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75.冷遇令嬢は受け止める

  Ψ  Ψ  Ψ



深夜。就寝の支度をしていたノラに無理を言って、同行を頼み込む。



「可愛い姪っ子の頼みだし、お父ちゃんの指図じゃしょうがないねぇ」



と、ノラは急いで着替えてくれた。


養父の長老を「お父ちゃん」と呼び、わたしを「姪っ子」と呼んでくれる。


ノラが母テレシアのことを義妹(いもうと)として、今も愛おしく思ってくれていることが、無性に嬉しかった。


小舟の舳先に松明を立て、雨中の夜闇、増水している支流を慎重に進む。


揺らめく炎が、雨粒と河面を照らし、やがて大きな軍船の姿を照らすと、



「すごい船だね……」



と、ノラがポカンと口を開けた。


わたしたちを陰ながらに護衛してくれていた騎士たちの小舟も続々と戻って来て、ナタリアとハンリ殿を、



「いつの間に……」



と、絶句させた。


エイナル様におんぶしてもらって、縄梯子を登る。温かくて大きな背中に安心感を覚えながら、雨に打たれた。


もはや、軍船の存在を隠すことはないと盛大に篝火を焚き、ただちに出航させる。


目指すのは、コショルー公の主城につながる街道だ。



「豪族どもが難癖をつけるなら、ノラに対応させたらいい。アレは口が立つ」



と、長老が言ってくれた。


わたしの船室に主だった者たちを集める。


皆の顔を見渡し、わたしは静かに即位の意向を明らかにした。


ナタリアが豊かな丸みの前で両手を打ち合わせ、パアァン! と、大きな音をさせた。



「素晴らしいですわ!! きっと父フェルド伯爵が喜びます!!」


「……我が父、ケメーニ侯爵も必ずやコルネリア様の元に馳せ参じましょう」



と、ハンリ殿は強い視線でわたしに頷いて見せる。


実直で生真面目そうな語り口に変わりはなかったけれど、内心の昂ぶりがわたしの肌に直接、熱となって伝わってくるような力強さがある。


わたしが手元に広げるお母様が箱に封じていた書簡から、クラウス伯爵が顔をあげた。



「……いけません」



冷たく鋭い声が、船室に満ちていた熱を瞬時に冷ます。


だけど、その声の響きに反して、クラウス伯爵がわたしを見詰める眼差しは、哀願する子どものようだった。



「……コショルー公に会いに行くべきではありません。どうか、ご再考を」



お母様の書簡には、コショルー公家への激しい拒絶が記されている。


テンゲルの王位継承権を主張するには、この書簡だけで充分。母テレシアこと、公女ステファニアとの確執が予想されるコショルー公からの証言まで得る必要はない。


というのが、クラウス伯爵の意見だった。



「今、危険を冒してまで、コショルー公の主城に乗り込まれる必要はございません。……いずれ時を置いて、国交の回復を目指されるにしてもです」


「クラウス伯爵……」



わたしは、船窓の向こうに広がる夜闇に目を向けた。



「わたしは壁の向こうに何があるのか、……見てみたい」



お母様は、



――あらゆる縁を断ち切る。



とまで書き残されていた。


わたしは、お母様の意志に反し、その縁を戻そうとしている。


長老が森の奥で見付けたとき、幼いお母様はひどく衰弱していたそうだ。


手厚く介抱し、無理矢理にスープを飲ませ、粥を食べさせ、生きる気力を失くしていたかのような幼子(おさなご)を、長老が生かした。


何度も何度も、幼き日のお母様の姿、ふる舞い、言動を長老に問い、考え、わたしはお母様の意志よりも、テンゲルの民を救うことを選んだ。


内戦が、幼いお母様をそこまで追い込んだことは間違いない。


このままテンゲルの動乱を放置すれば、いずれ内戦へと突入させてしまう恐れがないとも言い切れない。


それは、別のお母様を生むことになる。


ノラや義叔父、義叔母たちのような戦災孤児を数多く発生させるだろう。


いま喰い止めなければ、いけない。



「……公女ステファニアは、母公妃と一緒に幽閉されていると、誰もが疑うことなくそう思っていました」


「はい……」


「真相を明らかにせねば、正統性に疑義がつきまといます」


「それは……、追い追いのことにしてもよろしいではありませんか」


「わたしは、リレダルの政変を収めるために、すぐにテンゲルを離れなくてはならない身です」



たとえ思惑通り、わたしの即位でテンゲルの動乱が収まっても、政情の安定を待つことは出来ない。


ただちに、リレダルに向かう必要がある。


曲芸のような政治闘争が続く。



「ここを乗り切るために……、たとえコショルー公がわたしに刃を向けたとしても、それは、わたしを公女ステファニアの娘であると認めたことになります」



