66.侍女伯爵は思わず喧嘩腰
日没した市街を、夜陰にまぎれて駆ける。
「俺たち、結構、うまくやってるんだぜ? おばさん」
と、悪ガキたちは、地下室からの退去を拒んだ。
避難民の空き家から、酒などを盗み出し、下級貴族の兵に売っているらしい。
そのカネを使い、暴徒が制圧している区域で営業する露天から食料を得る。
「……なるほど。商売が上手なのね」
「へへっ。……生きていくためには仕方のないことさ」
と、得意げに頭を掻いたリーダー格の少年に、子どもたちが尊敬の眼差しを向けた。
やはり悪ぶっているけど根っからの悪童という訳ではない。育ちの良さが隠せていないし、虚勢が可愛らしいほどだ。
「でも、あまり賢くないわね」
「なにがだよ?」
「取り引き相手をひとつに絞るのは、リスクヘッジとして問題があると思わない?」
「……お、俺もそう思ってたんだぜ?」
まあ、少年が〈リスクヘッジ〉が何なのかを知っているかはともかくとして、わたしが個人として彼らを雇う取り引きを持ちかける。
下級貴族の兵、そして暴徒。両方にコネクションを持っていることは注目に値する。
「耳に入る内容だけでいいわ。どんな話をしていたか、わたしたちの陣まで伝えてちょうだい」
「……こ、こんなに貰っていいのかよ?」
「絶対、無理に何かを聞き出そうとはしないでね? 『あ~っ、眠たい』って言ってたっていう情報にも価値があるのよ?」
半信半疑といった風情の少年たちに、陣の場所を詳細に伝える。
「あと……、この地下室の床が全部水浸しになったら、それが一番、高く売れる情報なのよ?」
「そ、そうなの?」
「うん、そうなの。だから、そのときは全員でわたしたちの陣に情報を売りに来て。お願いね」
と、両手を合わせてウインクすると、少年は頬を赤くして目を背けた。
おばさんのウインクでその反応は、チョロいぞ、少年。
「約束してね。そのときは、おカネだけじゃなくて温かいシチューをお腹いっぱい、ご馳走してあげるから」
と、わたしの言葉に、ちいさな子どもたちが顔をキョロキョロとさせた。
そのときが来れば、彼らがリーダーにせがんでくれることだろう。温かいシチューを食べに行こうと。
名前を尋ねると、少年は言い淀んだ。
「偽名……、仮の呼び名でもいいわ。不便でしょ?」
すると、少年は地下室の中から小さな箱を探し出し、何かを書きつけた紙を入れ、蓋を閉じた。
「……それは、なに?」
「本当の名前を書いた紙を入れた。……名前をくれた父ちゃんと母ちゃんに悪いからな……」
「へぇ、律儀なのね。テンゲルの風習?」
アロンと仮の名前を名乗った少年が、首を左右に振った。
「……コショルー公国の習わしだ。昔、俺の生まれるずっと前、爺ちゃんと婆ちゃんが内戦から逃げてきたんだって……」
「そっか……」
恐らく、父母だけではなく、その祖父母も洪水の被害で失ってしまったのだろう。
酷なことを言わせてしまったと、口の中を噛んだ。
懐から紙とペンを出し、わたしとルイーセさんが通ってきた、比較的安全だと思われる陣までのルートを地図にして描く。
ルイーセさんが、わたしの手元をのぞき込んだ。
「……ヘタだな」
「え?」
「貸せ。私が描く」
と、ルイーセさんは、サラサラッと見やすい地図を描いた。
リーダー格の少年が、ケタケタと笑った。
「ボウズの方が、おばさんより絵が上手なんだな!」
「ボウ……」
少年よ。小柄で少年っぽく見えるかもしれないけど、その人はエイナル様と同い年の25歳。既婚者で剣聖だ。
けれど、笑顔になるのなら、それもいい。
ルイーセさんは不愛想な表情のまま、少年に地図を渡した。
そして、陣に戻るため、夜闇に包まれたテンゲル王都を駆けている。
「……全員、ひっぱたいて引きずってくれば良かったのに」
というルイーセさんに、苦笑いを返す。
「無理矢理に連れ帰って、陣から逃げ出されたりしたら、その方が危険ですから」
「……それはそうだが」
「心配ではありますけどね」
「……カリス。絵が下手なんだな」
「え? ……ええ、まあ」
「何でもできると思ってたから、すこし安心した」
「なんですか、それ?」
「……今度、ぜひ私の似顔絵を描いてみてくれ」
「え? イヤですよ」
と、苦笑いを重ねる。
岩場の陣に戻って、侍女のメイド服に着替えてひと息ついた。
