49.冷遇令嬢は夜明けを待つ
寝巻にコートを羽織り、ただちに貴賓室に臨時の幕営を置く。
「邸宅の灯りを全て消してください。暴徒を刺激する可能性があります」
この短時間の間にも、外の騒ぎ声がより大きくなっていることが分かる。
まだまだ蜂起に加わる民衆が増えているのだろう。
テーブルに広げたテンゲル王都の地図を、騎士団長のビルテさんが睨んだ。
「……中立旗を掲げますか?」
「いえ。……40年前のホルド暴動が想起されます。興奮した暴徒から、中立は敵対と見做される恐れがあります」
「なるほど」
「もどかしいですが、今は沈黙を貫きます」
お母様から授けられた学問は幅広い。当然、軍政学や戦術学なども含まれている。
ただし、役立てたくはなかった。
「哨戒も立てず、騎士には壁の内側での待機を命じてください。松明には火を点けず、ただし、すぐ灯せる準備も」
邸宅といっても2千名の騎士を収容できる規模だ。城塞とまではいかないけれど、石造りの壁で囲われてもいる。
「恐らく投石が始まりますが、反応しないように」
「……と、仰られますと?」
「共に王宮を攻めようという誘いです。本気の攻撃ではありません」
「なるほど……」
「騎士たちには、何か頭を守れる、盾になるものを持たせてください」
親衛長のルイーセさんが、騎士の配置を終えたと報告に来てくれる。
騎士服に大剣を背負っている。
できれば、その刃を振るわせたくはないけれど、備えは固めざるを得ない。
「……脱出を強攻せざるを得なくなったときには、王宮側の門から突破します」
「王宮側ですか?」
「暴徒の流れと同じ方向に脱出してから、向きを変えて離脱します」
と、指示しながらも、わたしに実戦経験はない。
ビルテさん、ルイーセさん、そして、エイナル様の意見も聞いて、当座の方針を決めていく。
エイナル様は目立たないように、そっとわたしの手を握ってくれている。
――壁の外の状況が分からない。
どうしても思い出してしまうものがある。
チラッと顔を見ると、優しく微笑んでくださっていた。
何度、この笑顔に励まされてきたことだろう。
やがて、最上階で物見に立つ騎士から、港で火の手が上がったと急報が入る。
「……桟橋を焼いたか」
エイナル様が険しい声で呟かれた。
深夜の暴動。もともと偶発的に起きたものとは考えにくかったけれど、計画的に扇動されたものだと、ほぼ確定する。
「利用されたね」
「ええ……、可能性は高いですわね」
遅々として進まない堤防の修復。炊き出しの申し出を黙殺。
民に鬱積していた王政への不満に、わたしたちが最終的に火を点けた可能性は充分に考えられる。
王宮には既に火の手が上がっており、戦闘が発生していると思われた。
「……貴族もあれだけバラバラだったんだ。暴徒の側に回っている者も多いと考えた方が無難だね」
エイナル様の言葉に、肯く。
「ただ、王政側が今晩中の鎮圧に成功する可能性もあります。今、わたしたちが態度を明らかにするのは、どちらにしても危険です」
「うん。コルネリアの言うとおりだ。とにかく、夜明けを待とう」
やがて投石が始まり、邸宅内に緊張が走ったけれど、予想通りすぐに収まった。
一度、部屋に戻って、カリスから動きやすい服に着替えさせてもらい、万一の脱出に備える。
「……大変なことになったわね」
「ええ……。暴動に参加してない民が心配だわ」
そうカリスに応えながらも、今はわたしが正使として預かる2千名の騎士や技師、それに子どもたちの命が大切だ。
串焼き屋の店主などの顔を思い浮かべつつ、口の中に苦いものを感じた。
外から響く怒りに満ちた声に眉根を寄せながら、邸宅内を視察して回る。
――混乱する王都で、わたしたちが独立勢力……、あるいは軍閥化してしまう恐れがある……。
桟橋が焼かれ、大河からの脱出は不可能になった。
元々、仮復旧状態の港には空きが少なく、堤防修復が決まった後、空の軍船が迷惑にならないよう一度国元に帰している。
帰国するには山越えして、母国バーテルランドに抜けるしかない。
――エイナル様が、炊き出しを準備するとの名目で食料を備蓄されたのは、このためだったか……。
夜が明けても暴動が収まっていなければ、邸宅で籠城することも考えられた。
子どもたちのところに足を運ぶ。
ばあやと技師のギーダが宥めてくれている。
明りを絞ったランプの周りで、子どもたちは皆、怯えた表情で震えていた。
洪水で親も家も亡くしたばかり。
大人の怒鳴り声が響いてくるなか、泣き出したい気持ちを我慢させている。
ひとりずつ声をかけて回った。
「……そ、外の様子を見て来ましょうか?」
メイド服姿のエマが、大きな瞳を潤ませていた。弟を抱き、わたしをまっすぐ見詰めている。
「ありがとう、エマ。……だけど、今は危険だわ」
「……はい」
なにか役に立ちたいと考えてくれたエマの気持ちは嬉しく、そっと頭を撫でた。
王都の市街では、高位貴族の邸宅が次々に焼き討ちにあっていた。
エイナル様のことを『ボンヤリ』と言った公爵夫人の邸宅からも火の手があがる。
あまり気分のいい方ではなかったけれど、
――うまく脱出できているかしら……。
と、眉間にシワを寄せた。
幸い風がなく、火が市街地に燃え広がる様子はない。
貴賓室に置いた幕営に戻り、焦れるようにして夜明けを待つ。
カリスがお茶を淹れてくれたけど、味がしない。
エイナル様と手を握り合い、物見からの報告を聞き続ける。
――夜陰に乗じて脱出するべきか……。混乱が収まるのを待つべきか……。
グルグル考えを巡らせるけれど、やはり、いま動くのは危険だ。
やがて空が白んで来た。
暴動は激しさを増している。最上階に登り、自分の目でも確かめる。
――暴徒が、……武器を持っている。
偶発的な暴動ではなく、計画的な反乱であることが確定した。
本日の更新は以上になります。
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