クラウス伯爵は険しく目を細め、拳を口元にあてた。


その瞳を見詰める。



「……テンゲル平定のために、リレダルの公爵として、エルヴェンの騎士たちの力に頼るのは筋違いかもしれません」


「いえ……」



と、クラウス伯爵が呻くような声を低く響かせた。



「……主君の想いを果たすために力を尽くすことは、騎士の本懐。主君の〈(わたくし)〉は臣下の〈(おおやけ)〉にございます」


「そう仰っていただけると……」


「コルネリア様に、お願いがございます」



と、クラウス伯爵は居ずまいを正し、わたしを射抜くように真剣な眼差しを向けた。



「はい……、なんでしょう?」


「私を、コルネリア様の臣下の列にお加えくださいませ」


「え……?」



クラウス伯爵は、今はエルヴェンの政務総監として、わたしの配下にあるけれど、それは引き継ぎのための一時的なこと。


飽くまでも主君はリレダル国王だ。



「……爵位、クロイ伯爵位は族子のうちから適当な者を見繕って継承させます。どうか、私を正式に臣下としてくださいませ」



と、クラウス伯爵が静かに頭を下げた。


覚悟のほどは伝わる。だけど、これこそ軽率に認める訳にはいかない。



「考えを、お聞かせくださいますか?」


「……急速にお立場を昇り詰められたコルネリア様には、股肱の臣が不足しておられます。……不躾ながら、真に命を賭けてまでコルネリア様を守ろうというのはカリス殿だけでしょう……」


「はい……」


「今また、その手にテンゲルの玉座まで加えられると仰られるのなら、……私に、コルネリア様のために命を賭けられるという栄誉をお与えくださいませ」


「わ、私も!!」



と言うナタリアをなだめる。


まずは、こっちの話を終わらせてからだ。


エイナル様に顔を向け、意見を求めた。



「いいんじゃないかな? ……長い付き合いなのに、クラウスはボクに臣従を申し出たりしなかったんだよ?」


「あ、……え? それは……」


「ふふっ。すべてを捨てても守りたい主君に巡り合う。……男のロマンだねぇ」



と、腕組みして首を左右に振るエイナル様に、クラウス伯爵が憮然とした。



「……エイナル。口添えしてくれるにしても、もう少し言いようというものがあるのではないか?」


「あれ? 褒めたつもりだったんだけど?」


「茶化しているようにしか聞こえん」


「……ボクの主君、リレダルの国王陛下の慧眼に唸らされるばかりだよ」


「え?」



と、わたしはエイナル様の顔をのぞき込んだ。



「陛下は、エルヴェン叙封も公爵叙爵もコルネリアをリレダルに繋ぎとめる錨だと断言された。……本当にその通りになってしまった」


「あ……」


「……クラウスが爵位を返上してコルネリアに臣従しても、陛下にとっては直臣が陪臣になったに過ぎない。……そう、気を使うことはないよ?」



エイナル様は、わたしが即位してもエルヴェン公爵位を保持し続けるようにと、暗にご助言くださった。


国王が他国に領地を持ち、その地の王には臣従の礼をとる。数は少ないけれど前例がない訳ではない。


諍いの元になるのは、他国の王への臣従礼を屈辱と感じる場合だ。


もちろん、わたしは屈辱だなんて感じない。リレダル王には恩もあるし、深く感謝している。



「……分かりました。クラウス伯爵……、クラウスの想い、ありがたく受け止めさせていただきます」



リレダル王の承認があるまでは仮のこととして、わたしはクラウスの臣従を認めた。


剣をその肩に置き、臣従の宣誓を聞く。



『……お待ちしておりました、コルネリア様。エルヴェンでは、どうぞ、ゆるりとお過ごしくださいませ』



初めて会った日と変わらない、冷厳としたふる舞い。


黒に近い群青色の瞳には一点の濁りもなく、わたしを真っ直ぐに見詰めていた。



「クラウス……。こんなに心強いことはありません。どうか、わたしを守ってください」


「……これに勝る栄誉はございません。身命を賭しても、あらゆる危難からコルネリア様をお守りいたします」



エルヴェンの街でわたしを連れ去ろうとした父と義妹フランシスカから守ってくれた美丈夫が、不思議な縁の巡り合せでわたしの臣下に加わった。


続いて、ナタリアとハンリも臣従を申し出てくれ、こちらも父君からのお許しをいただくまでは仮のこととして認めた。


頼りがいのある臣下を得て、エイナル様が祝福してくださる。


お母様が捨て去ったコショルー公家。


重たい雨中の夜闇をかき分けるように、軍船は街道を目指して支流を遡る。

本日の更新は以上になります。

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