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71.冷遇令嬢は心が忙しい

雨中、軍船が峡谷を遡上して行く。


両岸には岩肌の迫る切り立った崖。増水し、流れの速い濁った支流を、危なげなく航行する操船技術に感銘を受けた。


けれど、流れに船体がもって行かれ岩に激突すれば沈没は免れない。


雨で視界が決して良くはない。


緊張の時間が続く。


蒸留所の親方が、ヴェラの小父さんを案内役に付けてくれた。


艦橋の作業台に地図を広げ、艦長であるクラウス伯爵と航海士を交えて進路を打ち合せる。


小父さんが呆れたように頭を掻いた。



「いやぁ……、すごい腕ですね。大きな船だとはいえ、この時期に、こんなにスイスイ進むだなんて……」


「……軍船だからな。それも、生まれたときから戦争をしていた船乗りばかりだ」



と、クラウス伯爵が不愛想に応えた。


急峻な山岳地帯とこの峡谷が、コショルー公国を守る天然の要害だ。


小父さんが地図を指差す。



「……鉄鉱山もあって、コショルーはすべて自給自足でやっていけるんですよ」


「ふむ……」


「ただ、酒造りだけが未熟で……。お陰でウチのサジー酒を求めてくれて。でも、それも木炭と引き換えなんで、結局、交易らしい交易は、必要ない国なんですよね」


「なるほど……」


「で、ここです」



と、小父さんが地図を差す指を滑らせた。



「……この岩陰に、一旦、この船を隠してください」


「というと?」


「小舟で炭焼きの村に入らないと……。豪族の兵に見付かったら、ちと、うるさいことになります」


「豪族……、か」


「はい。……コショルー公の城に行くっていうんなら、炭焼きの村で長老に紹介状を書いてもらうのが……、いいかと」


「ふむ……」



と、クラウス伯爵が、わたしとエイナル様に目配せをした。


エイナル様の船室に、そっと集まり直して簡易の軍議を開く。


わたしの船室には、押し掛け侍女になったナタリアがいる。どこまでもピタリと付いて来るので掃除を命じたのだ。



「じ、侍女の基本は、そ、掃除です!」


「初仕事ですね!?」



と、なんだか楽しそうに駆けて行ったので、そのままにしている。


お母様の日記をはじめ、大切なものはすべてエイナル様の部屋に移した。


ナタリアはフェルド伯爵家から迎えた賓客で、人質という側面もある。そう邪険にも扱えない。


わたしを慕ってくれるのは嬉しいけど、まだ機密を扱うような場に加えることは出来ない。まだというか、だけど。


クラウス伯爵が地図を開いた。



「……このまま順調に行けば、昼過ぎには炭焼きの村に入ります」


「はい……」


「小舟を降ろしての移動になりますが、空が赤らむ夕刻前までに、長老の紹介状を手に入れられたとすると……」



地図の上を、クラウス伯爵の指がなぞってゆく。



「日没前には、コショルー公の主城に到着できます」


「主城には陸路ですね?」


「はい。……ただし、この地図は30年前のもの。どのように変わっているか分からないことを加味して考えれば、馬車を降ろし、街道を抜けるのが現実的かと」


「……公妃と公女が幽閉されているというのは?」


「蒸留所の者たちの証言からは、確たることは分かりませんでした。……が、主城よりさらに北」



と、クラウス伯爵が地図に指で大きな円を描いた。



「……恐らくはこの辺りにある尖塔かと推測できます」



わたしとエイナル様が蒸留所で親方に面会している間、クラウス伯爵は職人たちから聞き取りを行ってくれていた。


この不愛想な伯爵が、なぜ交渉事が上手なのか、機会があれば観察してみたい。


それは、さておき。


クラウス伯爵が顔をあげる。



「……炭焼きの村という所で情報を収集すれば、もう少し詳しい場所が判るかもしれませんが……」


「いずれにしても、主城を大回りしないとたどり着けない場所ですわね」


「コルネリア様の仰る通りです」



エイナル様は、わたしの横でニコニコと聞いていてくださる。


もし、仮に。


わたしがクラウス伯爵に命じたら、公妃と公女を力ずくで救出してきてくれるかもしれない。


あるいは、エイナル様にお願いしても、連れてきた騎士たちだけでやり遂げてくださるかもしれない。


リレダル騎士の強さは信じられる。


だけど、それではテンゲルとコショルーの関係はますます拗れるだろう。


この状況では欲張りかもしれないけれど、両国和解の糸口くらいは探りたい。


エイナル様が微笑まれた。



「全部、仮定の話にはなるけど……」


「ええ、もちろん」


「公妃がテンゲルへの帰国を望まなかったら、コルネリアはどうするつもりなの?」


「王弟を傀儡の王に立てる道を探ります」


「……随分、ハッキリしてるね」


「はい。……ケメーニ侯爵とフェルド伯爵。実際に確認できているのはふたりだけとはいえ、高位貴族の心は完全に国王から離れています」


「そうだね……」



わたしは目を瞑り、両手で髪をかき上げておでこを出した。



「……国王と共に王宮に籠る王子たちにも期待は出来ないでしょう」


「うん」


「正直、いまの時点では公妃にしても、玉座に相応しいお方なのかどうか分かりません……」


「そうだね」


「……事態の収束だけを考えるなら、高位貴族が王に担げる方が必要です」



目を開き、地図に視線を落とす。



「わたしが継承順7位の王女たる公妃、もしくは8位の公女の意志を確認しに、コショルー公国まで足を運んだ。……結果、ダメだったとしても、この事実が、高位貴族を結束させる可能性を見ています」


