55.冷遇令嬢は情報を更新する
背中をエイナル様に、ポスッと預ける。
何度も身を委ねた胸板が、今夜はいちだんと逞しく感じられた。
いつもと違うのは、エイナル様の右腕がわたしの腕に触れないところ。
視線を右に落とすと、ソルダル大公家伝来の名剣が赤々と燃え盛る篝火を反射し、まるで生き物が躍動するかのように煌めいていた。
スウッと息をひとつ吸い込み、エイナル様の胸の中から身体を起こす。
「カリス、ばあや。子どもたちをお願い」
わたしの声に、ふたりが力強く頷いてくれた。
ばあやの瞳は活き活きと輝いていて、20歳は若返ったのではと見違えるよう。
そばにいるエマも硬い表情ながら、弟よりもさらに幼い子どもの手を引き、わたしに頷いてくれた。
カリスと視線を絡み合わせ、頷き合った。
住民たちの隊列のなかに、子どもたちの姿が消えていくのを見送る。
そして、隊列の最後尾へと視線を戻す。
ルイーセさんの大剣が舞い、追っ手の武器が圧し折られ、叩き落されていく。
それにしても、強い。
楔型に陣形を取らせた騎士たちを背後に、追っ手の兵士たちをひとりで退けていく。
兵が5人一度に斬りかかって来ても、難なくすべての武器を叩き折り、跳ね飛ばした刃で離れた兵をけん制する。
歩兵の伸ばした槍を両断し、返した剣で馬を狙ってきた剣を圧し折る。
ペールシルバーの髪をそよがせながら、ルイーセさんはいつもの無表情で大剣を振るい、馬を縦横無尽に駆けさせる。
ほかの騎士たちの出番がない。
頭上からエイナル様の楽しげな声がした。
「ルイーセは強いけど……、敵も戦意が強いとは言えないね」
「ええ……。恐らく彼らは『傷付けずに捕えろ』と命じられているのでしょう」
「ふふっ。彼らからすれば、宿舎の邸宅からボクたちが出てきたことが、いちばんの誤算だろうね」
「数で押し包んで、動きを封じたかったのでしょうけど……」
「次はルイーセが誤算だね」
「ええ。本当にお強いですわね」
「まったく、ルイーセも趣味が悪い。斬り捨てられるより屈辱的だと思うよ? あのやり方じゃ」
と、エイナル様が皮肉気に笑った。
武器をなくした追っ手の兵士は悔しげな表情で後退し、次の兵士が出てくる。
そして、武器を壊され後退する。
「ルイーセは、ああ見えてコルネリアのことが大好きだからね」
「え?」
「豪雨災害中、ルイーセはいちばん近くでコルネリアに仕えたひとりだ」
「ええ……」
「……コルネリアに血を見せたくないんだろう」
追っ手の兵士は、主君である下級貴族たちの命令に従っているだけだ。
兵士といっても、もとは民。
血を流さず、命を落とすことなく家に帰れるのなら、それに越したことはない。
「……ありがたいですわね」
「まあ、それが出来てしまうルイーセもルイーセだけど。あれじゃあ、みんな自信なくして兵士を辞めちゃうよ?」
と、エイナル様が笑われたとき、隊列の移動が、わたしたちのところまで来た。
エイナル様が馬首を返す。
「じゃ、ボクたちも行こうか」
「ええ」
楔型の陣形をとる最後尾が移動を始める。
その先端にはルイーセさんが陣取る。
時々、追っ手が突撃の構えを見せるのだけど、ルイーセさんがひとりで撃退してしまう。
脱出ルートは、追っ手から横腹を突かれることがないよう、街路をジグザグに進む。
移動は徒歩の住民たちにあわせた、ゆっくりとしたもの。
わたしは再び、背中をエイナル様に預ける。
エイナル様が後ろを振り返りつつ、声を潜められた。
「……なかなか、諦めないね」
「行き先を見極めたいのでしょう。……わたしたちを見切って、兵を王宮に進めたら、今度は後背をわたしたちに取られる形になります」
「そうか……、なるほど」
「思う壺ですわ」
「え?」
「……この騒ぎで、王宮は下級貴族の兵が集結していることを察知したでしょう。王宮は守りを堅め、もはや奇襲は不可能」
「うん、そうだね」
「それに、わたしたちに刃を向けた以上、無視して進軍すれば、わたしたちから後背を突かれる恐れも出てきました」
