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82.冷遇令嬢は静かに待つ

混成艦隊の大船団を、リレダルとバーテルランドの国境、わたしの領地であるエルヴェンで停泊させた。


テンゲルから同行させたフェルド伯爵を使者として、リレダルの王都ストルムセンに向かわせる。


リレダル王にわたしの即位を報告し、同時に前大公によるテンゲル王国での反乱扇動に対し、強く抗議させるためだ。


王太子妃であるカーナ様にも同行していただき、ことの顛末を王都に報せる。


もちろん、抗議はリレダル王を責めるためではない。前大公を失脚させるためだ。


ことは外交問題であり、前大公は自身の釈明に追われる。


フェルド伯爵の大柄で穏やか、かつ飄々としたふる舞いは、両国間の関係を悪化させることなく前大公を追い詰める緩やかな波紋を、王都に起こしてくれる。


前大公がわたしにかけた濡れ衣は、そのままテンゲルとの友好を象徴するものに変わる。わたしは微笑を浮かべて、ただそれを待てばいい。


思い出の旧総督府であり、いまはエルヴェン公爵となったわたしの主城の温室で、エイナル様とお茶をいただく。



「お祖父様の首に縄をかけてでも、ボクたちの結婚式に出席させておけば良かった」


「ふふっ。そうですわね」



エイナル様の祖父である前大公に、わたしはまだお会いしたことがなかった。


バーテルランドとの和平を象徴する、わたしとエイナル様の結婚が不満でいらしたのだろう。


エイナル様が肩をすくめて笑った。



「お祖父様だって長きに渡ってソルダル大公の座にあった傑物。バーテルランドとの戦争を主導した一代の英雄だよ?」


「ええ……、それは」


「……大河伯の役職だって、お祖父様の建議で設けられたんだ。リレダル諸侯が戦争に集中できるように……、ってね」



前大公の思惑を超え、大河伯の権能は和平を象徴するわたしの存在を高めた。


皮肉なものだけど、制度とはそうしたものだ。ひとり歩きする。



「……コルネリアに会ってさえいれば、お祖父様だって『こりゃ、敵わない』ってひと目でお解りになられたと思うんだけどなぁ~」


「そ、それは、どうでしょうね?」



エイナル様は父君であるソルダル大公閣下に従い、前大公を引退に追い込まれた側に立たれたお方だ。


けれど、根底にはお祖父様に対する尊敬の念を抱いていらっしゃる。


複雑な思いを察することは出来ても、迂闊な言葉で言い表すことは控えた。


国王専制に近かったテンゲル王国では、国王評議会、つまり枢密院の設置によって穏健な中央集権化への道を拓いた。


中央集権化と、枢密院を通じた諸侯の意思の反映は、王国全体を効率的に統治し発展させる礎になるだろう。


バーテルランドでは身分君主制が進み、宰相職が束ねる官僚制度が進展している。


それらに対して、リレダル王国では封建的君主制の色合いが強い。諸侯が集う宮廷の権限が強く、属人的な権力のせめぎ合いで国の進路が決まる。


序列に関わらず、前大公が宮廷に出席することは国王陛下でも阻めない。


いまは、わたしが宮廷に乗り込むよりも、混成艦隊の大船団を背景にしてエルヴェンで静観する方が、前大公の勢力を削げる。


リレダル王や大公閣下など、わたしに好意的な方々は『女王に即位しながら、慎ましやかな振る舞い』と受け止めてくださる。


反対に、前大公などわたしに反感を抱く者たちからは、エルヴェンを〈エルヴェン公国〉として独立させる動きか、エルヴェンのテンゲル王国編入を目論んでいるように見えることだろう。


