73.冷遇令嬢は息を呑んだ
年配の男性は、長老が養子にした戦災孤児ではなく、元々この地の生まれらしい。
舐めるようにしてサジー酒を口に含み、しみじみと語ってくれた。
「……今でもそうですが、この辺りはテンゲルと取り引きがあります」
「ええ……」
「テンゲルの王女レナータ様が公妃に来てくださって、ますます栄えるんじゃないかって期待してたんですよ」
男性は口を真横に結び、苦いものを飲み込むようにして、一語一語を丁寧に話した。
「公女のステファニア様がお生まれになって、炭とサジー酒を交換する取り引きも少しずつ広がって……」
「……はい」
「けど……、豪族の旦那衆はそうじゃなかった」
と、男性はわたしの目をまっすぐに見詰めた。
「……テレシアの娘さん。コルネリアって言ったっけ?」
「はい」
「遠くでお姫様やってるんなら……、内戦だけはいけません」
外国との戦争なら戦闘は国境地帯だけに収まるけれど、内戦となると戦火が国中を覆い尽くす。
その悲惨さを、男性は苦渋に満ちた表情で訥々と語った。
「……反乱を起こした反テンゲル側の豪族が鎮圧されるまで5年。5年です。……長かった」
「……はい」
「やっと終わって……、でも、内戦の原因になった公妃様は城から追い出されて幽閉。テンゲル王国とも疎遠になりました」
と、男性は手にする杯を握り締めた。
「……儂ら、公妃のレナータ様が不憫でねぇ……。せめて、サジー酒を献上させてほしいって請願を重ねて、やっと認められたのが、つい最近です」
「最近……」
「ええ……。初めてお目にかかりましたが、やせ細って、目なんか落ち窪んでいて……、お気の毒なことでしたよ」
「……そうですか」
30年の幽閉。過酷な環境に置くくらいなら、テンゲルに送還すれば良いものを。
と、唇を噛んだ。
「……主城には側妃様がおられるし、おひとりでねぇ……」
「おひとり? ……公女というのは?」
「ステファニア様にはお目にかかれませんでした……。別のところに幽閉されてるんですかねぇ……」
男性がグッと、杯をあおった。
「殿様……、コショルー公は、テンゲルからの援軍にも勝った反乱軍を、一夜にして壊滅させた英雄です。誰も逆らえる者なんかいやしません」
「一夜にして……」
「主城を包囲され、落城寸前だったところを……、夜襲に討って出たって話です」
男性の話を聞く限り、公妃と公女を交渉で救出することは絶望的だ。
むしろ、コショルー公に面会を求めることすら躊躇われる。
ただ、この炭焼きの村はサジー酒の供給窓口として、公国内で独特な政治力を持つらしい。
長老の紹介状があれば、会ってはくれるだろうという話だった。
わたしが席を立つと、そっとエイナル様が近寄った。
「……長老のところに行く?」
「ええ……。コショルー公に面会を求めるかは、長老の話も聞いてから決めます」
「うん。それがいいね」
「いまのお話だけでは、謎が残ります」
「謎?」
「……反テンゲル派の反乱軍が一掃されたのなら、残ったのは公自身も含めて、親テンゲル派の豪族のはず」
「……たしかに」
「なのに、なぜ公妃は幽閉され、テンゲルとの国交を事実上、閉ざしたのか……」
「それは、謎だね」
男性に、あまり根掘り葉掘り聞けば、コショルー公国本来の排外的な気質を刺激してしまうかもしれない。
いまは、自発的に話してくれることだけで情報収集に徹するべきだ。
宴席を離れ、ひとり長老のもとに向かおうとしたら、ナタリアが追い駆けて来た。
「こう見えても、短剣術を身に着けております。……どうか、護衛にお連れ下さい」
実はすでに、騎士が数名、密かに別の小舟で軍船から降り、隠密行動で陰から見守ってくれている。
ただ、その技術自体がリレダル王国の軍事機密と言ってよく、テンゲルの伯爵令嬢であるナタリアに明かすことはできない。
「ありがとう、ナタリア。頼もしいわ。でも、大人しくしててね?」
と、伝えると、ナタリアは嬉しそうに満面の笑みを浮かべてくれた。
Ψ
雨上がりの青臭い香りがたちこめる山道を、ゆっくりと歩いて登る。
長老は、元から住む使わなくなった古い炭焼き小屋を、そのまま隠居所にしているらしい。
水たまりを避けながら、滑らないように気を付けて一歩一歩、慎重に登っていく。
そして、まんまと足を滑らせたわたしをナタリアが抱き止めてくれた。
「……ありがとう。助かったわ」
「お役に立てて光栄ですわ!」
