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5.冷遇令嬢はひた隠す

  Ψ  Ψ  Ψ



グレンスボー子爵のエイナル様は、美形であるだけではなくて、とてもお優しい。


わたしを馬に乗せ、領内のどこにでも連れて行って下さる。


エイナル様の前に乗せていただき、近しい距離にドキドキするのは、これが恋というものなのだろうか?


いや、政略結婚に恋は変なのか? どうなのだろう?


だけど、わたしは新しい景色へのワクワクにも気を惹かれてしまう。



――この辺りは、亜寒帯湿潤気候のはず。なのに森や林が見当たらず、モミやカラマツがポツンポツンと生えてるだけ。……土地が痩せてるのかしら?



などと、賢ぶったことは、おくびにも出さない。ただ、景色に見惚れる。



「この辺りは水はけが悪いのです。農地にも使えず……。ですが、馬を駆けさせるにはちょうどいい」


「そうなのですね。さすが、エイナル様は領内のことにお詳しくていらっしゃいますわね」



と、エイナル様のお言葉に、慎ましい微笑みを返した。


辺りを見回したわたしの頭の中では、灌漑を引き、暗渠排水と組み合わせて土壌改善を図る設計図が完成している。だけど、表情に出してはいけない。


立ち寄る小さな村の領民たちは、みなエイナル様を慕っている。



「お父君からこの地を譲られ、エイナル様にお越しいただいて、ほんとうに暮らしやすくなりました」



人の良さそうな老農夫が、日に焼けた顔のシワを深くして笑った。


わたしは、良き夫に恵まれたらしい。


実家の侯爵家から厄介払いされるような政略結婚だというのに、幸運なことだ。


わたしは、貴族として生きていくと決めたのだ。


グレンスボーの地でエイナル様を夫に、子爵夫人として暮らしていくことが、母国の役に立つのなら、喜んで高貴な義務をまっとうしよう。


はやく夫人教育を修め、エイナル様の夫人に相応しくなろう。


そう、心に決めていたのに――、



「我がリレダル王国では、賢い女性が疎まれるといったことはありません」



というエイナル様のお言葉に、口があんぐりと開いた。


な、なぜ……、エイナル様が〈賢い女性〉の話題など持ち出されたのか。


お母様の寂しげな笑みが思い起こされる。



「……ネルのお父様は、ほんとうはお優しいお方なのよ? 平民出身の私が無学なままでは惨めな思いをすることもあるだろうって、王立学院の聴講生にねじ込んでくださったのよ?」


「へぇ~」


「嬉しくてたまらなかった私は……、ちょっと張り切り過ぎちゃったの」


「張り切る?」


「……学院創立以来の天才だなんて持て囃されて、お父様のご機嫌を損ねてしまったのよ……」


「ふ~ん……」


「ネルは平民にされるかもしれないし、生きる術として、私が学問を授けるけど、ネルが貴族でいる間は、絶対、内緒にしないとダメよ? 約束できる?」



お母様が教科書もなしに教えてくれる学問は、わたしが外の世界を知れる、唯一の手段だった。


お母様が教えてくれなくなったら大変なので、約束は堅く守った。



「今日は政治学を教えてあげるわ! 難しいけど、コルネリア姉様に分かるかしら?」



なんて言う、義妹フランシスカの〈ご講義〉は、実にトンチンカンなもので、間違いを指摘せずに我慢してやり過す時間が、苦痛でならなかった。


わたしが〈学院創立以来の天才〉から、あり余る時間のすべてをかけた個人講義を受けて育ったことは、お母様とふたりだけの秘密だった。



賢い者は、女性でも尊ばれる。



だなんて、たとえエイナル様の仰られることでも、鵜呑みにはできない。



――敵国から輿入れするわたしを、なにかの罠に嵌めようとしてる?



