78.冷遇令嬢は皆を率いる
全速力で馬車を飛ばす。
車輪は水たまりから泥水を跳ね上げ、窓には雨粒が斜めに這う。
コショルー公は、わたしの即位への協力を約束してくれた。
たくさん感傷に耽りたいことがある。
だけど、それらは全部、後回しだ。
決意は既に長老の小屋で思い悩んでいた時間にすべてを固めた。同時にその時間の分だけ予定に遅れが出ている。
ともかく、一刻も早く軍船に戻り、テンゲルに戻らなくてはいけない。
カリスが、ばあやが、カーナ様が、ビルテさん、ルイーセさんが、民を守ってわたしたちの帰りを待っている。
ナタリアが柔らかくて色っぽい微笑みを浮かべ、わたしにヴェールを付けてくれた。
「……ご事情のすべてを知る訳ではございませんが」
「うん……」
「顔を隠すことが、救いになることもございますわ」
「ふふっ。……わたし、そんなにヒドイ顔をしてた?」
「いいえ、とんでもない。お美し過ぎて、私の目がくらんでしまいそうだっただけですわよ?」
冗談とも本気ともつかぬ、ナタリアのうっとりとした声に乗っかることにして、わたしはヴェールの奥で静かに目を伏せた。
一瞬だけ頬を赤くしたクラウスにおんぶしてもらい、軍船に登る。
甲板で雨に打たれながら指示を飛ばし、濡れて貼り付くヴェールを取った。
馬車を引き上げ、馬を乗せ、出航の準備を急ぐようにとクラウスに命じた。
ずぶ濡れになって船室に戻ると、エイナル様がわたしの頭にタオルを乗せ、微笑んでくださった。
「おかえり。コルネリア」
ただ、それだけを言ってくださった。
世界のどこにいようとも、ここがわたしの帰る場所なのだと、エイナル様の胸に飛び込んだ。
「……ただいま。ただいま、エイナル様」
雨でずぶ濡れのわたしは、エイナル様の胸元まで濡らしてしまう。
だけど、エイナル様は何も仰られず、優しくわたしの髪を拭き、そして撫でてくださった。
軍船が動き始めたとき、エイナル様を濡らしているのが雨水だけではないと、エイナル様にも気付かれることはなかった。
Ψ
ぶ厚い雨雲が隠しているけど、日は既に中天を過ぎ、夕刻に向かおうとしていた。
支流は増水し、流れが急になっている。
下る船足の速度は増すけれど、それ以上に危険も増す。
クラウスは艦橋に張り付いて操船の指揮を執り、それ以外の主だった者たちを船室に集めた。
ナタリアとハンリに、テンゲル貴族の対コショルー感情を問うた。
「そんなこと、コルネリア様のご美貌と知性を前にしたら、なんの問題にもなりませんわっ!!」
と言うナタリアをなだめ、実直に考え込んでいたハンリに目を向ける。
お母様の書簡をコショルー公に見せた。
――母に捨てられた私は、名を捨てる。あらゆる縁を断ち切る。
約30年ぶりに届いた娘の苛烈な決別の言葉は、老いた父親に悲痛な表情を浮かべさせた。
けれど、一緒に出てきたルビーの指輪がコショルー公家のものであると確認された。
わたしにはテンゲル王家と同時に、コショルー公家の血が流れている。
手痛い敗戦を喰らったコショルーに対し、テンゲル貴族が反感を抱いていることは充分に想定できる。そこをどう乗り越えるのかは、ひとつの山場だ。
ハンリが顔をあげた。
「……テンゲル貴族は、コショルー公国から攻め込まれるのではないかと怯え続けてきました」
「あ……、そうなるのか」
「コルネリア様のご即位で、その恐れがなくなると考えれば……、コショルー公家につながることを理由にして反対する者はいないのではないかと」
なるほど。入り組んだ感情というのは、置かれた立場の者に聞いてみないと分からないものだ。
炭焼きの村で、ノラを降ろす。
結局、豪族からの接触はなかったけれど、
「いや~っ! 立派な船に乗せてもらって楽しかったよ! ……いい男もいっぱい見られたしね」
と笑うノラに、丁重に礼を言った。
