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61.大公世子は驚かない

  Ψ  Ψ  Ψ



雨の降りしきる中、コルネリアがボクの胸の中で何かを指折り数えていた。


手綱を左手だけで握り直し、右腕でそっとコルネリアを抱いて身体を支えた。



「あ……、すみません」


「……どうしたの? コルネリア」


「テンゲル王国の王位継承順位を数えていました」


「そうか……。今から会う王弟は、たしか継承順4位だよね?」


「それも、そうなのですが……」


「……ん?」



馬を駆けさせる中、舌を噛まないようひと言ひと言、丁寧に話すコルネリアは、なんとも言えず可愛らしい。


馬蹄の音、雨音にも妨げられないよう、滑舌よくハッキリ喋ろうとしてくれているのもまた、いじましく感じてしまう。


手綱を握っていなければ、このまま両腕で抱き締めてしまいたい。


ボクは視線を前に向けたまま、身体を傾けて耳をコルネリアの口元に近寄せる。


コルネリアはフードをすこしめくって、ボクの方に顔を向けてくれた。



「……反乱を裏で主導したと疑われる公爵の継承順は14位です」


「そうか……、王家の血が」


「下級貴族の狙いは王宮そのもの、正確には戴冠宝器でしょう」


「公爵に戴冠させるためか」


「はい。……その上でバーテルランドを、リレダルで復権を果たした前大公と挟み撃ちにする、といったところかと……」


「バーテルランドを?」


「……対外戦争は、新国王の求心力を高めます」



コルネリアの声に険しさが乗った。


ケメーニ侯爵との面会は、コルネリアに多くの情報をもたらした。


母国リレダルがコルネリアを高く評価したのは、豪雨による氾濫を防いだ治水に関する知識だけではない。



――3日はかかると思った協議を、あっという間にまとめてしまった。



ユッテ殿下の感嘆は、そのまま国全体に広がった。


短期間でリレダル貴族をまとめあげた、コルネリアの政治手腕こそが、国王陛下をして公爵叙爵にまで踏み切らせたのだ。


そして、そのコルネリアの根底に、民の安寧を願う心があることに、皆が胸を打たれ、重たい腰を上げる。


面会当初は自領のことばかり口にしていたケメーニ侯爵が、コルネリアの仲裁に賭けてみようという気持ちになったように。


グレンスボーの城塞を清掃している合間、



「……私とお母様を囲む高い壁の中は、いわば、ひとつの国でした」



と、コルネリアが呟いたことがある。


汗を拭いながら、王国全土のために水に浸かったグレンスボーを切なそうに眺めた。



「6年前の大氾濫で、私もお母様もなす術なく、水に浸かるしかありませんでした」


「うん……」


「父は身勝手な理由で私とお母様を養いながら、国主の務めを果たさなかったのです」



そう言ったコルネリアの国家観は刺激的で、考え込まされた。


あの軟禁、幽閉を〈養う〉と捉える。


養う以上は守るのが国主たる責務だと、コルネリアは訴えていた。


ボクは大公家という高貴な家に生まれ、隣国との戦争、それを巡る父と祖父の政争、そればかりに目を向けて来た。


民を守るための和平だと言いながら、果たしてボクは、コルネリアほどに民の生活を想っていただろうか。


身勝手な理由を振りかざしてはいなかっただろうか。


コルネリアが瞳を輝かせるたび、その先には、民がより豊かで平穏な生活を送れる可能性を見ている。


それを実現できる交渉力と構想力こそがコルネリアの持つ、本当の凄味だ。


これまで我が大公家の誰が、グレンスボーの地を開墾しようと考えただろうか。コルネリアは灌漑と暗渠排水を通し、農地として民の生活を豊かに変えた。



「河の水に浸かったことで、たっぷり栄養を含んだ肥沃な農地に生まれ変わるはずですわ」



と笑ったコルネリアに、畏敬の念を深めるばかりだ。


リレダル全土を救ったグレンスボーの水没にも、次の発展を見据えていたのだ。


コルネリアを教育した母君が、若くしてバーテルランドの次期宰相に擬せられたという話も、コルネリアの輝く瞳を見ていたら首肯せざるを得ない。


ちょこんとボクの胸の中に座り、雨に打たれながら馬に揺られるコルネリア。


その瞳が見詰める先にボクも連れて行ってもらいたいと、ますます心を惹き付けられてしまう。


ただ、ひとつだけ、コルネリアの目に入っていないものがある。


コルネリア自身の価値だ。


ビルテやルイーセをはじめ2千名もの騎士が、地位も名誉も命をも差し出し、コルネリアに忠誠を誓っている。


コルネリアに従えば、誇り高い生をまっとうできると情熱を燃やしている。


敵国のど真ん中で孤立しかねない状況で、コルネリアの判断を微塵も疑っていない。


果たして彼らがボクに対しても同様の忠誠を捧げてくれるのか、はなはだ疑問だ。


ふと、コルネリアがボクを見上げた。



「……なにを笑ったのですか?」


「ううん。……すごい奥さんをもらったなぁって思ってただけだよ」


「ま」


「ボクはねぇ……、父上よりも母上に感化されて育ったんだ」


「……へぇ、そうなんですね」


「うん。父上がバーテルランドとの和平を掲げたとき、大公家で相手にする者はいなかったんだ」


「そうなのですね」


「その父上を、誰より信じ、誰より支援したのが母上なんだ」


「素敵な方ですものね、大公夫人。……私もあんな〈いい奥さん〉になりたいものですわ」



雨中の馬上。呑気な話をしているものだと自分でも思う。


けれど、母上がいる限り、お祖父様の仕掛けた政変がすぐに成ることはない。


コルネリアが帰国し、濡れ衣を晴らす弁明の機会をもうけるまでの時間は、母上が充分に稼いでくださるはずだ。


きっと、母上が父上を支えているように、ボクはコルネリアを支えればいい。


そして、エルヴェンには、まだクラウスがいる。


エルヴェンは、リレダルの王都から離れ、バーテルランドと奪い合った要衝の地。


たとえ、お祖父様の政変が成功し宮廷を掌握されしまっても、すぐにバーテルランドとの戦争を再開させることは出来ない。


まずは、クラウスが、エルヴェンの地で立ちはだかってくれるはずだ。


クラウスは強く、そして速い。


自身も心血を注いだ和平を、王都の権力闘争などで簡単に壊されてなるものかと、既に動いているはず。


今ごろは、的確な対抗手段を冷静に打ってくれているはずだ。


だから、峠を越え、ぶ厚い雨雲の隙間が薄く茜色に染まる下、テンゲル王弟が統べる水軍基地が見えたとき。


クラウス率いるエルヴェンとバーテルランドの連合艦隊が既に包囲していたことにも、大きな驚きはなかった。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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