言われた通り、口元を扇で隠して、エイナル様のお顔をまじまじと眺めてしまった。


政治学の実例として、政略結婚した貴族夫妻が繰り広げる、駆け引きや策謀の事例もたくさん教えてもらった。


やはり、わたしが嫁ぐのは敵国なのだ。


油断は出来ない。バカでいい。また軟禁されてしまうことだけは、どうしても避けたい。



「私、それ知ってるわ!」



と、得意げに胸を張る、義妹フランシスカは、かなりバカっぽかった。


なんとかマネしたいのだけど、どうにも加減が分からない。


ほんとうに知ってることに気付かれたら、身の破滅だ。せっかく実家侯爵家の屋敷から脱出できたのに、また高い壁だけ恨めしげに見詰める日々に戻ってしまう。



「さすが、エイナル様は物知りでいらっしゃいますわね」



と、ぎこちなく微笑んだ。



  Ψ



城の皆が寝静まった夜更け過ぎ、カリスを部屋のテラスに誘った。


お互いガウンを羽織り、澄んだ空気の、空高い星空を一緒に見上げてくれる。



「……私は、ネルがどんな風にして育ったのか、知ってるから……」



という、カリスの言葉にドキリとした。



――いや……、カリスが言ったのは、別邸に軟禁されてたことだけ。お母様から学問を授けていただいてることは、知らないハズよね……?



と、思ったけど、同時に虚しくもなった。


初めて出来たお友だち。


それも、わたしからの〈押しかけ友だち〉に対して、隠し事がある。


カリスは城の侍女や執事、メイドや下男たちとも上手にやってくれていて、わたしに献身的に仕えてくれている。


エイナル様がわたしを遠駆けにお連れくださるのも、カリスが周辺に〈コルネリア様は、お出かけ好き〉と言い広めてくれたからだ。


ほんとうに、グレンスボーまで一緒に来てくれて良かった。



「だからね、ネル」


「なあに、カリス?」


「私は、ネルが選んだことに、絶対反対しない。全力で応援する。もちろん、侍女としては当たり前なんだけど、……友だちとしてアドバイスして、それがネルの気持ちに沿わなくて、気まずくなって、……また、ネルを独りにしてしまうことが、とても恐いわ」


「ふふっ……。カリスは心配症なのね?」


「ええ、そうよ。私、良くないことばっかり考えちゃうの」


「そっかぁ~」


「なに?」


「ううん。また、お友だちのことをひとつ知れたなぁって、嬉しくなってたの」


「……ネル?」


「なに? カリス」


「なにか、困ってることはない?」



カリスが星空を見上げたまま、そう言ったのは、わたしが話しやすいようにという気遣いなのだろう。


瞬時に、たくさん迷った。


挙句――、



「わたしって、バカに見えてる?」



と、変な質問をしてしまった。



「見えないわよ」



と、カリスが吹き出した。



「……そっか」


「なに? ネルはバカに見られたいの……」



と、話し始めた言葉を途中で切って、カリスは黙り込んだ。


お母様がどういう境遇に置かれていたか、思い出したのだろう。



「……たくさん、外の世界を見に行きましょうよ? ネル」



と、カリスはわたしに微笑んだ。


屋敷を出て最初の宿で、わたしと一晩中、星空を見上げてくれたときと同じ微笑み。


すべてを許してくれるような、優しげな微笑み。



――外には……、わたしの知らないことがある。



言葉で伝えるのではなくて、自分の目で見て確かめて、ほんとうに信じられるものだけを信じたらいい。


カリスにそう言われた気がして、わたしの目は輝いた。



「そうね。まだまだ、世界はわたしの知らないことでいっぱいだわ」


「ふふっ。ネルは、そんな目をしてるときが、いちばん美人よ?」


「ええ~っ!? どんな目よぉ~?」


「初めてにキラキラしてる目。まだ見ぬ初めてに、ワクワクしてる目ね」


「うふっ。カリスが言うなら、そうなのかもって思っちゃうわ」


「あ~、信じてないわねぇ?」


「信じてる、信じてる。世界中の誰も信じられなくなっても、カリスのことだけは信じるわよ、わたし」



結局、カリスがなんでわたしの侍女になってくれたのか、祖父の執事長に言われたからだけなのか、聞きそびれたままだ。


だけど、いつの間にか、心の底から信頼していた。


カリスがわたしに捧げてくれる忠誠にも、友情にも、疑うところは微塵もない。


いつかきっと、エイナル様との関係も、このように深まっていくのだろうか?


世界には、まだまだ、わたしの知らないことばかりだ。


お母様から授けていただいた学問で、なにもかもが分かったような気になっていた、わたしは――、



「かなり、バカっぽかったわね」



いい線、いってるではないか。


本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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