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69.冷遇令嬢は見詰め合っていた

船窓が薄く白んだと同時に目が覚めた。


努力の成果か、グッスリ休めたような気がする。


船室の入口で待機してくれていた女性騎士が、身体を清拭してくれる。蒸したタオルの温かさが嬉しい。


ドレスを着せてもらうと、ほぼ同時に船が着岸した。


クラウス伯爵が姿を見せ、片膝を突く。



「ケメーニ侯爵のご嫡男、ハンリ殿が港の官吏への使者に立ってくださり、既に入港の許可を得ております」


「さすが、素早いですわね」


「いえ……、当然のことです」


「フェルド伯爵への先触れは?」


「はっ。そちらもハンリ殿が。……もちろん、我が配下の騎士も付けております」



わたしの身分は、いまだリレダル王国からの正使であり、テンゲル王国内の移動にも手順を踏んでいる。


早朝の訪問はいささか礼を欠くものの、フェルド伯爵も王都から落ちた身。


この非常時に、うるさいことは言わないだろう。


部屋を出ようとしたとき、クラウス伯爵が耳元で囁いた。



「……もし、ハンリ殿も含めた罠であったとしても、オレとエイナルがいれば斬り開けます」


「……承知しました。頼りにしています」



わたしが微笑むと、クラウス伯爵はいつもの冷然とした表情で、素っ気なく頷いた。


鼻をヒクッと動かしたので、



――く、臭かったのかしら? 念入りに清拭してもらったのだけど……。



と、そっと自分の二の腕をクンクン嗅いだ。


臭くはない。むしろ、ドレスに焚かれた香のいい匂いがする。



――きっと、気のせいね。



と、船室を出た。


雨は降り続いており、クラウス伯爵が軍船に積んでくれていた馬車に乗る。


フェルド伯爵領の領都は支流に面し、険しい山岳地帯に挟まれている。この山々を越えたらコショルー公国だ。


そして、市街を囲む山肌の一面に広がるサジー畑が、銀色がかった緑の葉を雨に洗わせていた。


目を凝らすと、今はまだ小さな青い実が、葉陰で雨宿りするかのように、ひっそりと育ち始めている。


初めて見る景色に目を輝かせて、馬車の窓に貼り付く。


早朝の市街に、行き交う人は少ない。


ただ、パン屋とおぼしき店の煙突からは煙があがり、市街は平穏そのものだった。



「……ケメーニ侯爵領の領都とは、まったく様子が異なりますわね」



と、同乗しているエイナル様に呟いた。



「うん。ここは、王都から遠いからね」


「……まるで別世界。王都で動乱など嘘のように感じてしまいます」


「バーテルランドとの戦争中、リレダルの王都も平穏そのもので……、たとえばボクは学院時代をクラウスやカーナたちと謳歌した」



わたしも、お母様とふたりで軟禁されて過ごしたとはいえ、戦争の惨禍を肌身で感じたことはなかった。


あまりにも平和な景色に、眉を寄せる。



「……目先の平穏に惑わされず、遠く離れた地の危機に実感を持てなければ、国の枢機を預かることは出来ませんわね」


「コルネリアは大丈夫だよ?」


「……え?」


「大河伯として、豪雨災害中ずっと、リレダル全土をその場にいるかのように見渡していたじゃない?」


「あれは……。いえ、そうですわね」



あの期間中、ひとりの犠牲も出さないようにと、わたしは常に気を張っていた。


ささやかな報告からも行間を読み、状況を思い浮かべようと必死だった。


わたしに期せずして与えられた、ヴェラを舞い上がらせた、国の枢機を預かる権威。


それが、もしもテンゲルの民を戦禍から救うことに役立つのなら、おなじように気を張って努力したい。


エイナル様が穏やかに微笑まれた。



「……ボクは大公家の取次として、ずっとコルネリアに見守られてるみたいで、あれは安心だったなぁ……」


「ま」


「ん? なに?」


「……わ、わたしもエイナル様に見守っていただいてると……、思っていましたわ」


「そう?」


「……はい」



ほっぺの上の方が赤くなってる気がして、両手で押さえる。


なので、エイナル様、



「じゃあ、リレダル王国の上流と下流の端っこから、お互いに見詰め合っていたんだね」



とか、ますます赤くなりそうなことを、サラッと言わないでくださいます?


馬車に並走してくれるクラウス伯爵が、雨の中だというのにチラチラこちらを見ておりますわよ?