ばあやがお茶を淹れてくれて、互いの進捗を確認する。
「ジェルジとひと通り話を聞いて回りましたが、今のところ迷う者はいても、ハッキリと反対する住民はおりませんわね」
「そうですか……」
「避難を決意した段階で、家も財産も諦めていたようですわ」
それはそれで切ない話だと、ばあやとふたり、眉間にシワを寄せ合った。
そして、軍議のため本陣に向かう。
主座に腰を降ろすのは、王太子妃カーナ妃殿下。
「お役目ご苦労でしたわね、カリス伯爵」
と、優雅に微笑む。
けれど、わたしはこのカーナ妃殿下のことがあまり好きではない。
学院時代、ネルの大事なエイナル様に言い寄っていた女など、実に不愉快だ。
そして、この手のタイプの女には、心に抱く反感を隠せない。
敏感に嗅ぎ取ってくる。
実にやっかいで、面倒な女だ。
ネルが、生まれて初めて接したフランシスカ以外の〈貴族令嬢〉として憧れていなければ、ご交誼を断りたいところだ。
騎士団長ビルテさんの仕切りで、軍議が開始される。
「……被災地への浸水が、想定より早いかもしれない」
と、カーナ妃殿下が尖った顎に手を添え、わたしとルイーセさんの報告に、眉を曇らせた。
ネルとエイナル様が不在で、この陣の総指揮はカーナ妃殿下に委ねられている。
ビルテさんも眉根を寄せた。
「……コルネリア様のご帰還前に、下級貴族が暴発する恐れがあるということか」
「そのときは、私たちだけで決断せねばなりませんね。……王都の水没策を実行に移すか否か」
と、カーナ妃殿下が低い声を出した。
しかし、ビルテさんもルイーセさんも学院時代のカーナ妃殿下には反感を持っていて、わたしから見ても、わだかまりを感じない訳ではない。
それでも、カーナ妃殿下は堂々としたものだ。
エイナル様が許し、ネルが憧れているとはいえ、なかなかこうは、ふる舞えない。
優雅で嫋やかで、艶やか。その上、軍議の場がよく似合う凛々しさまで兼ね備えている。
王都市街の地図に目を落していたカーナ妃殿下が、顔をあげた。
「いずれにしても、住民からの合意取り付けを急ぎましょう。それ抜きに実行することは、コルネリアの意志に反しましょう」
と、美しく背筋を伸ばし、優雅に微笑む。
どの地点の排水路を塞げば、王都を水没させられるかは、ネルから詳細な指示が残されている。
実行に移せば半日とかからず、テンゲル王都は水没して、王宮は孤立する。
カーナ妃殿下の端正な顔立ちを見詰めた。
「……ですが、カーナ妃殿下。国王を退位に追い込む、その確証もなしにテンゲル王都を水没させることは、我々の進退を極まらせる恐れがございます」
「そのときは、コルネリアに私を即位させてもらいましょう」
「……は?」
「我が出自、ホイヴェルク公爵家は12代遡ればテンゲル王家との縁戚にあたります。……えっと、おそらく継承順位300番目くらいにはなるはずです。400かな?」
「あ、いや、しかし……」
「ふふふっ。冗談ですわ」
そんな王族ジョーク、分かる訳ないだろ。
と、思わず口をへの字に曲げる。
「……ただ、いざとなれば何とでもなるというお話ですわ」
と、カーナ妃殿下が目をほそめた。
「優しいコルネリアは、テンゲル王家の自立存続を望んでおりましょうが、……リレダルが併呑するチャンスでもあります」
「あ……」
「……それだけで、国元の前大公が仕掛けた政変など、吹き飛ばすだけの威力がありますわ」
だから……、この手のタイプの銀髪美人がニタリと笑うと、恐いのよ。
と、背筋に冷たいものが走る。
「ただし、コルネリアの意志を尊重しない訳ではありません。ですから、住民意志の確認を急いでくださいますか?」
と、カーナ妃殿下は柔らかく微笑んだ。
ネルの残した既定方針通り、慎重にことを進めると確認して軍議を終える。
席を立とうとしたとき、カーナ妃殿下がわたしにニコリと微笑んだ。
「……それにしても、コルネリアは見る目がございませんわね?」
「はあ!?」
思わず、喧嘩腰で応えてしまった。
「カリス伯爵への評価が低すぎるんじゃありませんこと?」
ネルを貶して、わたしを褒めるとはどういうつもり? と、眉間にシワを寄せた。
本日の更新は以上になります。
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