67.侍女伯爵は深呼吸する
カーナ妃殿下をサラリと見据えた。
「……ネルに見る目がないとは、どういう意味でしょうか?」
「あら? カリス伯爵ほどの敏腕に、下級貴族の切り崩しを命じないなど……、コルネリアにカリス伯爵は宝の持ち腐れというものですわ」
「それは……」
「カリス伯爵? 悪いことは言いませんから、私のところにいらっしゃいません? もっと好待遇でお迎え致しますけれど……」
願い下げだ。とも言えない。
一応、相手は王太子妃殿下だ。多少、引きつらせ気味の笑顔で応える。
「……せっかくのお誘いですが」
「あら、残念。……これだけの材料がそろっていて、反乱など起こす浅慮な者どもの切り崩しにも着手できないとは……」
「はあ!? や、やれますけど?」
「そう?」
と、カーナ妃殿下の上目遣いにムカッとしてしまう。
「……そ、そうですわね、王都を水没させる際、我が陣への投降を認めると持ちかければ、喰い付いて来る者もおりましょう」
「あら? いいじゃない。……でも、今の時点では、水没策を明かせませんわね」
「ええ、支流側の排水路を守るのに兵を割かれると、少しやっかいですから……」
「……どうしましょうかねぇ? 反乱軍を分断できたら、コルネリアの策が成る確率を上げられるというのに……」
「いえ、水没策を伏せたままでも、いざとなれば投降を受け入れると伝えるだけでも効果は見込めます」
「そのようなルートが?」
「……孤児たちを通じて、交渉窓口を探ってみましょう」
「わあ。さすがはコルネリアの腹心カリス伯爵でいらっしゃいますわね。よろしくお願いしますわね?」
陣幕を出て柱に手をつく。
ルイーセさんが、わたしの肩をポンと叩いた。
「……乗せられたな」
ビルテさんも、ポンと続く。
「……乗せられたわね」
悔しいのは、まんまと下級貴族の切り崩しを押し付けられたことではない。
わたしとルイーセさんの集めてきた情報にネルが触れたら、
「カリス、お願いね!」
と、間違いなく、わたしに下級貴族の切り崩しを命じていたことだ。
ネルの思考を、わたしよりカーナ妃殿下の方が一歩先んじて理解していたことが、無念でならない。
けれど、落ち込んでる場合でもない。
エマから街の悪ガキたちの好みを聞き、手土産を準備してから、仮眠をとる。
豪雨対応以来の慌ただしさ。
――ネルならこの状況をどう考えるだろう……。ネルなら次に打つ手は……。
などと、考えるウチに夜が明けてしまう。
早朝の本陣に、ネルからの早馬が飛び込んでいた。
「……コショルー公国に」
エルヴェンからクラウス伯爵が到着していたことにも驚いたけど、さらにその軍船で支流を遡るのだという。
カーナ妃殿下が眉根を寄せた。
「コショルーは、難しい国です……」
「ご存知なのですか?」
「……テンゲルへの臣従は形ばかり。他国との交渉を好みません」
「なるほど……」
「ですから、詳しい国情を知る訳ではないのですが……、テンゲル王女を公妃に迎えたことが内乱を呼び、そのために公妃とその娘である公女が幽閉されたとか」
「幽閉……」
アロンの祖父母が逃げてきたという内戦のことだろう。民が他国に亡命するほどだとは、戦いの激しさが察せられる。
それも、臣従した宗主国から迎えた妃が原因となれば、かなりひねくれた国情なのだろう。
カーナ妃殿下が困ったような笑顔を浮かべた。
「ただ、それも今から30年近く前の出来事です。……我が国の戦争と時期が重なっていて、確かな情報かどうかも定かではないのですが……」
ルイーセさんが、ヒョコッと顔をのぞかせた。
「……カーナ。その割には詳しいな」
「ほほほっ。こう見えましても、私、王立学院を首席で卒業しました才媛ですのよ?」
「……聞くんじゃなかった」
怪しげな国だ。ネルはそんなところに行くのか。
と、グッと奥歯を噛み締めた。
ネルの母君、テレシア様のご出身かもしれないという情報もあった。テレシア様も内戦を避けてテンゲルへ、そしてバーテルランドへと移住されたのかもしれない。
心配をすればキリがない。
ただ、ネルは幽閉されているという王女を救けたいと考えたはずだ。王女ならテンゲル王位の継承権も絡む。
――ネル……、無理はしないでね。
と、雨空を見上げた。
考えてみれば、幽閉されていたネルとふたりでグレンスボーに旅立ったとき。
辺境の子爵夫人としてのんびり暮らすネルのお世話をして、生涯を終えるつもりだった。それだけで満足だった。
ネルはすごい才能を秘めているハズだと、祖父から聞かされて育った。けれど、ここまでとは思いもしなかった。
まだ、1年経っていないのだ。
あの異様な高い壁を、寂しげに見詰める美少女。わたしはネルが選んだことに、絶対反対しない。全力で応援する。
きっと、ネルの開花させる才能は、まだまだ待っているのに違いない。
ネルが、民を見捨てられないにしても、幽閉された王女を見捨てられないにしても。
どうか無事に帰って来てほしい。
いまはネルが心から愛するエイナル様がご一緒だ。あの大公世子が、ネルを危ない目に遭わせるはずがない。
――ボクの胸の中は、世界で一番安全な場所だよ?
とまで豪語したのだ。
きっと、ネルを守り抜いてくれる。
それに、クラウス伯爵も駆け付けている。あの方は有能だし、ネルに心酔している。
だから、きっと大丈夫。
と、深呼吸する。
わたしは、わたしの果たすべき役割に徹する。
ネルが帰って来たとき、目を輝かせてくれるように。
本降りの雨の中、自分の小屋に戻り、ズボンに足を通した。
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