして、ボクに囁いた。
可憐で美しい笑顔に、最近はどこかあどけなさまで加わった。まるで、あの異様な高い壁の中に置いてきた子供時代を取り戻そうとしているみたいだ。
あるいは、母君の幼き日を追憶しているかのように……。
だけど、ボクがコルネリアから王権を簒奪することなど、とんでもない。
とても、敵わない。
それ以上に、愛おしくてたまらないコルネリアの笑顔を曇らせるようなこと、ボクには決してすることができない。
王配として席を並べることで、コルネリアの笑顔が輝くのなら、喜んで隣に座る。
けれど、ボクはリレダル王国一の権門、ソルダル大公の世子でもある。
ソルダルは、大公国としてリレダル王国から独立しても充分に成り立つだけの勢力を持っている。
その領地は、コショルー公国よりも広く、陸上交易で西方と繋がり、大河の河川交易から外れても、実はあまり困らない。
「海から大河を遡り、ソルダル大公領の陸上交易で西方に至る。……東西交易が大河を通じて繋がれば、皆が栄えますわね」
と、コルネリアは目を輝かせる。
「そうだね。海を大回りする交易ルートと充分に戦えると思うよ」
「ですわよね! ああ……、はやく海を見に行きたいですわねぇ~」
コルネリアの知性が、未来をどこまで見通しているのか底が知れないし、天井も見えない。
だけど、皆がそうではない。
テンゲルの貴族はボクの背後に、ソルダル大公の権威と権力を見ているはずだ。
それに、クラウスが枢密院議長、ビルテが大将軍兼騎士団総長。文武のトップをリレダル王国出身者が占めている。
いまは、テンゲルの貴族たちもコルネリアに崇拝に近い忠誠を寄せている。
けれど、いつか揺らぐこともあるだろう。
そのとき、テンゲルの中枢をリレダルに乗っ取られているかのように感じることは間違いない。
せめて、ボクは一歩引くべきだ。
緩い地盤を固めるために祭りを開くというコルネリアのアイデアには唸らされた。
兵と住民が一列になって行進を繰り返すより遥かに明るいし、コルネリアは国際的な商談の場にまで仕立ててしまった。
ウキウキと祭りに出かけるコルネリアの背中は、華奢で可憐で、大きい。
「……気にせず、ボクの前を歩いて」
と、カリスに伝えると、コルネリアの親友にして〈一の忠臣〉は、すべてを解かっているかのように微笑んだ。
賑やかな祭りを、コルネリアの背中を見詰めて歩く。
ルイーセからクレームが付いた。
「……陛下の隣を歩け。護衛しにくい」
「ふふっ。ボクは自分の身くらい、自分で守れるよ」
「それにしてもだ……」
貴族の当主たちはコルネリアとクラウスがまとめているので、ボクは令息たちを相手にする。
剣の稽古をつけてやり、闘技会を開く。
「あまり、痛くないようにしてくださいね……」
と、コルネリアからの無理な注文も聞きながら、令息たちを鍛える。
コルネリアはボクに横にいてほしいと思っている。けれど、ボクは今までどおり背中を守る。見守る。
視線はおなじ方を向いている。
つもりだった。
祭りが終わり、コルネリアはテンゲル王国内の視察、女王としての行幸に出かける。
コルネリアが継承した王家領をはじめ、有力貴族の領地を回っていく。
ゆっくりと風が冬の訪れを報せる中、コルネリアはボクの馬に乗りたがった。
「ふわぁ~! 綺麗ですわねぇ~!」
と、コルネリアが目を輝かせた。
王家領にある山のひとつ。
山肌を飾るかのような、古びた石積み。
苔むしていて、古代からの遺跡のように見えた。悠久の歴史を感じさせる光景に、ボクも目を細める。
「……もっと、近くに行ってみましょう」
というコルネリアの声は、なにかを見付けたときのものだった。
馬を降り、石積みを丹念に眺める。
秋の終わりに、テンゲルの服飾工から献上された緋色のドレス姿がよく映えていた。
「これ……、段々畑ですわね」
「……え?」
コルネリアは目を輝かせて、さらにザクザクと山の中へと分け入って行く。
「やっぱり! ありましたわ、水路が!」
「……ずいぶん、高度な……技術に見えるね?」
「ええ! 修復しないとそのままでは使えませんけど、段々畑を再生すれば、この村はきっと豊かになりますわ!」
古老を呼んで話を聞くと、長年の圧政による人手不足や知識の断絶で放棄されていたらしい。
――遺跡だなんて、口に出さなくて良かった……。
と、肩をすくめるボクを尻目に、コルネリアは断絶したはずの知識をどんどん復元していく。
騎士も動員して、水路を修復。
コルネリア自身も草刈りに加わり、ボクも一緒に段々畑を整地した。
栽培にあまり手のかからない高地に適した薬草を取り寄せ、村の者たちに勧める。
「それほど高い値段は付きませんけど、たまに雑草を抜きに来たら勝手に育ちます」
注意点をこまかに教え、領民たちはそれを熱心に聞き、その目は輝く。
更地になった段々畑に敷物を敷いて、ばあやのサンドイッチを頬張りながら、隣でボクも耳を傾ける。
「邪魔だな……」
と、ボソリと呟く声が聞こえた。
見れば、コルネリアが同行を許したクランタス王国の画家がスケッチブックを開いていた。
「ん? ……ボクのこと?」
「あ……、いや……」
画家はスケッチブックから顔を上げずに、ぞんざいに応えた。
「……すみません、エイナル様」
と、コルネリアが、膝を崩してボクの顔を見上げていた。
「ああいう方なんです。気を悪くしないでくださいね……」
「ううん。大丈夫だよ」
コルネリアは立ち上がって、画家のスケッチブックをのぞきに行く。
「うわぁ~っ! サウリュス殿! ……こんなに精緻な風景画も描けるんですねぇ!」
「……デッサンくらいする」
「へぇ~っ! サウリュス殿の目には、この風景がこんな風に見えてるんですねぇ」
と、コルネリアは顔を上げたり下げたり、画家のスケッチと風景を何度も見比べた。
目を輝かせながら。
「エイナル様! エイナル様も見に来て下さい! 早く早く!」
と、コルネリアが飛び跳ねんばかりに興奮してボクを呼ぶ声で、我に返った。
――あれ? いま……、ボクは何を考えてたんだっけ……。
と、苦笑いしながら腰を上げた。
本日の更新は以上になります。
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