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86.冷遇令嬢は勝負どころ

晩夏の日差しが明るく照らす天幕で、筆運びに目を見張る。


見慣れた青の顔料と緑の顔料が、まるで落ち着くべきところに落ち着いたような、神秘的な鮮やかさを放って見えた。



「……こんなものか」



と、画家のサウリュスが、絵筆を置く。



「へぇ~っ! すごいです! たしかに同じ絵の具とは思えませんねぇ!」


「……アズライトは天上の青、マラカイトは楽園の緑。至上の色彩」



思わず興奮した声を出したわたしに、サウリュスは億劫そうに応えた。


一見すると女性かと見紛うような中性的で整った顔立ちに物憂げな表情を浮かべ、イーゼルの前から立ち上がる。


細身ながらも骨格の確かさを感じさせる、均整の取れた長身。前かがみに自分の描いた習作をのぞき込むと、腰の位置が高くて、ほそい脚の長さが際立つ。


長く伸ばし、ふわりと広がる芥子色の髪を、磨かれた象牙のような指でかき上げ、慣れた手つきで絵の具皿を手に取った。



「……ただ空が青いから、森が緑だからと安易に使うものではない」


「なるほどぉ~。よく分かりましたわ! ねぇ、エイナル様!」


「うん……、そうだね」



と、わたしの後ろに立つエイナル様は苦笑いしていた。


さらに後ろのカリスは眉間にシワを寄せ、ナタリアは見るからに怒っている。


サウリュスの声にこもる、皮肉っぽい態度が不満なのだろう。


天幕の外から、耳に喧騒が戻ってくる。



「サウリュス殿。良いものを見せてもらいました。……そちらの顔料は差し上げますので、また使い心地を教えてください」



と、わたしの言葉に、サウリュスは億劫げに頭をさげた。


外に出ると、活気に満ちている。


延々と天幕が立ち並び、さながらバザールのような賑わいだ。


テンゲル王都の大半、庶民の居住区はほとんど更地になった。


地盤沈下でダメージを受けた建物を取り壊し、掘り返して土を入れ替え、さらに土を入れた。


このまだ柔らかい地面を踏み固めるため、お祭りを開くことにしたのだ。


カリスが目をほそめ、どこまでも続く天幕の列を見詰めた。



「……二度と見られない風景ね」


「そうね、土地が固まったら、いよいよ民の住まいの再建だからね」



人々の賑やかな声に混じって、楽団の演奏や、詩人の歌声が響く。


リサ様を通じてブロムから芸術家を大量に招いた。もちろんテンゲルの芸術家もいるし、バーテルランドから足を運んでくれた者たちもいる。


サウリュスは、テンゲルより下流に位置する3国家のうち、河口に位置するクランタス王国から派遣されてきた。


招いたのは芸術家たちだけではなく、商人や製造業者もだ。



「おおっ! コルネリア!」



と、大きく手を振ってくれたのは、蒸留所の親方だ。



「ジイちゃん! どう? サジー酒の売れ行きは?」


「はははっ! リレダル王国の商人といい話が出来た!」


「ふふっ。良かったね」



歩み寄ったわたしに親方がホクホク顔で応える。


隣で、コショルーの義叔母、ノラが両手を腰にあて苦笑い気味にため息を吐いた。



「まったく。コショルーに回す分まで売ってしまうんだから」


「ははははははっ! 炭の代金で、別の酒を仕入れられるだろ? ワインもラム酒も美味いぞ!? ま、一番はウチのサジー酒だけどな!」


「ウチは炭焼きの村であって、酒屋の村じゃないってのに」



と言いながら、ノラも活き活きとした表情で笑っている。



「ノラ義叔母(おば)さん、可愛らしいエプロンですね。赤紫色が落ち着いてて」


「そうかい? 普通のアカネ染めだけどね」


「へぇ~っ!? アカネでこんな色が出るんですね」


「なんだい、なんだい? エプロンも売れそうかい?」


「う~ん……、いけそうな気が……」



わたしが開いた〈お祭り〉は、要するに物産展で、ビジネスマッチングの祭典だ。


戦争で途絶えていたバーテルランドより上流の河川交易が30年ぶりに再開。リレダルの商人が売り込みと買い付けに押し寄せている。


わたしの領地であるエルヴェンからも、ソルダル大公領からもホイヴェルク公爵領からも、もちろんリレダルの王都からもだ。


バーテルランドの商人も、敵国だったリレダル商人との商談をするのに、まずは第三国であるテンゲルの方が雑音が少ないと、わざわざ足を運んでくれている。


そして、交易の経験がないコショルーからも、豪族たちがとりあえず民芸品の売り込みに来ている。商人との顔つなぎが出来るだけでも、大切な一歩だ。


テンゲル王都の民は、彼らを相手に露天を開いて食事や商談の場を提供。生活再建に向けて稼ぎ時だと張り切っている。



「……コルネリア、これ」



と、ノラがエプロンのポケットから、ちいさな木彫りのブローチを出した。



「お誕生日なんだろ?」


「ええ~っ!? 嬉しいです!」



まん丸のブローチには鳥の図案が彫り込んである。素朴だけど彫り込みは精緻で、独特の味わいがあって可愛らしい。



「ふふっ ……女王様につまらないもので申し訳ないんだけどさ」


「そんな、つまらなくなんかないですよ。……大切にしますね」



わたしが人を呼ぶためのお祭りをやろうと言ったら、クラウスに〈コルネリア生誕祭〉にされてしまった。


道々でお祝いの言葉をかけてもらうし、各国からは祝賀使を送られてしまった。


ノラに声を潜める。



「……ノラ義叔母さん。売れますよ、これ」


「そうかい?」


