9.冷遇令嬢は義妹に命じた
クラウス伯爵は、ジッとわたしの瞳を見詰めて動かない。
その視線に温もりはなく、感情の揺らぎも、迷いも、なにも感じられなかった。
わたしの周りはクラウス伯爵の連れてきた護衛騎士にも囲まれてしまい、その向こうには人だかりが出来ていた。
逃亡のチャンスを、わたしは逸した。
わたしの脚では、駆けても彼らを振り切ることは到底出来ない。
「……で、コルネリア様を連れ帰り、グレンスボー子爵との縁談を破棄すると?」
と、クラウス伯爵は、わたしを見詰めたまま、父に冷たく低い声を響かせた。
途端に、父が、クラウス伯爵に阿るような笑声をあげる。
「はっはっはっ。ご案じ召されるな、伯爵殿。わがモンフォール侯爵家にはフランシスカがおります」
「ほう」
「聞けば、グレンスボー子爵というのは爵位に見合わず、随分な資産家の様子。長い戦争で互いの国情を知らなかったとはいえ、コルネリアなどを送るとは失礼なことをしてしまった」
「コルネリア様は、グレンスボー子爵には相応しくないと?」
「ええ、親の私が言うのも何なのですが、コルネリアには学がなく、世間も知らない。とても、資産家の夫人など務まりますまい」
「私なら、立派に務めてみせますわ!」
と、フランシスカが、得意げに胸を張り、顎をあげた。
「なるほど、侯爵閣下の申されようは、もっともなことです」
クラウス伯爵は、わたしを見詰めたまま、抑揚のない声で父に応えた。
事ここに至っては、無様なふる舞いは出来ない。わずかな期間でも、外の世界に触れられ、素敵な生活を享受出来た。
またお母様との思い出がいっぱいに詰まった別邸に戻って、あとは静かに暮らそう。
わたしは目を伏せた。
「おお、お分かりくださいますか、伯爵殿。両国和平のための縁談。粗相があっては、わが家の名折れ……」
「ときに侯爵閣下。貴殿の宮廷での役職は何でございますかな?」
「や、役職というのは……」
「無役にございますか?」
「い、いかにも。今は無役にて気ままな生活を……」
「お父様? ここは他国なのですから、隠されることはありませんわ」
と、フランシスカが、なにかを嘲るような声で言った。恐らく、クラウス伯爵を見下しているのだろう。
父の狼狽した声が重なった。
「……フ、フランシスカ?」
「お父様は、国王陛下の信頼篤く、内密にご相談を受けられていると、常々、仰られているではありませんか?」
「そ、それは……、内密のことであってだな。フランシスカ」
「役職にないからといって、伯爵ごときに侮られる謂れはないでしょう?」
「ほう。それでは、侯爵閣下はバーテルランド国王の顧問であられると?」
クラウス伯爵の声が、かすかに揺らいだ。
わたしが目を開けると、得意満面のフランシスカが「フフンッ」と、まるく大きな鼻で笑っていた。
――王の顧問とは、大臣より権勢を振るうこともある要職。行政執行権を握ることもあるというのに、フランシスカはその言葉の意味さえ理解していないのだ……。
父は顔を青ざめさせて、引きつった笑いを浮かべているし、恐らく父はフランシスカに〈吹いて〉いただけだ。
どうにか取り繕わないと、モンフォール侯爵家は取り返しのつかない大恥をかくことになってしまう。
わたしが、ここから何を言えば良いのか、言葉を手繰り寄せる前に、クラウス伯爵が口を開いた。
「ならば侯爵閣下は、今回の和議が薄氷を踏むようなバランスで成り立っていることを、ご存知であられような?」
「む、無論……、存じておる」
「……6年に及ぶ終戦交渉は、いま、ようやく停戦の合意。両国間で取り交わした縁組が、すべて成婚にいたって、初めて平和条約の締結となります」
「そ、そうでしたかな……」
「ここに至るまでの、和平交渉がいかに苦しいものであったことか」
「は、伯爵殿は見てきたようなことを言うが、この交渉の何をご存知だと仰られるつもりだ?」
「私の前職は、わが国の群臣筆頭ソルダル大公閣下の秘書官。和平交渉の実務責任者だ!! クラウス・クロイの名を知らずして、この和平を語るなど、片腹痛いわ!」
キレた。
初めて見た。人はキレると、こうなるのか。場違いなのは分かってるけど、ちょっと目が輝く。
口をパクパクさせる父に、クラウス伯爵が咳払いをひとつした。
「……それを一方的に、長女から次女に差し替えようとは……、わがリレダル王国を侮っておられるのか?」
「いや、そういうことではなく……」
「これほどまでの侮辱を受けては、たちまち戦闘は再開。まずは、侯爵閣下の領土から攻め入らせていただくことになりましょうが、そのお覚悟はおありですかな?」
「政務総監、クラウス・クロイ伯爵」
と、わたしは、穏やかにその名を呼んだ。
「ははっ」
「それ以上言えば、お互い引っ込みがつかなくなる。ここまでにせよ。……総督代理としての命である」
「かしこまりました。コルネリア総督代理閣下の仰せのままに」
と、クラウス伯爵は抑揚のない声で応え、わたしに片膝を突き、父とフランシスカが目を丸くした。
