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74.大公世子は細く息をする

  Ψ  Ψ  Ψ



燃えるような赤に天が染まって、やがて再び雨雲が空を覆った。


ドシャ降りの雨が降り始め、村人たちには雨の支度があるようで、宴席は自然とお開きになった。


コルネリアは戻って来ない。


集会所のような小屋に、クラウスたちと取り残された。


扉のない入口からは雨が吹き込み、外は次第に薄暗くなってゆく。



「……お迎えに行くべきではないか?」



と、クラウスが囁いた。



「うん……。もう少し、様子を見よう」


「しかし、遅い……。今日のうちにコショルー公に面会を求めることは無理だろう」


「コルネリアもよく解っているよ?」


「それは、そうだが……」


「……コルネリアが会っているのは、義理の祖父と言ってもいいお方だ。つもる話もあるだろうし……、村にも変わったところは見られない」



沿道には、密かに騎士を配置している。


もしも、ボクたちを豪族に売り渡そうという者がいたなら、すぐに注進が入るはず。



「……コルネリアを信じて待とう」


「まったく。エイナルの肝の太さには、恐れ入るばかりだ」



と、クラウスがボヤいた。


コルネリアにも、目立たないように護衛の騎士を付けている。


腕の立つ騎士が数名。


万一のことがあっても、必ずコルネリアを救け出してくれる。


それに、ナタリアも一緒だ。最悪、騎士が斬り防いでいる間に、ナタリアが報せに戻ることもできる。


部屋の中をウロウロと歩き回るクラウスを横目に見て、ボクは椅子に腰をおろした。


やがて、最初に接触したノアという女性が夕食を差し入れてくれた。



「なんだか、長老と話し込んでるみたいですわよ?」



と、ノアの浮かべた悪戯っ子のような笑みは、まるでやんちゃな末っ子が帰って来たとでも言わんばかり。


親愛の情に満ちていた。


内心では、もちろん胸を撫で下ろす。



「長老に夕食を持って行った者が、まだいたのかと呆れて笑っていましたわ」


「そうでしたか。それは、ご丁寧に」



クラウスが、ボクの隣にドカッと腰を降ろした。



「……エイナルが、正しかった」



とだけ呟き、ノアの持って来た軽食をつまんで口に入れた。



「ん? ……クラウスらしくもない」


「毒見はオレだ。……コルネリア様が戻られたときに、エイナルが泡を吹いていたのでは……、コルネリア様が悲しまれる」



不愛想に無表情を重ねた様な顔で、クラウスがすべての皿から料理を少しずつ口に入れた。



「……ふむ。独特な味だな」



と、クラウスから勧められた料理には塩気が少なく、そこに交易の可能性を感じたのは、コルネリアに感化されたせいか。


皆で、ありがたくいただいた。


そして、雨雲の向こうで日が落ち、集落は真っ暗闇に包まれる。


自然と重苦しい沈黙が支配した。


ボクたちと小舟に乗って降りた数名の者たち。沈黙の重さは、コルネリアへの忠誠の裏返しだ。


むしろ心地よく感じながら目を閉じて、コルネリアの帰りを待つ。


雨足は強い。


どこにでもボクと一緒に行きたがるコルネリアが、同行を求めなかった。


それには、集落の者への対応をボクに委ねるという以上の意味が、きっとあるはずだ。


やがて、何度も椅子から立ったり座ったりを繰り返していたクラウスが、何度目かに立ち上がったとき。


ナタリアの差す傘に入って、コルネリアが戻ってきた。


部屋に、安堵が広がる。


けれど、コルネリアの顔色はこれまで見たことがないほどに真っ青だった。



「エイナル様……」



と、かぼそい声で呟いたコルネリアは、ボクとふたりで話したいと言った。


ナタリアから傘を受け取り、コルネリアと外に出る。


スッと歩み寄ったクラウスが、耳元で囁いた。



「……陰の護衛は付けるぞ」


「頼む……」



集落を抜け、最初に着岸させた岩場の岸辺に出た。雨は降り続き、手元には小さなランプしかない。


濡れるのも構わず、コルネリアが大きな岩に腰を降ろした。


ボクは傘を差したまま、黙ってコルネリアの隣に座る。


夜闇の中、ジッと増水した河の流れを見詰め続けるコルネリア。


ランプの灯りが、最初に出会ったばかりの頃のような、コルネリアの儚げな美しさをほのかに照らし出していた。


