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60.冷遇令嬢はほんのり嬉しい。

貴賓室に案内され、エイナル様と並んで腰を降ろす。出されたお茶に口をつけることは出来ない。


やがて、ケメーニ侯爵が姿を見せる。


王宮を最初に訪れたとき、ケメーニ侯爵は堤防の補修を推進する立場で議論をリードしていた。


眉が太く、頬のこけた、中年で黒髪の男性貴族。実直そうで、神経質そう。



「……大河伯閣下の騎士団が、王都で避難民を受け入れてくださっているとか」


「ええ、微力ながら貴国民の保護に、お役に立てればと考えております」


「ありがとうございます。おかげで、我が領内に逃げ込む民が減りました」


「ええ……」


「非常に助かっております。……まったく、どのような者が紛れておるか分かりませんからな」



と、自領の権益だけに目を向けるケメーニ侯爵に、落胆している場合ではない。



「……王都が鎮まり、王政が安定するならば、誰が玉座にあろうとも、我ら高位貴族が異議を申し立てることはありますまい」



わたしが、いちばん聞きたかったことを、ケメーニ侯爵はズバリと言ってのけた。


エイナル様が、苦笑い気味に応える。



「ご領地を保証してくれる国王であるなら……、ですね?」


「もちろん、その通り。御家、ソルダル大公家であろうとも、領地大事に変わりはありますまい?」


「ええ……、まあ」


「……我らも大河伯閣下のようなお方を主君と仰げるのであれば、ひとつにまとまることもできましょうが……」



ケメーニ侯爵は、テンゲル王が民ばかりではなく、貴族に対しても苛政を敷き、とりわけ下級貴族には無理難題を押し付けてきた実情を、訥々と話した。



「無実の罪を着せられ、領地を取り上げられた者も多いのです……」


「……そこまで」


「我らとて諫言すれば、おなじ憂き目に遭わないとも限らない」



と、ケメーニ侯爵は痩せぎすでシワの目立つ顔に、さらに眉間のシワを加えた。



「……堤防決壊の責を押し付ける王の言い分を、大河伯閣下は見事に覆された。その論に我らも便乗させていただいたというのが、実情にございました」


「そうでしたか……」


「いっそこのままテンゲルは、リレダルかバーテルランドに併合してもらう方が良いかもしれませぬ……」


「……俄かには、信じ難いご発言ですが」


「ははっ。……そうですな。大河伯閣下とエイナル閣下にお聞きいただいても、なにかの罠としか聞こえませんでしょうな」



ケメーニ侯爵は、自嘲するように力なく笑った。現王政に失望し切っていることは、ヒシヒシと伝わってくる。



「なんとか……、仲裁させていただきたいと考えていたのですが……。余計な手出しでしょうか?」



仲裁案が〈国王退位〉だとは、今の時点では明かせない。


だけど、高位貴族が王家の廃絶を願っているのだとすると、すこし考えを修正しないといけない。


ケメーニ侯爵は押し黙り、眉間にシワを刻んだままジッと考え込んだ。


そして、視線をあげ、わたしをジッと見詰めた。



「大河伯閣下が、羨ましい……」


「……え?」


「……ふたりの王に仕え、ふたりの王から信頼され、なおも民の平穏を第一に考えておられる」


「……お、恐れ入ります」


「貴族に生を受けた以上、願わくば大河伯閣下のように生きたかったものです」


「はははっ! ボクの奥さんは、ちょっと特別なんですよ?」



と、エイナル様が気持ち良さそうに笑われた。


ケメーニ侯爵も、つられてクスリと笑う。



「まったくですな」



男の人同士、なにか通じ合うものがあるのか、すこし置いてけぼりにされたような気もする。


だけど、ケメーニ侯爵の心の壁が、一枚剥がれたようにも見て取れた。



「高位貴族には、大河伯閣下のご仲裁に従うようにと働きかけましょう」


「……全力を尽くさせていただきます」


「恐らく、公爵以外は従いましょう」


「公爵閣下は……?」


「……下級貴族と通じておりましょう。そして、恐らくは……」



と、ケメーニ侯爵は、エイナル様を見た。



「御家の先代様とも」


「そこまでご存知で……」


「知っていても動けぬ我らを、お笑いくださいませ」



相当に根が深い。と、認識を改めた。



「領内の通行は許可しましょう」


「……ありがとうございます」


「お母様のルーツをたどられるとか?」


「ええ……」



名目上の通行理由を、ケメーニ侯爵は立ててくれた。


どこにでも好きに動いてくれて良いという意味だし、わたしの仲裁に縋っているとも受け取れた。



「大河伯閣下とエイナル閣下ご夫妻の、旅のご無事をお祈りします」


「ありがとうございます」


「が……、恐らく王弟殿下に会われても、得るところはありますまい」


「……そうですか」


「紹介状は書きましょう。……ご自分の目でお確かめください」


「かしこまりました」



ケメーニ侯爵には、先々を見通す目があった。けれど、活かす術がないのだろう。


国の崩壊を、ただ見ていることしか出来なかった。先祖代々受け継いできた領地を守るだけで精一杯だと、どこかで自分を見切った悲哀を感じさせられた。


ただ、ケメーニ侯爵によって、わたしが仲裁に動いていることが高位貴族の間に広まること自体は悪くない気がした。



「そうだね。どうにかしたいとは思ってるみたいだからね」



と、軍用の外套を羽織り直しながら、エイナル様が頷いてくださる。


外套は、ケメーニ侯爵が家宰に命じ、季節外れの暖炉に火を焚いて、しっかり乾かしてくれていた。


すぐに濡れるとしても、心遣いが嬉しい。


ほんのり温かさの残る外套が、雨で冷えた身体に嬉しかった。


得るところはないとは言われたものの、まずは王弟の水軍基地を目指す。


王弟にもだけど、わたしたちには彼の手元にある軍船にも用がある。


再び、降り続く雨の中を、ひたすら駆ける。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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 つまり、王弟もアテにならない?
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