「膠着状態を維持できる……、ってことか」
「ええ」
「そのために自分を囮にしたのは、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「え?」
と、振り返って見上げると、エイナル様は眉を寄せて笑っておられた。
「ボクは美しい妻を存分に自慢できて満足だけどね」
「……す、すみません」
「……敵は、隊列の横腹を突こうという動きを見せない。コルネリアだけが狙いだとハッキリした訳だ」
「彼らは、二兎もしくは三兎を追っています」
下級貴族たちは反乱を成功させた後、リレダル王国の前大公を後ろ盾にしたい。
そのためには、前大公の仕掛けたリレダル本国での政変に成功してもらわないといけない。
わたしに帰国してほしくないのだ。
「……バーテルランド王国との最終的な和平が成立する前の、このタイミングしかなかったのでしょう」
「お祖父様にとっても、下級貴族たちにとっても……、ってことか」
「矢が飛んできません」
「ボクやコルネリアの命を奪うどころか、傷も付けたくない訳だ」
「……後々、リレダル王国から介入される口実を与えたくないのでしょう」
エイナル様が呆れたように、剣の柄で頭を掻かれた。
「お祖父様と結んだ密約も信頼できないってことか」
「恐らく」
「あれもこれもと、随分のんびりした反乱があったものだね」
「……迷惑するのは、いつも民です」
と、そのとき。隊列の先頭で指揮をとっていたはずのビルテさんが下がってきた。
エイナル様の胸の中から、身体を起こす。
「カーナ妃殿下の統率が見事なので、先導を任せ、隊列全体をグルッと見て来た」
「ありがとうございます」
「武器を持たない住民の合流は許しているが、それでいいな?」
「はい。お願いします」
「徒歩の住民を守りながらの移動だ。さすがに隊列が長く伸びているが、今のところ追っ手は殿に集中している」
「……無茶な作戦を、すみません」
「ふふっ。……敵国に嫁して来たばかりのコルネリア様が、どれほどリレダルの民のために尽くしてくれたことか」
「……え?」
ビルテさんが最後尾を指差した。
「ルイーセも張り切って、まあ。……呆れるほどの強さではないか」
「え、ええ……」
「ルイーセがあのくらい本気を出してくれてたら、バーテルランドとの戦争も勝てたんじゃないか?」
「ダメだよ」
と、エイナル様が口を尖らせた。
「勝ってたら、コルネリアと出会えなかった」
「はははっ、違いない。……考えただけでも恐ろしくて身震いがするな」
「そうだよ」
「……ところで、目標にしてる岩場への先遣隊が戻った。うまく陣形を組めば、当分、籠城できるくらいの天然の要害だ」
「そうか」
「小川が流れ水場に困らず、熊が出るらしいぞ?」
「熊ですか……」
と、わたしは眉間にシワを寄せたのだけど、頭上のエイナル様は喜声をあげた。
「おっ。熊鍋だね」
「……た、食べるのですか?」
「ふふっ。ボクたちは30年、泥沼の戦争を戦ってたんだよ? 食料の現地調達なんかお手の物だ」
「熊が出るということは、魚もいるということだからな」
と、ビルテさんも、なんだか楽しげだし、周囲を守る騎士たちもにこやかだ。
頭の中の情報を更新していく。
わたしが思っていたよりも遥かに、リレダルの騎士たちは強くてたくましい。
日の出とともに、下級貴族の兵たちは追撃を諦めて姿を消し、わたしたちは無事、王都北東にある岩場に到着した。
既に要所には馬防の柵が立てられていた。
* お知らせ *
本作の書籍化が決定しました!
刊行時期や出版社等、詳細は追ってお知らせさせていただきます。
どうか、引き続きよろしくお願いいたしますm(_ _)m
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本日の更新は以上になります。
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