触れたら壊れそうな危うさ。


やがて、コルネリアが、ポツリポツリと語り始めた母君の出自は衝撃的だった。



「……まだ、真相がすべて明らかになった訳ではありませんが」


「うん……」


「お母様が……、コショルー公国の公女であったということは、間違いないかと」



コルネリアが雨を避けながら慎重に懐から取り出した、母君の残された書簡には、



――母に捨てられた、



とあった。


公妃であり、テンゲル王国の王女、レナータのことだろう。



「私……」


「……うん」


「……テンゲルの王位継承順8位でした」



息を呑んだ。


母君の出自。自身のルーツに動揺しながらも、冷徹に状況を把握しているコルネリアの知性に。



「そうだね……」


「……どうしましょう?」


「え?」


「私……、即位なんかしたら……」


「……うん」


「……あまり、エイナル様に会えなくなっちゃうんじゃ……」


「え?」


「……なんですか?」



と、コルネリアは、あまりにも真っ直ぐな視線で、透んだ瞳をボクに向けた。



「……悩むの、そこ?」


「ま。……大事なことではないですか。私たち、まだ新婚なのに……」


「あ、うん。そうだ……、ね」



笑いをこらえるので必死だった。


コルネリアは既に、テンゲルの動乱を平定するために自分が即位する覚悟を決めているのだ。


恐らくは、テンゲル王国再建の青写真も、頭の中では既に完成している。


にも関わらず、ボクと会えなくなるかもしれないのが寂しいと訴えているのだ。


息を細く吐いて、心を落ち着ける。


ここで吹き出したら、本気で悩んでくれてるコルネリアに失礼だ。



「私は、本気で悩ん……、んむ」



耐え切れずに、コルネリアの口を塞いで、それから抱き締めた。



「……エ、エイナル様?」


「ボクは、可愛らしい奥さんをもらったなぁ……」


「ま」


「……美しくて、賢くて、すごくて、可愛らしい」


「……はい。ありがとうございます」


「うん……」


「私も……、素敵な旦那様に嫁げました」


「……うん」



傘と一緒に、しばらく抱き締めて、それから少し身体を離した。


コルネリアの透んだ瞳を見詰める。深海のような深い青。上気した顔は、頬の上側だけを紅く染めている。



「大丈夫だよ」


「……え?」


「大丈夫。どうにかなるよ」


「……そうでしょうか?」



コルネリアの手を握り締める。



「……ボクがこの手を放すことはない。そう約束したよ?」


「はい……」


「ボクはコルネリアを支えて、テンゲルの動乱を鎮圧するよ?」


「……はい」


「コルネリアは、大公家の動乱鎮圧に手を貸してくれない?」


「え?」


「お祖父様をやっつけないとね」


「え、ええ……。私は大公世子夫人ですから、当然です」


「そしたら、ボクはなんと王配だ。……見たことのない、見ることなんて考えたこともなかった景色を、コルネリアに見せてもらえる。こんなに心が躍ることはない」


「エイナル様……」


「手分けすることなんかない。ふたりでどこまでも行ったり来たりすればいい。……コルネリアは、ボクの馬の前に乗って」



この類稀なる知性は、ボクのもとで花咲くことを選んでくれた。


そう思ったのは、コルネリアのデビュタントの晩だ。置いて行かれないように必死で追うと、ボクは覚悟を固めた。


けれど、コルネリアはボクを置いて行ったりしなかった。


ずっと、ボクに背中を預け、目を輝かせ続けてくれている。



「一緒に、どこまでも〈お出かけ〉しよう! コルネリアの目を輝かせに行こう! そうしたら、ボクの目も輝く」


「嬉しい……、お言葉ですわ」


「本心だよ?」


「信じておりますわ」


「うん」



グレンスボーで結婚前に交わした言葉を繰り返し、もう一度、コルネリアを抱き締めた。


握った手を放さずにいたら、どんどん新しい景色に連れて行ってくれる。



――女王コルネリアの治政。



ボクも見てみたい。


胸を躍らせながら、皆の待つ集会所にコルネリアと手をつないで戻った。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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