72.冷遇令嬢は腰を低くする
動きやすくて控え目なデザインのドレスに着替えた。
クラウス伯爵がエルヴェンのメイドに命じて、わたしの服やアクセサリーをたくさん積んで来てくれていたのだ。
軍船にいながら、まるで自分の主城にいるかのような、快適さを運んでくれていた。
小舟の中で、エイナル様が苦笑いされる。
「……コルネリアへの愛だねぇ」
「バ、バカを言うな。……ちゅ、忠義と言わないか……」
と、クラウス伯爵が顔をしかめ、視線を逸らす。
その鋭い眼光の先には、コショルー公国を囲む険しい山岳地帯があって、山肌の傾斜がほんの少し緩やかになった場所に小さな集落が見えた。
舳先で、ヴェラの小父さんが声をあげる。
「あれが、炭焼きの村です。……人影が見えるのは、ちょうど昼時が終わって休憩にひと息ついてるところでしょう。話を聞いてもらいやすいタイミングです」
と、河岸に向けて、小父さんが大きく手を振ると、岸辺にいる女性たちが振り返してくれる。
わたしが想定していたよりも、親しい関係のようだ。
やがて、ごつごつとした岩場に小舟が着岸し、迷いに迷った末、エイナル様におんぶしてもらった。
滑って転んで水浸しでは、交渉するにも様にならない。
エイナル様の大きな背中にしがみつくのは、すこしだけ恥ずかしかったけれど、初めて見る景色に目を輝かせてもいる。
そもそも河岸にある大きな岩や石。角が立ち、おでこをぶつけたら血が出そうに尖っているのは、ここが上流域だからだ。
この石たちが河底を転がり、角が丸くなったものしか、わたしは見たことがない。
「お、おお~っ」
と、降ろしてもらった岸辺で、足裏に感じるごつごつとした感触にも心が躍る。
休憩している女性たちに歩み寄ると、いちばん年長に見えるひとりが、目を丸くして立ち上がった。
「テ、テレシア……?」
驚く年長の女性を、足下に座る若い女の子がふたり、キョトンと見上げていた。
「……テレシアは、わたしの母です」
と、女性に頭を下げる。
他国と外交を持たないこの国では、大河伯の肩書きは意味をなさない。公爵や侯爵でさえ警戒感を招くだろう。
偉そうぶらず、腰を低くして挨拶した。
テンゲル動乱平定のための旅は、期せずして母テレシアのルーツを訪ねる旅と重なっている。
ノラと名乗った年長の女性と、並んで腰を降ろした。
お母様より年長のノラは、やはり内戦で親を亡くして〈炭焼きのジジイ〉に、養女にしてもらったのだという。
「……テレシアは、私の義妹さね」
「ええ……」
「よほど恐い目に遭ったのか、最初は小屋から出ようとせずにいてねぇ……」
と、ノラが切なそうに目を細めた。
ゆったりと構え、ノラが語る幼き日の母テレシアの話に耳を傾けた。
ふとノラの指先に目をやると、炭の汚れか黒ずみが見える。周囲を見渡すと、河辺で洗濯をしていたようだった。
ナタリアを呼んだら、すごい勢いで駆けて来て膝を突く。
ノラが気持ち良さそうに笑った。
「……なんだい? テレシアの娘は、いいとこのお嬢様なのかい?」
「ええ、まあ。そんなところですわ」
と、微笑みを返し、ナタリアのポーチから石鹸を出してもらう。
「……良かったら、これ。使ってみてください」
「なんだい、これ……?」
見たところ、この地で洗剤として使われているのは灰汁を煮詰めたものだ。
ノラは親戚の娘のワガママを聞くような苦笑いを浮かべ、わたしの石鹸を使って河の水で手を洗う。
すると、興味津々にのぞいていた若い娘たちが、キャアと声をあげた。
「どうぞ、差し上げます。皆さんでお使いください」
わたしが微笑むと、若い娘たちも石鹸で手を洗い、すっかり汚れの落ちた指先を、嬉しそうに眺めた。
「……売れます」
と、わたしが囁くと、エイナル様が片眉をさげて微笑む。
「コルネリアは、商魂たくましいよね」
「ふふっ。……交易は交流を生み、平和の礎となりますわ」
石鹸などは、つくり方を教えたら自分たちでもつくれるだろう。
だけど、きっと交易の種はいくらでも見つけることができる。それは、本人たちが不便だとは思っていないところにある。
民の交流は、いずれ国交につながり、和解へとつなげていける。
雲間から差し込む陽光に、指先を照らして笑い合う女子たちの笑顔は、国境の壁を低くする最初の一歩になり得る。
ナタリアが嬉々として女子たちに洗顔の仕方を教え、目をギュウッと堅く瞑って泡だらけになった顔を、また笑い合った。
集落に案内してもらうと、ノラと同世代の男性や女性が目を潤ませた。
突然たくさん現われた義叔父や義叔母たちに丁寧に頭をさげ、
「……顔をよく見せて」
という声に応えて、笑顔を振りまいた。
長老は山奥の小屋に隠棲しているらしく、まずは手土産のサジー酒を渡すと、皆に喜んでもらえて、簡単な宴席になった。
「なんだい!? テレシアの娘はお姫様なのかい!?」
と、ノラが喜声をあげてくれた。
排外的な気質を刺激してしまわないよう、慎重に身分を明かし、
「……コショルー公に、サジー酒を献上させていただきたいのですが……」
と、来意はボカして伝える。
エイナル様はいつものように自然と皆の輪に溶け込んでいるし、ナタリアは女子たちに美容について語っている。
難しい表情ながら、クラウス伯爵は実に聞き上手だった。
「ほう……」
といった、小さな感嘆の呟きが、相手の口を軽くする。
冷徹に見えるクラウス伯爵からの感嘆は、とても効果的に相手のプライドをくすぐるのだろう。
リレダル、バーテルランドの両国を和平に導いた、優れた交渉術の一端を垣間見た思いで、目を輝かせる。
ハンリ殿は実直な風情を崩さず、周囲をよく見渡していた。
和気藹々とした空気を壊さないよう慎重にふる舞いながら、情報取集を続ける。
義叔父のなかでも長男格とおぼしき男性が、
「親父」
と呼んだのは、長老のことだ。
孤児だった母テレシアを養女にしてくれた、炭焼きのジジイ。
これだけの数の孤児を引き取り、炭焼きの技術を授けて育て上げたのだ。それだけでも、尊敬に値する。
わたしにとっては、義理の祖父。
「親父には、ひとりで会いに行って驚かせてやるといいよ」
と、長男格の義叔父が笑った。
「ええ。では、そのように……」
「……頑固な親父が、テレシアのことはひときわ可愛がってた。手のかかる娘だったからなぁ、テレシアは」
「ふふっ。そうなのですね」
「親父は偏屈だけど、テレシアの娘が頼めば、きっと公への紹介状も書いてくれるさ」
クラウス伯爵たちと目配せをし合って、わたしがひとりで中座して長老のもとに向かうことにした。
微笑みを絶やさぬよう気を付けながら、わたしが腰を浮かしたときだ。
エイナル様が、幽閉されている公妃に、サジー酒を献上したことがあるという年配の男性を見つけ出してくれた。
本日の更新は以上になります。
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