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68.冷遇令嬢は仕事を果たす

  Ψ  Ψ  Ψ



クラウス伯爵が、さすがの手際で準備を整えてくれ、軍船はただちに出港した。


船には、ヴェラも乗った。



「……フェルド伯爵領には、遠縁の者がおります。できれば、私もそちらに避難を」



母テレシアと、テンゲル王都の酒場で同僚だったというヴェラ。わたしのために、雨中の行軍に付き合わせてしまった。


クラウス伯爵が用意してくれたわたしの船室に招き、軽い宴席を設けた。



「まあまあ、どうしましょう……」



と、ヴェラは感激してくれた。



「ヴェラには、雨の中だというのに、わたしのワガママで無理を言ってしまいましたから……」


「いえいえ、とんでもない! ……逞しい騎士様の後ろに乗せていただくだなんて。それもギュウッと抱き着いて……。素敵な思い出を頂戴いたしましたわ」


「……そう言っていただけると」


「その上、大河伯様とふたりでお食事だなんて、……夢のようですわ」



舞い上がったように語るヴェラの反応に、わたしが戸惑うのは、まだ自分の身分にしっくりきていないからだと思う。


大河伯、公爵、侯爵。リレダル宮廷では序列第4位。バーテルランドでは王政顧問。


わたしが平民のヴェラに対してお礼の席を設けることは、大きな栄典を授けたのと同じだと、頭では理解している。


だけど、感覚が追い付いていない。



――わたしなんかのもてなしで、お礼になってるかしら……?



と、どこかで思っている。


姫様! と、気軽に話しかけてくれる、エルヴェンのおかみさんの心遣いに、改めて気付かされたりもする。


だけど、きっとヴェラは生涯、この席を誇りに思ってくれるのだろう。周囲は羨み、鼻高々な自慢話にしてくれるのだ。


せめて、それに相応しくふる舞いたい。


ぎこちなく微笑んで、クラウス伯爵が厨房に用意させてくれた料理を勧める。


そして、ヴェラの緊張をほぐそうと、お母様との楽しかった暮らしを話した。



「……そうですか。テレシア……様は、信頼できる家族がほしいと仰られていたように記憶しています」



と、ヴェラが目を細めた。


父に軟禁されていたとまでは、ヴェラに話していない。隠してもいないけど、吹聴するような話でもない。


モンフォール侯爵家の事件は、国境の壁を超え平民の耳に入るほどではなかった。



「……テレシア様があの時期のコショルー公国から流れてきたということは、きっと孤児だったのでしょう……」


「そうですか……」


「貴族様のご正妻になられて、大河伯様というご令嬢にも恵まれ……、きっと、幸せだったことでしょうね」



ヴェラがお母様にそう思ってくれることを、邪魔したくはない。


父に見初められ、熱烈な恋に殉じて、最期までわたしに愛情を注いでくださったお母様の生涯を、……幸福だったと、わたしも思いたい。


ヴェラのグラスに、リレダル産のお酒を注ぎ足した。


恐縮しながらグラスを捧げ持っていたヴェラが、ふと顔を上げた。



「そういえば……、テレシア様はフェルド伯爵領で名産のお酒に詳しかったですわ」


「へぇ……、そうなのですね」


「サジーでつくる珍しい蒸留酒です。……コショルー公国との国境沿いですから不思議に思わなかったのですけど、ひょっとすると、伯爵領を経由して王都に来られたのかもしれませんわね……」