というナタリアに手を引いてもらい、さらに慎重に山道を登る。
幼き日、母テレシアが駆けた山道。
風がそよぐと、周りの樹々が葉から水滴を散らした。
やがて、木漏れ日の降り注ぐ、すこし開けた場所に古びた小屋が見え、扉の前に出した椅子に、老人が腰かけていた。
雨期の晴れ間だ。
老人は日向ぼっこをしながら、うたた寝をしてしまったのか、わたしが目の前に立つまで気が付かなかった。
老人は口をモグモグとさせた。
「テレシア……、遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」
頭の骨の形がハッキリ分かるような、年輪の刻まれた老人の顔に、喜色が浮かんだ。
わたしは膝を折り、椅子に腰かけたままの老人に目の高さを合わせた。
「……申し訳ありません。わたしはテレシアではありません。娘のコルネリアと申します……」
すこし耳が遠いのか、おなじ内容を二度繰り返す。
老人は、わたしの顔をまじまじと眺めてから、悲しそうに白い眉を垂らした。
そして、母テレシアの死を伝えると、老人はシワの寄る小さな目を空に向け、ジッと黙り込んだ。
瞳は透んでいて、老人の抱く感情を読み取ることはできなかった。
木漏れ日の光線が幾重にも差し込み、清浄な空気の中、小鳥のさえずりが聞こえた。
あれは、きっと渡り鳥だ。
わたしに豪雨の到来を報せてくれた。無事に繁殖し、可愛らしい子どもの顔を見られているだろうか。
「テレシアという名は……、儂がつけた」
「……え?」
「……森で倒れているところを見付け、連れ帰ったが、あの娘はひと言も話してくれんで……、手を焼いた」
と、老人が立ち上がろうとしたので、手を差し伸べる。
渡したい物があると言うので、ナタリアを外で待たせ、老人に続いて小屋の中に入った。
職人肌なのか、老人は余計なことは何も喋らない。
「……ん」
とだけ勧められた椅子に腰かけ、奥の部屋に入った老人が戻るのをひとりで待った。
年季の入った一枚板のテーブルを、そっと撫でる。
母テレシアは、集落で出会った義叔父、義叔母たちと、このテーブルを囲んでいたのだろうか。
戦火を避けるため、この山奥に炭焼き小屋を建て、皆で住んでいたと、義叔母のノアが聞かせてくれた。
やがて、老人は厳重に封がされた小箱を手にして戻ってきた。
「……名は父母からもらい、祖霊につながる、大切な縁だ……」
と、老人が箱を見詰めた。
「やむを得ず名を変えるとき、本当の名と新しい名を箱に封じて、祖霊に報告する。それで、祖先との縁をつなぐ」
「……はい」
と、神妙な顔で老人の話を聞くけれど、内心では目を輝かせている。
聞いたことのない習俗だ。
「……え? これ……、お母様の?」
「そうだ。……娘だというなら、開けてもかまわんだろう」
「え……? いいんですか?」
「……儂も気になって、気になって……、でも、勝手に開ける訳にもいかず、この歳になってしまった」
と、老人は急に、
「シャシャシャシャシャシャシャ」
と、喉を鳴らすような声で、茶目っ気たっぷりに笑った。
「……冥府で会ったら、あの娘を本当の名で呼んでやりたいと、何度、勝手に開けてしまおうと思ったことか」
「ええ……」
「まさか……、先に旅立っておったとは、夢にも思わなんだが……」
箱に封じた者の縁者以外が勝手に開けると、祖霊の怒りを買って祟られ、冥府に行くのを邪魔されると考えるらしい。
恐る恐る手を伸ばし、木箱に触れる。
麻紐で何重にも縛られ、その上からロウで封じられている。
ゴクリと唾を飲み、手をかけるのだけど、箱は開かない。封が堅すぎる。
箱の中からカランと、小石の転がるような音がした。
興味を隠せない老人の真っ直ぐな目に、「え、えへへ……」と苦笑いを返し、外のナタリアから短剣を借りてきた。
ロウを削り取って、紐の隙間に刃を差し込んで、慎重に紐を切った。
蓋を開けると、指輪が入っていた。
真っ赤なルビーの指輪。台座は金で、安物には見えない。
その下の、封書を開ける。
――祖霊に申し上げる。
と、美しい文字。日記で見慣れたお母様の文字だ。
――母に捨てられた私は、名を捨てる。
と、綴られた先に、息を呑んだ。
――公女ステファニア。テレシアと名を改める。以後、祖霊の加護を求めない。あらゆる縁を断ち切る。
本日の更新は以上になります。
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