70.冷遇令嬢は初めてに困る
ヴェラが〈小父さん〉と呼ぶ遠縁の男性が、わたしを見たまま目を丸くしている。
それに驚くヴェラの表情からも、偽りは感じられない。
「……テレシアは、わたしの母です。わたしはコルネリアと申します」
「ええっ!? それでは大河伯様!?」
と、小父さんは、ヴェラと全く同じ反応で驚いた。
遠縁の者同士。会うのは初めてとのことで、母テレシアが共通の知人だったことも、まったくの偶然らしかった。
「……テレシアは、この蒸溜所で小間使いをしてて、王都に行きたいって言うから、親方が酒場に紹介状を書いてやったんだ」
「ええっ!? ……じゃあ、テレシア……様と、私が出会ったのは小父さんのお陰ってこと?」
「だから、親方のお陰だってば」
「あ、そっか。あははははっ」
と、つい先ほど会ったばかりのふたりが、親戚だというだけで、もう距離が近くて親しくふる舞っていた。
テンゲル王国には、濃密な氏族社会が残っていることが窺える。
――その風土で王女を見捨てた……。王家が支持を失う訳ね……。
ただ、信望を失くしても、権威は残る。
権力を振りかざして圧政を敷き、力ずくで従わせることで権威を保とうとする。失った信望を圧政で補おうとする。王家はますます信望を失い、それがさらなる圧政へと走らせる。
卑近な表現に擬えるなら、いちばんダメなタイプのガキ大将だ。ゲンコツを振り回すたびに人望を失くしていく。
ヴェラと小父さんの小さなやり取りからも、この国の病弊が見てとれた。
――つまるところ……、コショルー公国に敗れたという傷を塞がない限り、テンゲル王国の再建はないのでは……?
と、奥歯を噛み締めながら、小父さんに親方のところへと案内してもらう。
すれ違った職人が、頭を下げてくれる前に、茫然と立ち尽くす。
「……テレシア?」
「テレシアは、わたしの母で……」
と、同じやり取りを何度か繰り返し、親方は言葉もなく目を丸くし、
――お母様は、この蒸溜所で働いていたのだ……。
と、確信した。
「……テレシアはよく働く娘で、みんな可愛がってたんでさ」
と、親方が涙ぐんだ。
体格は小さいけれど、よく引き締まった体付きで、髪の毛は真っ白だ。
「……コショルーの炭焼きのジジイが養女にしてたひとりでねぇ」
「養女?」
「ええ。……内乱で親を亡くした孤児を引き取って、炭焼きを教え込んでたんでさ」
「そうでしたか……」
「……どうしてもコショルーから離れたいって言うんで、ジジイが儂に預けてくれて……。それでも、もっと離れたいって言うもんだから、王都の酒場に紹介状を書いてやって……」
「ええ……」
「……風の便りに、旅に出たとは聞いてましたが、そうですか……、亡くなってましたか。まだ……、若かっただろうに」
と、親方は自分の娘を亡くしたように、鼻をすすり上げてくれた。
思わず、わたしもこみ上げる。
お母様の死を、こんなにも悼んでくれた人は、これまでひとりもいなかった。
エイナル様の胸に額を預け、お母様のことを想って涙を流した。
そっと背中を抱いてくださるエイナル様の手が、とても温かい。
親方をはじめ、こんなにも温かい人たちに囲まれていながら、それでもお母様がコショルー公国から離れたかったのは、内乱が家族を奪ったからなのか。
――あれほど歪な、高い壁に囲まれた暮らしであっても、お母様は〈家族〉の側にいたかったの……?