「お父様。フランシスカ。……縁あって、わたしはここエルヴェンの地で、総督代理の任を受けることになりました」
「な、なんでぇ!? そんなの、おかしいわよ!? 絶対、おかしい!」
と、フランシスカが喚き始める。
立ち上がったクラウス伯爵が、濃い茶色の眉を寄せた。
「なにが、おかしい?」
「だって、お姉様はまだモンフォール侯爵家の人間で……」
「有能な者は、他国の者であっても登用する。当たり前のことではないか」
「だって、そんな、学のないお姉様が役職に就けるだなんて!?」
「コルネリア閣下の総督代理へのご就任は、わが国王陛下よりのご裁可も受けてのこと。これ以上に侮辱を重ねるのであれば……」
「クラウス殿? 可愛らしいでしょう? わたしの妹は」
クラウス伯爵が、キョトンと虚を突かれたような顔で、わたしを見た。
「……は?」
ええ。可愛らしくありませんよ。
わたしの義妹は。
「ふふっ。……モンフォール侯爵、およびその令嬢フランシスカ。総督代理として、エルヴェンからの1時間以内の退去を命じます」
護衛騎士たちが、ふたりを取り囲む。
青い顔をした父が、フランシスカの口を両手を使って力ずくで押さえ込んだ。
「異義あれば、帰国の後、貴国の宰相閣下を通じて抗議されるがいい。……どう?」
と、わたしはクラウスに視線をやった。
「どう……、とは?」
「こんな裁定でいいかしら? ……政務総監殿の助言を求めているのですけど?」
「まあ……、よろしいでしょう。少し甘い気もしますが、コルネリア様のご家族ですから」
ヒソヒソ話をする、わたしとクラウス伯爵を、フランシスカが険しい目つきで睨んできた。
クラウス伯爵は、冷厳な表情は崩さないままだったけど、すこし腰をかがめて、耳をわたしの口元に寄せている。
フランシスカには悪いけど、いい男といい女が親密そうに見えるわよね。
悪くはないんだけど。
クラウス伯爵はわたしに好感情は抱いてないようだけど、この和平をなにより大切に思っていることが見てとれた。
なら、エイナル様の命じられた、わたしの総督代理としての立場も尊重されるはず。
という読みがあたり、胸を撫で下ろした。
バカには見えなくても、賢くも見えなかったわよね? ね?
「エイナル様には、できれば内密に……」
と、クラウス伯爵に耳打ちするわたしを、フランシスカは恨めしげに睨みながら、父と一緒に、護衛騎士たちに護送されて行った。
見守っていた群衆が、わたしたちに拍手を贈ってくれる。
見れば、ドレス店の店員が、小さくガッツポーズをしている。よほど、尊大なふる舞いで困らせていたのだろう。
恐らく、群衆に話の内容は解っていない。
ただ、敵国から来た偉そうな貴族がやり込められたことに、溜飲を下げただけだ。
和平プロセスが始まったとはいえ、敵国に対して複雑な感情を抱いているのは当然。それを、父とフランシスカは無遠慮にも、逆なでしたのだ。
――さすがに、あのバカっぽさはマネできないわね……。
と、苦笑いしながら、視察を再開した。
クラウス伯爵は、変わらず冷淡な表情だったけれど、エルヴェンの復興状況を細かく教えてくれる。
施策も説明も的確で無駄がない。クラウス伯爵の敏腕ぶりが窺える内容だった。
さすが、和平交渉の実務責任者を任され、今は戦場だった国境の街の統治を任されるだけのことはあると、感心した。
夕陽が大河を染める景色は絶景で、わたしはカリスと並んで、しばし見惚れる。
クラウス伯爵が、頭上から冷たい声を降らせた。
「いかがでしたかな? 視察されて」
「とても楽しかったですわ!」
「楽しかった……、ですか」
「ええ、とても! 街の人たちがみんな笑顔で頑張ってて、わたしも元気をもらいましたわ!」
やはり、わたしは、フランシスカとは別の路線でバカっぽさを追求しよう。あれは、マネできない。本物には勝てない。
「……なにか、お気付きのことはございませんでしたか? コルネリア様」
「気付いたことですか?」
「たとえば、復興に役立ちそうなことなど、お気付きのことがあれば」
「エルヴェンに来るまでの川下りが、とても楽しかったですわ!」
「……川下り、ですか」
「遊覧船なんかどうかしら!? あの雄大な自然と、立派なお城の数々。わたしも、また見たいですわ」
「遊覧船……」
と、クラウス伯爵が、眉をピクリと動かした。
復興途上にあるエルヴェンで、呑気な娯楽など、……と、呆れている様子だ。
総督府に戻る馬車で、カリスに囁く。
「わたし、バカっぽかった? いきなり、遊覧船とか言い出して」
「ええ……」
と、カリスは苦笑いしながらうなずく。
わたしは満足して、宵闇に包まれた総督府を、窓からのぞいた。
わたしの頭の中で、遊覧船の事業計画、3ヶ年の財務計画、人員計画と損益計算が完成していることは、カリスにも内緒だ。
「遊覧船。実現するといいなぁ~」
わたしの呟きに、カリスが微笑む。
フランシスカと父のことは、忘れてた。
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