そのクラウス伯爵が軍船で運んでくれたドレスは、わたしがエルヴェンの総督代理になる着任式で着ていたもの。


淡い銀鼠色のシルク生地。デコルテは控えめなラウンドネック。


ウエストには藍色のリボンがあしらわれ、スカートには軽やかなチュールが重なって、動くたびにふわりと揺れる。


クラウス伯爵と初めて会った時に着ていたドレスで、エイナル様から最初に贈っていただいたドレス。


そして、最初に総督代理という重責を担った、覚悟のドレスだ。


カーナ様の美しく凛々しいお背中を思い起こしながら、背筋を伸ばしてフェルド伯爵の主城へと入った。



  Ψ



貴賓室に入ってきたフェルド伯爵は、四角い顔で大柄な体躯にぶ厚い胸板。お腹周りもぶ厚くて丸い。



「ケメーニ侯爵からの書簡を受け取りました」



と、温厚そうな顔立ちでにこやかに微笑む、飄々としたお人柄の方だった。


テンゲル宮廷で堤防修復が議論になったとき、発言していた記憶はない。



「王都が治まるならば、私からとやかく言うことはございません」


「左様ですか」



と、にこやかに返答するけれど、他人事のような言動は気にかかる。



「ただ、大河伯閣下。出来ますれば……」


「はい」


「……王政が課す多重の税を、いささか軽くしてもらえるなら、なおのこと支持することが出来ますな」


「承知いたしました」


「ほう……」


「……どうされました?」


「随分、気軽に請け負われるものだと」


「ふふっ。……承知は致しましたが、実現されるのは皆様方のお力なのでは?」


「なるほど……」



と、フェルド伯爵はアゴを撫でた。



「この地は、コショルー公国に国境を面しております。……非公式な、民のレベルでの交易を王政から黙認されてきました」


「交易が……」


「か細いものです。……ただ、それゆえに理不尽な税も押し付けられております」


「……かしこまりました。公正な王政の実現は、仲裁の前提条件となりましょう」


「ふむ……」



と、考え込んだフェルド伯爵は、不意に大口を開けて笑い始めた。


わたしの隣に座るエイナル様より、後ろに控えるクラウス伯爵がムッとして咎める。


フェルド伯爵が片手をあげて、謝罪した。



「いや、許されよ。……なに、これはケメーニ侯爵がその気になるはずだと、痛快な気持ちにさせられただけのこと」



クラウス伯爵の隣に並ぶハンリ殿が、深く頷いた。



「当たり前を当たり前に口にする。……我が国では珍しい光景にございますな」



という、ハンリ殿の言葉に、皮肉げな笑みを浮かべて頷いたフェルド伯爵は、大きく開いた両膝に両手を突き、わたしに深々と頭を下げた。



「……我がフェルド伯爵家も、大河伯閣下の仲裁に従いましょう」


「恐れ入ります」


「コショルー公国には、我が領名産のサジー酒を通じた交易がございます」


「なるほど……」


「我が領でのサジー酒づくりには、コショルー公国産の炭が欠かせません」


「……炭、ですか?」


「木炭です。……どういう訳か、コショルー産の炭は質がいい。堅く、弱い火がいつまでもチロチロと燃える」


「へぇ……」



と、新しい知識に触れると、思わず目を輝かせてしまう。


発酵段階の温度管理に役立っているということだろうか……?



「……それに、コショルーの炭から出る煙には不思議な働きがあって、サジーの実から出る油を良質な芳香成分に転化させてくれるのです」


「そ、それは、不思議ですねぇ……」


「ふふっ、そうなのです。コショルーの炭焼きはその秘密を明かさないし……、炭と引き換えにサジー酒を欲しがります」


「へぇ~っ!?」



お母様から教わっているかどうか以前に、世の中の職人技というのは不思議でいっぱいだ。


こればかりは、実際に足を運んでみないと分からないことが多い。


フェルド伯爵が、腕を後ろに回して後頭部を撫でた。



「いや、これは困りましたな」


「……え?」


「こんな危急の時に、女学生のように目をキラキラと……」


「あ、いや……、失礼しました」


「いやいや。……こちらが、心を惹き込まれてしまうという話ですよ」


「きょ、恐縮です」


「ふふっ。これは、大河伯閣下のために働きたくなる。主君と仰ぎたくなる。……クラウス伯爵が羨ましい限りですぞ」


「恐れ入ります」



と、クラウス伯爵は抑揚のない声で応え、アゴを上げて胸を張った。



――いや、クラウス伯爵? 全然、恐れ入ってませんけど……?



と、わたしが苦笑いした。


満足気に微笑んだフェルド伯爵が、大きな身体を前のめりにする。



「……コショルーへの入国は、サジー酒を手土産に、まずは炭焼きを訪ねるのが良いでしょうな」



と、サジー酒を入手するため、フェルド伯爵から教えられた蒸留所に馬車で向かう。


その案内役に、ご令嬢をつけてくれた。


すみれ色めいた銀髪が美しくて、しなやかな曲線美を描く丸みのある体格は父親ゆずりか。


表情が硬いのは、自分の身が人質含みで、わたしに預けられたせいだろう。


なにかと人質を送りたがる気風には慣れないけれど、これがテンゲル王国なりの誠意の示し方なのだとすると、断る方が失礼にあたる。



「ナタリア様? ……どうぞ、楽にしていてくださいませね」



と、向かい合って座るご令嬢に声をかけた。


そして、ぎこちなく頭を下げたナタリア様の表情から、



――いや……。むしろ、コショルー公国に連れて行かれることの方に緊張しているのか……。



と、気が付く。


やがて、蒸留所に到着し、馬車を降りるとヴェラが先に着いていた。


遠縁の者だという男性に微笑みかけると、わたしを見たまま固まった。


男性が半歩、わたしに歩み寄る。



「……テレシアか?」


「え? 小父さん、なんで知ってるの?」



と言うヴェラと、目を見合せた。

本日の更新は以上になります。

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