と、親方と一緒に、しばらくの間、誰憚ることなく嗚咽を漏らし続けた。
親方が、優しい声をかけてくれる。
「こんなに立派な娘さんを残したんだ。テレシアも立派に生きたに違いねぇやな」
と、涙交じりに、笑ってくれた。
ようやく、わたしも顔を上げ、親方に笑顔を見せることが出来た。
「ああ……、笑うと、ますますテレシアに瓜二つじゃねぇか?」
「……はい」
と、涙を拭う。
親方が白い歯を見せた。
「それで、何のご用件で? 顔を見せに来てくれた訳じゃないんだろ?」
来意を告げると、親方が顔を真っ青にして地に伏せた。
「……よ、よもや、公爵様……、大河伯様とは思いもよらず、失礼な口を……」
「や、やめてくださいませ……」
と、親方の手を堅く握る。
「……親方は、わたしを何の肩書きもない〈テレシアの娘〉に戻してくださいました。それが、どれほど嬉しかったか……」
「で、ですが……」
「……分かりました」
と、わたしは立ち上がる。
「親方。そなたは、我が母テレシアの親代わりのようなものだったのであろう?」
「へっ……、左様で」
「ならば、以降、このコルネリアと、祖父と孫娘の付き合いを許す」
「……へっ?」
「……もはや、わたしには身内らしい身内もいないのです。どうか……、情けをかけてはくれませんか?」
地に伏したまま、顔だけを上げた親方と見詰め合った。
そして、親方はゆっくりと身体を起こし、地面にあぐらをかいて座った。
「……分かりやした。そうまで言われて応えられねぇんじゃ、どうせもうすぐ冥府で会うテレシアに合わせる顔がねぇってもんだ! やい、コルネリア! ジイちゃんに、いくらでも甘えろ!」
「はい……、ありがとう。ジイちゃん」
「へへっ。……なんにもねぇジイちゃんだけど、せめて秘蔵の一番いい酒を持っていってくれやな」
「いや、代金は……」
「バカ。孫からカネ取るジイちゃんが、どこの世界にいる。……テレシアの供養だ。いいから、持っていけ」
と、親方は棚の奥から、年代物のお酒を数本、渡してくれた。
「……炭焼きのジジイへの手土産にするんだろ?」
「はい……」
「あっちの方が、本物のジイちゃんだ。なにせテレシアを養女にしてたんだから」
「はい……」
「ただ……、ジジイ、最近、顔を見ねぇけど生きてるんだか、死んでるんだか……」
「……え?」
「テレシアを引き取った段階で、既にジジイだったからな。……まあ、養子にした連中が今は現役だ。その酒を持って行けば、なんでも言うこと聞いてくれるだろ」
と、親方は腕組みをして、白い歯を見せてくれた。
カリスに友だち付き合いを頼んだとき以上の無理を、親方に聞いてもらった。
「また来るね! ジイちゃん!」
「おう! ……次はジイちゃんの酒を、ふたりで酌み交わそうな!」
と、大きく手を振り合って、馬車に乗り込む。
そして、雨の中、傘をさして見送る親方の姿が見えなくなるまで、馬車の中で手を振った。
テンゲルの民には、熱い心意気が残っている。
誠意を尽くして交われば、きっと新しい国づくりに皆が力を貸してくれる。励んでくれる。
そう心を強くしながら前を向くと、案内役のナタリア様が顔をポオッと上気させていた。
丸みのある体格と相俟って、なんだかとても……、色っぽい。
「あ……、あの? ……ナタリア様?」
と言いながら、隣に座るエイナル様に視線をやると、なんだか目を泳がせている。
すこしムッとして腰をつつく。
「わっ。……なに? コルネリア」
そっと声を潜めた。
『……なに? ではありません。何を妻の隣で他の女性に見惚れているのです?』
『み、見惚れてなんかいないよぉ……?』
『ほんとですかぁ?』
『……目のやり場に困る、というか……』
『見惚れているのと、どう違うのです?』
『見てない。見てないから、全然違うでしょ?』
と、わたしたちがヒソヒソやってるのも、ナタリア様の耳には入っていなかったのか、唐突にグイッとわたしの前に顔を突き出し、わたしの両手を握られた。
「は、はいぃ!?」
近いし、色っぽい。
「感激しました!!」
「……え?」
「……あの親方との間に複雑なご事情があられたにせよ、位人臣を極められたと言っても過言ではない高貴なコルネリア様が、民とあれだけ近しく交わられる」
「あ……、ええ……」
「伯爵令嬢ごときに過ぎない私が、なんとお高くとまっていたことかと……、恥じ入るばかりにございます」
「……伯爵令嬢は、ごとき……では、ないのでは?」
「ごときです! ……侯爵家にお生まれになられ、女の身にありながら実力だけでふたりの王をひれ伏させた。爵位を、役職を貰ってくれと懇願させたコルネリア様に比べたら……、私のごときは……、私のごときはっ……、ごときですわ!!」
「……ナ、ナタリア様? ちょ~っと、落ち着かれた方が……」
「ああ……、申し訳ございません」
と、ナタリア様は、わたしの手をさらにギュウッと握り締めた。
「お側で仕えさせていただく……。こんな幸運はございません。どうか、どうか。このナタリア・フェルドを、こき使ってやってくださいませ!!」
「いや……」
「ダメですか!?」
「あ……、分かりました」
「ああ! こんな幸運!!」
と、ついに、わたしの両手はナタリア様の胸に埋まった。
柔らかかった。
初めての体験だけど、目のやり場に困る。
エイナル様、
――ね?
みたいな顔で、こっち見てないで、ナタリア様を落ち着けさせてくださいませ。
人質どころか、侍女にしてくれと志願されたナタリア様は、わたしがうんと言うまで手を放してくれない。
結局、押し掛け侍女がひとり増えた。
カリスに、なんて言おう。
まだ朝のうちに軍船に帰り付き、いよいよコショルー公国に向けて出港する。
女性騎士から入念なチェックを受けたナタリア様……、ナタリアが侍女のメイド服に着替え、わたしの隣から離れない。
それを警戒するクラウス伯爵まで、わたしの側から離れない。
ハンリ殿も実直そうな顔付きで黙って見守ってないで、テンゲル王国の侯爵令息として、伯爵令嬢にご意見なされてはいかがでしょうか?
そして、エイナル様。
ちょっと寂しそうに見てないで、堂々とわたしの隣に来て下さいませ。
本日の更新は以上になります。
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