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59.冷遇令嬢は前に進んでいい。

雨が本降りになる中、軍用の外套を羽織りフードを目深にかぶる。


エイナル様の馬の前に乗せてもらい、小川に沿ってただひたすら駆ける。


耳元では雨粒が厚手のフードを打つ音が響き、足元からは馬蹄の音が鳴り響く。手綱を握るエイナル様が、顔を寄せられた。



「どうする!? このまま、テンゲル王弟の水軍基地にまっすぐ行く!?」


「いえ!」



と、声を張り上げないと、意志の疎通が難しい。



「支流に出る前に、進路を北に! ケメーニ侯爵という高位貴族の、領都があるはずです!」


「通行の許可を求めるんだね!?」


「はい! その通りです!」



わたしたちの進路は機密事項。陣で詳らかにすることは控えていた。


そして、動乱の最中だとはいえ、他国の領内。正式な手順を踏んでおかないと、後で問題になりかねない。


それに、高位貴族の動向も、実際に確認しておきたい。



「エイナル様!? もし、リレダルの王都で民衆蜂起が起きたら、ソルダル大公家はどうなさいますか!?」


「う~ん……。まずは王宮に駆け付けるかなぁ……?」


「そうですよね!?」



普通に考えたら、王政の中枢を担う高位貴族の反応はこうだ。


それが、テンゲルの高位貴族たちは蜘蛛の子を散らしたように領地に落ち延び、動乱平定の兵を派遣する素振りすら見せない。


テンゲル国王は民衆ばかりではなく、高位貴族からも支持を失っているのだ。


土台も屋台骨もグラグラのところに、暴動、そして反乱が起きた。テンゲル王国は国のていを成していない。


高位貴族がテンゲル王を守るとは思えないけれど、実際のところどうなのか。


そのためにも、まずはケメーニ侯爵の主城に立ち寄る。


地図にあった小さな集落が見え、早めの昼食をとる一時の休息に雨宿りさせてもらおうとしたら、もぬけの殻だった。


集落のなかを、ゆったりと馬を歩ませてもらう。道端には農作業の道具や、猟具が無秩序に投げ出され雨に打たれていた。


王都動乱の噂が届き、慌てて逃げ出したのだろうという痕跡が見られる。



「国が乱れるとは、こういうことだね……」



と、エイナル様が険しい声で呟かれ、わたしも堅く頷いた。


平穏な日常が奪われるのは、なにも自然災害ばかりではない。と、眉根を寄せる。


土壁の家屋の中から、わたしたちをのぞき見る顔がチラッと見えた。


馬を降り歩み寄ると、老夫婦が集落から逃げずに居残っていた。


身分を明かし、中立の立場を説明すると、



「もう……、歳ですから。ジタバタしても仕方ありません」



と、諦念に満ちた話しぶりの老爺が、家に招き入れてくれた。


集落では長老格だという老爺の許しを得て、護衛の騎士たちが身体を休められる場所も提供してもらう。



「ここは、元々30年ほど前に内戦を逃れて移住してきた者たちでつくった集落なのです……」



老婆が白湯を出してくれながら、寂しげな調子で教えてくれた。



「……貴族様は、ほんとうに戦争がお好きで……」



と言われては、返す言葉がなかった。


なにも約束できる立場ではないけど、老婆の手を握らずにはいられなかった。



「……動乱が早期に収まるよう、仲裁に尽力させていただきます」


「ふふっ……。テンゲルの貴族たちに聞かせてやりたい言葉ですわね」



老婆の笑みが、胸に痛い。


わたしたちの国、リレダルとバーテルランドにしても30年も戦争を続けていた。


そのほとんどを軟禁されて過ごしたわたしだとはいえ、壁の外では民が苦しみ続けていたのだろう。



「次は笑顔で会いたいものですね」



と、エイナル様が微笑まれると、老夫婦が相好を崩した。


大通りでの炊き出しのときから感じていたけれど、エイナル様の笑顔には民を蕩かすものがある。


老夫婦にケメーニ侯爵領の領都への道を尋ねると、地図にない間道を丁寧に教えてくれた。


集落の様子から察するに、街道は避難民で埋まっているかもしれない。


先を急ぎたい身に、ありがたい情報だ。


今の状況で不安を和らげる効果はないだろうけど、礼金を支払わせてもらった。



「……王都のこちら側の方角に、わたしたちの騎士団が避難民を収容する陣を張っています。ご不安なら、そちらに退避することも考えてください」



と伝え、集落を後にする。


老夫婦は、わたしたちが見えなくなるまで見送ってくれていた。


エイナル様が雨音に紛れさせるように呟かれた。



「いい夫婦だったね」


「……貴族階級、支配階級から、優しい言葉をかけてもらった経験がなかったのでしょう」


「ああ……」


「見捨てられていると感じることは、ツラいものですわ……」


「うん、そうだね」


「……礼金を差し出したときの驚いた顔。かえって胸が痛みましたわ」



老夫婦にとって貴族とは、単に奪っていくだけの者たちだったのだろう。


そんな彼らに『自分たちでどうにかして』とは、わたしには到底言えない。


わたしの心にはお母様のほかに、父と義妹フランシスカが強烈に住み着いている。


父のような貴族ではありたくないという衝動が、恐らくは身に過ぎたことにまで足を突っ込ませている。


苦しむ民を見捨てて帰国することが、わたしにはどうしてもできない。


雨粒が顔を打つのも構わず、エイナル様の胸に背中を預けた。


エイナル様は、わたしを止めてくださる。


わたしが背中を預け、エイナル様が馬を進ませている限り、わたしは前に進んでいい。


間道を抜けたのは、お昼過ぎ。


どす黒い雨雲の下に領都が見え、先触れの騎士を走らせ、服装を整える。



「じゃあ、行きますね?」


「うん。コルネリアの目を輝かせに行こう!」


「ふふっ。あまり、いい景色が待っているとは思えませんけど」


「でも、きっと初めて見る景色だよ?」



雨中ではあるけれど、リレダル王国旗とバーテルランド王国旗を立て、ゆったりとした行軍で領都に入った。


王都から一番近い街は不穏な空気に包まれ、わたしたちを見る民の視線も険しい。


王都から避難して来た者たち。領都から脱出しようとする者たち。


店のほとんどは営業しておらず、皆が不安そうな顔つきで街を行き交う。


衛兵が巡回しているけれど、民を守るためではなく、暴動が伝播するのではないかと警戒している様がありありと伝わった。


誰も刺激しないよう、ゆるりとした行軍を心がける。


まるで敵国のど真ん中に乗り込んだような緊張に包まれ、大通りをケメーニ侯爵の主城を目指して進む。


城門にたどり着くと、意外にも友好的に迎え入れてくれた。



「……ケメーニ侯爵も、王都の状況を知りたいのでしょう」



わたしの呟きに、エイナル様がにこやかに微笑まれた。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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