62.大公世子は心を躍らされる
「エイナル。……コルネリア様を危険に晒すとは何という醜態だ」
と、クラウスは馬を寄せてくるなり、不愛想にボクを責めた。
「そうだな。……すまない」
「大公家に、コルネリア様は荷が重かったのではないか?」
ボクは苦笑いを返すしかなく、コルネリアはボクの胸の中でオロオロしていた。
クラウスは既に河岸に陣幕を張っており、中に入るとバーテルランドの宰相も待っていた。
コルネリアは女性騎士に案内され、着替えのために一度陣幕を出た。
「……リレダル、バーテルランド両国にとって要人中の要人であるコルネリア様が滞在中に起きた内乱だぞ? それだけでも軍事介入は当然だ」
と、クラウスがこともなげに吐き捨て、宰相も頷いた。
陣幕の椅子に腰を降ろす。
「それにしても、速かったな。クラウス」
「……今のオレは、エルヴェン公爵であるコルネリア様の臣下の立場にあるからな。主君の危機に駆け付けるのは当然だ」
そう言うクラウスの視線は冷たい。
コルネリアのデビュタント終りの晩、
『守るよ。ボクが』
と言ったボクの言葉は嘘だったのかと、咎める視線で見ていた。
それにしても『リレダル王都で政変』の一報を受け、コルネリアを巡る陰謀を察知したところまでは理解できる。
そこで様子見などせず、即座にエルヴェン管轄の軍船のみでコルネリア救出に動いたクラウスの判断は、見事というほかない。
テンゲルで暴動が発生する前の段階だ。
しかも、国境を接するバーテルランドの水軍まで動かしている。
「……王家も王家だ。王太子妃になったカーナを使者に立てるにしても、もう少し兵を付けて寄越すべきだった」
「まあ、そう言うな、クラウス。お祖父様が政変を仕掛けてる状況で、王都の守りも重要だろう」
クラウスは、カーナを待って停泊する軍船を叱り飛ばし、自分の艦隊に加えていた。
「主君だけを突入させて、ボーッと帰りを待つ兵がどこの世界にいる。まったく、王家の兵もなっておらん」
冷静な物言いながら、内心では怒り狂っているクラウスを宰相と一緒になだめる。
すると当然、矛先はボクに向く。
「エイナルもエイナルだ。両国の至宝であるコルネリア様をお預かりしているという自覚はあるのか?」
「あ、うん。……ごめん」
「テンゲル王都の桟橋が焼き落され、軍船が着岸できるのはここだけだと先回りしてみれば、まさかコルネリア様本人が来られているとは……。やはり、エイナルには荷が重いのではないか?」
さっさと離婚して、コルネリアをオレに渡せと言わんばかりのクラウスに、苦笑いを返すことしかできない。
クラウスは既に、宰相と連名で王弟に対して厳重な抗議の使者を飛ばしていた。
リレダル大河伯にしてバーテルランド王政顧問たるコルネリアの保護に動いていないとはどういう了見か、と。
――大公世子のボクや、王太子妃のカーナの立場は?