それは、前大公への支持を失わせていき、いずれは孤立させる。


前大公は宮廷に顔を出すことができなくなって、再度の失脚となる。


わたしはエルヴェンで静かに待っているのが、最も平穏な決着になる。


といっても、わたしは忙しい。


コショルー公が引き連れた豪族たちに、エルヴェンの街並みを案内して歩く。



「おかみさ~んっ!」



と、果物屋に立ち寄って抱き付くと、頭を撫でてもらった。



「今度は女王様だって?」


「そうなのよぉ~」


「いいのかい? 私なんかとこんな風に付き合ってて?」


「冷たいこと言わないでよぉ~」



リレダル特産の果物を見繕って、豪族たちにふる舞う。経験のない甘い果実に、いい年をしたおじさんたちが顔を蕩かせた。


長く国を閉じてきたコショルー公国の皆に、まさに交易の果実を味わってもらう。


遊覧船エイナル&コルネリア号に皆で乗り、穏やかに歓談し、景色を楽しみ、世界の広さを語り合う。


老ガイドも元気そうでなにより。


バーテルランドの宰相閣下とは、今後の関係性を整理していく。


国元のバーテルランド王とも書簡を交し合い、モンフォール侯爵としての臣従礼は代人によるものとし、わたし本人はテンゲル女王として遇してくださると決まった。


前大公の陰謀の目的はバーテルランドへの再侵攻であり、事態収束までは宰相閣下と水軍がエルヴェンに駐留、推移を見守る。


夜のテラスで、カリスと雨のそぼ降る空を見上げた。



「バーテルランドの国王陛下としても、よほどネルを手放したくないのね。……万が一にも侯爵位を返上されるくらいなら、女王として対等に接する方がいいってことでしょ?」


「……まあ、ありがたい話よね」


「お祖父様とは、どう?」


「う~ん……、距離感が……」



コショルー公との関係は、なかなか安定しない。


立場を離れると、お互いどう接したらいいものかと、会話が続かないのだ。



「……カリスはお祖父さんと、どんな話をしてるの?」


「普通よ、普通。さすがに、ネルの参考にはならないわよ」


「そうよねぇ……」



祖母である公妃の処遇も問題だ。


仲良く出来るとは、とても思えないけれど、テンゲル女王に即位した身として、王族である公妃を今のままにも出来ない。


これからテンゲルとコショルーが結んでいく友好関係の、喉元に刺さったトゲになってしまうだろう。



「まあ……、エルヴェンで引き取るのが妥当な線かしらね」


「そうねぇ……。テンゲル王国内ではコショルー公がいい顔をしないだろうし、……モンフォール侯爵領にはテレシア様のお墓があるものね」


「そうなのよねぇ……。お母様には、ゆっくりお眠りいただきたいし」



王都では前大公が悪あがきを見せているようだけど、失脚は確実。水面下では前大公の処遇に焦点が移っている。


リレダル王国内に置けば、また政変を仕掛けてくる恐れもあるし、バーテルランドは前大公自身が敵視している。


テンゲルには内乱を扇動された怨みがある。


結局、コショルー公国に引き取ってもらう方向で調整中だ。



「ふふふっ。ネルのお祖父様と、エイナル様のお祖父様。……仲良くしてくれたらいいわね」


「そう、うまくいくかしら?」



テンゲルの前国王一家は、義父ソルダル大公に引き取ってもらう。


元王子たちは大公家の家臣に加え、本人たちの努力次第では、大公領内の在地貴族として家の再興も可能だろう。


いずれエイナル様が大公位を継承された暁には、間接的に王配殿下の臣下として遇していることにもなる。


わたしに戴冠させてくれた前国王の系譜を丁重に扱っているという体裁であり、テンゲル王国内にも説明が付きやすい。


諍いの火種は、前もって潰しておきたい。


カリスに手伝ってもらいながら、懸案をどんどん片付けていく。


ナタリアも、なかなかの敏腕だ。


大河伯を免職された訳ではないので、王都の大河院と連絡を取り合い、雨期対応に遺漏がないことを確認。必要な指示も出す。


わたしとの同行を望んだエマは正式にメイドとして採用した上で、弟と一緒にばあやに預けた。


年齢相応の子どもらしい生活を取り戻させながら、将来を一緒に考えてあげたい。


カリスに懐いた孤児のアロンも、エルヴェンに同行している。


コショルーにルーツを持つアロンは、カリスに名乗った名前をそのまま使いたいと、箱に封じた本名を大切に持っている。


本来は名前を捨てるためのものではないのだと、祖父コショルー公から教わった。


エルヴェンに停泊する大船団は、そのまま大きな需要となって、街に特需をもたらしている。


賑やかな街を、エイナル様と歩いて微笑み合う。


魚市場で、チラッとフランシスカをのぞいて、額に汗して真面目に働いているなと、うんうん頷く。


やがて、雨期が終わり、晴れ渡った青空に入道雲が伸びる頃、ユッテ殿下がエルヴェンにお運びくださった。



「コルネリア陛下! 可愛いユッテ殿下が勅使として派遣されてきたぞ!」


「……可愛いって、ご自分で仰られます?」



と、苦笑いでお迎えしたけど、久しぶりに拝見させていただくユッテ殿下の笑顔は、たしかに可愛らしい。


王都の政変収束を報せる勅使に、相応しい人選だった。

本日の更新は以上になります。

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