サジー。エルヴェンの果物屋のおかみさんが握らせてくれたことがある。


酸味が強くて、思い出すだけでも口の中に唾が出る。ただ、後味には独特なまろやかさがあって、サジーに特徴的な油分に由来するはず。


ただ、油分は酵母の働きを阻害する可能性があって、蒸留酒にするには特別な技術というかノウハウが必要なはずだ。


と、興味を惹かれて、自然に頭が回転してから、ハタと気が付いた。



――お母様から、教わっていない……。



神話級の天才だなんて褒め称えられたお母様だって、人間だ。


ご存知ないこともあっただろう。


だけど、サッと自分の知識を点検すると、近隣諸国の中で、コショルー公国周辺に関することだけ、不自然に薄い。


サジーでつくる蒸留酒。


もっと他に、お母様がわたしに教えたかったことがあっただけなのかもしれない。


違和感を覚えたけれど、ヴェラに伝えることでもない。



「遠縁の者は蒸留所で働いております。ぜひ、いつか案内させてくださいませ」



と言うヴェラとの会食を和やかに終えて、エイナル様の船室へ足を運ぶ。


時刻は既に夜半過ぎ。


夜間の航行にも関わらず、クラウス伯爵の選んだ船乗りや水兵は精鋭ぞろいで、順調に支流を遡上している。


出港直前、思わぬ客人が飛び込んでいた。


ケメーニ侯爵のご嫡男だ。


ハンリと名乗ったご嫡男から、エイナル様とクラウス伯爵が話を聞いてくれていた。



「ケメーニ侯爵は、コルネリアの仲裁に賭けると家論をまとめ、ハンリ殿を……」



と、エイナル様が苦笑いした。



「人質として寄越してくれたそうだよ」


「……ひ、人質?」



ハンリ殿が、慇懃に頭を下げた。



「ケメーニ侯爵家が、大河伯閣下を後ろから撃つような真似はしないという証しにございます」



黒々とした髪に眉が太く、実直そうなところが、父君によく似ている。肌にはハリがあって、目鼻立ちがしっかりしている。


華やかさはないけれど、貴族令息らしい気品が感じられた。


クラウス伯爵が眉根を寄せ、難しい顔をした。



「人質とは、コルネリア様には馴染みがないかもしれませんが、……ケメーニ侯爵の誠意の表れと受け取られてよろしいかと」


「そ、そうですわね……」



王都での民衆蜂起。下級貴族の反乱。テンゲル王国の根幹を揺るがす事態を軽く見ていたつもりはない。


けれど、ケメーニ侯爵がわたしの仲裁に家運を賭けてくれていることに、改めて身の引き締まる思いがした。



「……大河伯閣下の決断と行動の速さに驚愕し、感銘を受けておりました」



と、ハンリ殿が首を左右に振った。



「それを可能にしたクラウス伯爵閣下の電光石火のご英断。……テンゲルでは目にすることのない、誠の忠心にも胸を打たれましてございます」


「……お、恐れ入ります」


「どうぞ、このハンリ・ケメーニ。大河伯閣下の臣下になったつもりで働かせていただきます」


「それは、心強い限りです」


「……コショルー公国との交渉とはテンゲルの廷臣には思いもよらぬ一手」


「左様ですか……」


「我が王家が公妃に与えた王女殿下。またそのご息女を幽閉されながら……、見て見ぬふりを決め込んできたのでございます」


「……ご息女も」



公妃に子どもがいたとは初耳だった。



「……コショルーは難解な国。されど、強兵の国でもあります。内乱に介入する兵を送り、テンゲルは手痛い敗戦を喰らいました。……幽閉された公妃と公女は、我らが王統に連なりながら無視されたも同然」



やはり、お母様に教わった知識から、コショルー公国に関することだけがスッポリ抜け落ちている。


内乱は約30年前。お母様が父に軟禁される前の出来事だ。


ご存知なかったとは考えにくい。



「……出兵が失敗に終わり、王女を見捨てる形となった王家は、国内の引き締めに走りました」


「ええ……」


「いびつな王政は、30年前の敗戦に端を発しているとも言えます」


「なるほど、そのような経緯が……」



テンゲル王家は家臣から本質的には侮られていたのだ。それを挽回しようと居丈高にふる舞う内に、歯車が狂っていったということか。


権威や権力とは、本当に難しいものだ。


ハンリ殿からもっと話を聞きたかったけれど、エイナル様から止められた。



「コルネリアは、もう休まないとね。今日は朝からずっと雨の中、馬に揺られて駆け通しだったんだよ?」



と、柔らかく微笑んでくださり、素直に従うことにした。


クラウス伯爵も、深く頷く。



「あとは、我らにお任せください。戦陣は慣れておりますゆえ」



力強い言葉に感謝すると同時に、エイナル様に添い寝をおねだりできる雰囲気でなくなったことが、ちょっと残念。


だけど、エイナル様とクラウス伯爵のコンビは強力だ。ハンリ殿と必要な打ち合わせを重ねてくださるだろう。


ひとりで船室に戻り、床に就く。


早朝に岩場の陣を出発し、怒涛の一日を過ごした。


夜が明ければ、フェルド伯爵領に到着し、そこからコショルー公国に向かう。


19年の軟禁でも充分に長かった。それが30年に及ぶ公妃と公女。想像するだけでも、胸が締め付けられる。


母と娘のふたりきり。


どのような待遇で幽閉されているのか。


肌身離さず持ち歩く、お母様の日記をパラパラとめくっても、やはりコショルー公国に関する記載はない。


コショルー公国には謎が多い。


ギリギリの判断が必要な場面も出てくるだろう。心と身体の昂ぶりを鎮めるのが、今のわたしが果たすべき仕事だと覚悟を決め、努力して眠りに落ちた。

本日の更新は以上になります。

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