と、思わないでもないけど、それだけクラウスがコルネリアに心酔しているということだろう。
やがて、着替えたコルネリアが姿を見せると、クラウスは借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「……民を見捨てては行けません」
と言う、コルネリアに、
「コルネリア様の慈悲深いお心に、感銘を受けるばかりでございます」
と、クラウスが殊勝に頭を下げた。
軍議を開き、コルネリアが自分の見立てを説明すると、クラウスばかりではなく宰相も深刻に表情を曇らせた。
「……バーテルランド挟撃の企みとあらば、他人事ではありませんな」
「その他にも複雑な要因が絡み合っていることが想定されますが、大筋で見立てに誤りがあるとは思えません」
という、コルネリアの言葉に、皆が頷く。
「……クラウス伯爵がバーテルランドにも報せ、宰相閣下を動かしてくださったのは、まさに英断。深く感謝いたしますわ」
「いえ、そのようなお言葉をいただくとは……、恐れ多いことです」
クラウスの鼻がヒクッと動いた。
褒められたことが嬉しいときの、クラウスの癖だ。
まもなく日没。
王弟のもとに赴くというコルネリアを、クラウスが必死の形相で押し止めた。
「コルネリア様を行かせる訳には参りません。私が行きます」
「ですが……」
「いえ。私が行きます。……バーテルランドとの和平交渉も一手に担った私のことが信じられませんか?」
「いえ、そういう訳では……」
「……本来であれば、このまま軍船で帰国していただきたいのです」
「はい……」
「いくらなんでも、コルネリア様ご本人を王弟のもとに行かせるなど……、臣下として到底受け入れられません」
クラウスの勢いに押し切られたコルネリアとふたり、陣幕でお留守番だ。
バーテルランドの宰相も、テンゲルの意思を確認するとして行ってしまった。
「……王弟に会ってみたかったんだよね、コルネリアは?」
「あ……、ええ。でも、クラウス伯爵の申されることもその通りですから」
やはりクラウスは、コルネリアのことが解かっていないと、すこしホッとするのも、なんだか意地悪な気がした。
背もたれのない椅子に腰かけ、シュンとするコルネリアを後ろから抱き締めた。
「……エイナル様?」
「クラウスは有能だ。任せておいて大丈夫だよ? コルネリアも心配してないと思うけど」
「ええ、それは……」
「王弟は国王に比べたら公正かもしれない。けど、優柔不断だね」
「はい。王都の動乱にも、クラウス伯爵たちの包囲にも動きを取れていません。頼むに足りる相手でないことは確かでしょう」
「……次はどうする?」
「王弟が教えてくれます」
「王弟が?」
「王弟が動かない言い訳の中に、ヒントが隠されているかと」
「ふふっ。だから、自分で行きたかったんだ?」
「ええ……」
夜が更けても、クラウスと宰相は戻って来なかった。
陣幕の外に出て、騎士たちの護衛を受けながらコルネリアと周囲を散策する。
雨は降りやまず、傘を差しての散歩。
テンゲル水軍とエルヴェン・バーテルランド連合艦隊。双方ともに船上で篝火を焚いて睨み合ったまま動かない。
「……き、綺麗ですね」
と、コルネリアが目を輝かせた。
尋ねれば、ナイトクルージングの可能性について熱く語ってくれた。
「河面に映る篝火の灯り……。雨の季節でなければ、満天の星空。幻想的な光景は、新しい産業になり得る可能性が……」
「雨の中っていうのも、素敵だと思うけど?」
「そうですよね!? 実は私もそう思っていました!」
夜の大河を静かに進む遊覧船。
船上から眺めるロマンティックな光景は、平和の到来を象徴するだろう。
そして、多くの雇用を生み、民の生活を豊かにする。
「……夜の桟橋っていうだけでも、こう……、ワクワクしますものね」
と、コルネリアの瞳は輝き続ける。
「……国際河川化?」
「ええ……、密かに私の次の目標だと思っていました」
国境を越えた自由な航行を、大河流域国家が相互に認める。
いまは国境を越えるたびに、所定の港で通行の許可を得る必要がある。
今回、クラウスたちは力押しで無理矢理テンゲル王国の流域に艦隊を進めたようだけど、厳密に言えばもちろん敵対的行動だ。
「……自由航行が出来るようになれば、もっと交易が盛んになって、もっとお互いの国が富むはずです」
「うん……」
理屈の上では、その通りだ。
交渉の果てしなさを思って、つい返事を口ごもらせてしまったけれど……、コルネリアならやり遂げられるかもしれない。
「リレダルを出発した遊覧船がバーテルランドを通り、テンゲルを通り、さらに下流域まで……、何日もかけ海に出るのです」
「……ふふっ。素敵だね」
「はいっ!」
こんな危機の最中にあっても、コルネリアの瞳から輝きが失われることはない。
ボクの心まで躍らされる。
そして、呆れた表情のクラウスと宰相が陣幕に帰って来た。
本日の更新は以上になります。
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