「よく出来てますし、リレダルじゃ見かけない意匠ですし……」


「じゃあ、コルネリアが付けて歩いておくれよ」


「……なかなか商魂たくましいですね、義叔母様」


「ふふっ。いちばんの宣伝だろ?」



服飾産業の盛んなリレダルからは大量のドレスが無償提供されていて、いまのわたしは歩く広告塔だ。1日5回着替えてる。


テンゲルでは宝飾産業が盛んで、イヤリングやネックレスが届けられた。


コーディネイトには、ナタリアが張り切ってくれている。


お祭りを始めて1ヶ月。


通行税を大幅に引き下げたので、テンゲル王国各地の諸侯領からも商人や豪農が集まり始めている。


さらに評判を聞き付けた周辺諸国からも、続々と商人が集まっており、賑わいは増す一方だ。



「……まだ、2ヶ月あるのよね」


「ネルの狙い通りでしょ?」



と、カリスが涼やかに笑った。


天幕を張っただけの簡易の酒場で、皆が手にする紙ビラにチラリと目をやって、思わずはにかむ。



「……そうなんだけど、今日のコルネリアのファッションって号外が毎日配られてるのは、ちょっと荷が重いというか……」


「いいじゃない。……バーテルランドを出て最初のネルのお誕生日会。盛大に祝ってもらったらいいのよ」



まもなく、わたしは20歳になる。


別邸から出て、1年。


エイナル様と出会って、1年。


ノラに貰ったブローチを胸に付けてもらい、振り向くと、エイナル様が少し遠い。


カリスとナタリアと、親衛長に復帰したルイーセさんの向こうにいる。



――どうですか、このブローチ……、って聞きたかっただけなんだけどな。



声をかけるには、少し気恥ずかしい距離。


後で見てもらおうと思って、視線を滑らせるとナタリアが難しい顔をしていた。



「……なんなんですか、あの画家の態度は? コルネリア陛下に対して失礼です」


「ふふっ。……色んな人がいるわよ」


「ですがっ……」


「懐かしいわね。クラウスに初めて会ったとき、カリスが同じこと言ってたわ」



キョトンとするナタリアに、クスリと笑った。


カリスは涼しい顔だ。



「それに、サウリュスは大事なお客様よ? ……媚びることも卑屈になることもないけれど、顔料は買ってもらいたいわね」



バーテルランドのアズライトとマラカイトが採れる低地の鉱床に、父の引き起こした洪水が大打撃を与えた。


青い宝石アズライトと緑の宝石マラカイトは割れやすい上に、多孔質で汚れに弱い。なのに、掘削中の坑道を大量の泥水に浸けてしまったのだ。


そこで、モンフォール侯爵領で引き受け、顔料に加工して輸出を始めていた。


宝石としては価値を減じても、細かく砕いて精製すればマウンテンブルー、マウンテングリーンとして珍重される顔料になる。



「リサ様を通じてブロムに出荷してたけど、生産が順調で在庫がダブつき始めてるのよねぇ……」


「……それは、そうかもしれませんけど」


「気難しく見えるのは、顔料の質がお眼鏡に適っているからよ?」


「え? ……そうなのですか?」


「ふふっ。気に入らなかったら、口も利いてくれないタイプだと思うわ」



サウリュスの母国クランタス王国からは、即位の祝いに聖像画を贈ってもらった。


その返礼に、アズライトとマカライトの顔料をふんだんに使った風景画を贈ったら、早速、サウリュスが派遣されて来たのだ。



「取り引きは商人とするにしても、まずは画家さんに気に入ってもらわないとね」


「な、なるほど……」



と、まだ不満顔のナタリアに、失礼のないようにねとカリスが優しく諭す。


夜は各国から派遣されてる大使や、豪商を招いて晩餐会や舞踏会。


テンゲルの交易機能は王都に集中している。復興と再建が順調に進んでいる様子をしっかりアピールしておきたい。


調査の結果、王宮と高位貴族の邸宅は軽微な補修だけで再利用が可能だった。


はるかな昔、王都が建設された時点で地盤の弱さが認識されていて、身分の高い者たちだけが対策していたことには苦いものを感じてしまう。


けれど、今はそうも言っていられない。


高位貴族の邸宅はすべて接収して改装。長屋状にして避難民の仮設住宅にした。


高位貴族の仮住まいは王宮内に設け、さながら集合住宅(マンション)のようにして、王都機能の再建に皆であたっている。


時間をあければ、これから盛んになる河川交易から、テンゲルだけが取り残される。



「勝負どころです!」



と、わたしの大号令に、皆が気を引き締めてくれた。


昼間はできるだけ、祭りを歩いて、みんなと一緒に楽しむ。


王が笑顔を見せれば、皆が活気づく。


といっても、各国の文化や商品に触れると自然に目が輝く。まだ見ぬ〈お出かけ〉に夢を膨らませ、知らず笑みがこぼれる。


水没から早期に復旧させた、テンゲルが誇る排水技術の売り込みにも余念がない。


大河委員会議長、通称大河伯としても、各国に普及させたい技術だ。


縄張り争いのようなことをしていた排水技師たちも、王政の刷新によって意識を切り替えてくれたようで、一丸となっている。


そんな笑顔あふれる人群れの中で、ひとりムスッと不機嫌な顔を見付けた。


画家のサウリュスが、ブロムの絵画を鋭く睨みつけていた。

本日の更新は以上になります。

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 あの前大公の手下の技師はどうしたんだろう。ちゃんと頚斬った(物理)?
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