改めての来訪を約束し、ふたたび軍船を下らせてゆく。
船室で軍議を続けた。
「……わたし自身が即位を望むことは致しません。飽くまでも高位貴族からの推戴を受けてのことでないと意味がありません」
わたしの言葉に、興奮気味のナタリアは小刻みに何度も頷き、ハンリはゆったりと深く頷いた。
エイナル様が首をひねって、天井を見上げられた。
「……もしも、高位貴族がコルネリアの即位に賛同しなかったら、どうするの?」
「エイナル様。わたしは即位が、したい訳ではないのです」
と、苦笑いを返す。
「……そのときは、王弟を推戴するよう促して、高位貴族がまとまるよう努力いたします。……極端なことを言えば、国がまとまるのなら、王は誰でもいいのです」
「選ばせる訳か……」
「その通りです。……恐らく、反乱を裏で主導したと思われる公爵による高位貴族の切り崩しが、まもなく始まります」
「……それには先手を打ちたいね」
「はい。……リレダルの前大公とつながっている公爵の即位だけは、なんとしても阻止したいところです」
「そうだね。バーテルランドとの戦争が、より戦線の広がる形で再開してしまう」
軍船は急流を下り続け、その間、綿密な打ち合わせを重ねた。
そして、夕闇迫るころ、サジー酒の名産地、フェルド伯爵領まで戻る。
ナタリアに、父伯爵のもとに走ってもらうため馬車を降ろそうとしたら、笑って断られた。
「私、馬に乗れますわ! 港の者に馬を借りますから、体ひとつで降ろしてくださいませ!」
と、ヴェラの小父さんも馬の後ろに乗せ、颯爽と雨の中を駆けて行った。
「……やっぱり、わたしも練習しようかなぁ……」
わたしのつぶやきに、エイナル様が肩を抱いてくださった。
「コルネリアは、ボクの前に乗ればいいよ」
「ええ……、そう仰いますわよね。3度も落馬しかかったところを見たら……」
「あ、ううん。……そういうことじゃなくてね……」
「……へたっぴですから」
まったく。城壁から落下しても無事だったお母様の運動神経は、どうして受け継げなかったのだ。
口をへの字に曲げて、出港する軍船からナタリアの小さくなる背中を見送った。
――いや? ……単に鍛錬が足りてないだけかもしれない。
などと自分の身体に問いかけながら、日の沈む支流の宵闇を見詰めた。
クラウスの指揮する操船は見事で、急流をうまく乗りこなし、まもなく篝火に照らされる船団のもとへと帰り着いた。
テンゲル水軍に動きはなく、バーテルランドの宰相閣下が率いる船団に包囲されたままでいた。
10年ぶりに帰って来たような感慨を抱くけれど、まだ3日しか経っていない。
ただちにハンリが、父ケメーニ侯爵のもとへと走る。
そして、宰相閣下がわたしの船に訪ねて来てくださり、カリスからの早馬を飛ばした書簡を渡してくれた。
――王都の浸水、想定より早く。住民同意の上、水没策を実行した。下級貴族を切り崩し、半数は投降。前大公の陰謀の証拠を押さえた。
さすがに苦笑いした。
カリスに託した仕事をすべてやり遂げている上に、下級貴族の切り崩しまでやってくれている。
「カリスは働き者だねぇ」
「……わたしの大切な侍女長様ですから」
エイナル様と微笑み合う。
翌朝。ハンリの報を受けたケメーニ侯爵の兵が姿を見せる。
続いて、大きく手を振るナタリアを先頭にして、フェルド伯爵の船団も現われた。
そして、続々とテンゲルの高位貴族たちが兵を率いて集結し始め、そのすべてが、わたしに片膝を突いて忠誠を誓い、即位への賛同の意を表した。
4日後、陸と河とで包囲する水軍基地で、わたしは皆を率いて王弟と対面する。
王弟もわたしの即位に賛同。
指揮権が移譲され、わたしはテンゲル水軍の掌握に成功した。
ただちに、全軍を率いて王都への進軍を開始する。
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