「なるほど……」



と、クラウス伯爵が唸った。



「他に選択肢のないところまで、やって見せた上で、高位貴族に王弟を推戴させる」


「はい……。この形なら、新国王が実権を握ることは出来ず、高位貴族の合議で国が運営されるはずです」


「ということは、コルネリア?」



と、エイナル様が楽しげに呟かれる。



「……コショルー公には、会うしかない。ということになるね?」


「はい。……公妃と公女の幽閉については別途考えるとして、コショルー公に、公妃の想いを代弁してもらう必要があります」


「そうなるね」


「……コショルー公への謁見が叶えば、ハンリ殿とナタリアが、その言葉を証言してくれるでしょう」



今回は交渉の窓口を開けたら、それで良しとしないといけないかもしれない。


難しい国と皆が口をそろえるコショルー公国を相手に、どんな交渉が可能なのか。それすら、これから探る必要があるのだ。


母と娘。約30年の幽閉から救い出してあげたいという気持ちは強くある。


けれど、それは王侯貴族の都合。テンゲルの民を戦禍から救った後でもいい。


それも、国主たるコショルー公に会ってみないことには始まらない。



「ふふっ。会ってみたら、すごくいい人で。あっさり公妃を返してくれて。公妃も素晴らしい人格者で、テンゲル王国の貴族も民も導いてくれる……。なんて、神話のようなお話があるといいんですけどね」



と、わたしの冗談に、クラウス伯爵が真面目な顔で腕組みをして頷いた。



「……それも、コルネリア様なら実現してしまわれるかもしれませんな」


「えっとぉ……」


「ふふふっ。ボクも、クラウスと同じ意見だな」



と、エイナル様まで微笑みながら腕組みをして頷かれた。


そして、クラウス伯爵が真剣な視線をわたしに向けた。



「……コショルー公国を切り上げたら、コルネリア様は急ぎ、リレダルに帰国されるべきかと」


「ええ……、それも一案です」


「……状況が明らかになるに応じて、次々と策をひねり出されるコルネリア様は見事なれど、まずはリレダルでの権力基盤の確保を優先されるべきです」



と、クラウス伯爵の言葉に、エイナル様が微笑まれた。



「クラウス。……大公家のことなら、父上と母上が、そう簡単にお祖父様に負かされることはないと思うよ?」


「エイナル。お前は強い」


「ん?」


「……混乱に耐えられるタフさで、エイナルの右に出る者はいないだろう。だが、皆がそうではない」


「う~ん……」


「時の氏神を狙いすぎると、足下をすくわれるぞ?」



時の氏神。ちょうどいい時に出てきて仲裁役として主導権を握る戦略だ。


エイナル様が困ったように笑う。



「……だけど、無理に状況を動かそうとすると、壊れることもあるよ?」


「混乱が長引くことで壊れるものもある。誰もがエイナルほどに待てる訳ではない」



わたしを挟んで、エイナル様とクラウス伯爵が議論を戦わせる。


徐々に語気が荒くなっていくのは、互いの信頼関係があればこそだろう。


喧嘩はやめてという乙女な気持ちと、ふたりが展開する論争に耳を傾ける楽しさとで心が忙しい。



「……エイナル様は状況を権力闘争と捉え、クラウス伯爵は戦場だと捉えておられますね?」



わたしの言葉に、ふたりがキョトンとし、そして考え込んだ。



「権力闘争と見れば、状況がさらに混沌とするのを待ち、その間に局外からの発言権を確保するというのは、確かに一案です」


「う、うん……」



と、エイナル様が頷かれた。



「一方、テンゲルでは既に剣が抜かれており、さらなる流血を避けるため、リレダルの武力を確保した上で、軍事介入含みで仲裁にあたるというのも理に叶っています」


「え、ええ……」



と、クラウス伯爵も頷く。


そして、エイナル様は、クラウス伯爵と目を見合せ、苦笑いを交し合った。



「……ボクたちのお姫様の方が、よく状況を見極めておられるようだ」


「ま。お姫様だなんて……」


「いえ。……単に綱渡りを続けられるのではなく、コルネリア様が事態をよく見通された上でのことだと、感銘を受けました」



と、クラウス伯爵が頭を下げたとき、船窓に明かりが差した。



「……雨の切れ間ですな」


「小舟を出しやすくなりましたわね」



と、わたしの言葉に、エイナル様が微笑まれた。



「そうだね。まずは炭焼きの村で、コショルー公国の情報を仕入れよう。目先のことから確実に片付けて、その先については、終わってから考えよう」


「あ! それ、前にカリスに教えてもらいました!」



船が停まり、小舟を降ろす。


運動音痴なわたしは、エイナル様におんぶしてもらって、小舟に乗り込んだ。

本日の更新は以上になります。

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