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40.冷遇令嬢は祝福を受ける

王国全域に用意していた、遊水地もため池も満水を迎えて使い切った頃。


ついに大河の水位が下がりはじめた。


雨足は弱まり、雲間からはところどころ日差しがのぞく。


まだ、警戒は緩められない。


けれど、王国各地に被害状況の取りまとめを指示できるところまで来た。



「やったわね……」



と、カリスが、昼間の薄暗いテラスの手すりに背を預け、小雨の続く空を見上げた。


手にはブランデーをたらしたミルク。さすがに笑顔から疲れが隠せない。


そのとき、階下から大きな声がした。



「ありがとうねぇ~! 姫様~っ! 侍女様~っ!」


「あっ! おかみさ~んっ!」



果物屋のおかみさんが、パートナーのおじさんと手を振ってくれていた。


わたしも大きく手を振りかえす。



「おかげさまで、店も家も無事だったよ~っ!!」


「良かったです~っ!!」


「姫様のおかげだよ~っ! ほんとうにありがとうねぇ~っ!!」


「えへへ……」



笑顔でいっぱいのおかみさんに、もう一度、大きく手を振った。


倒壊の恐れや地盤の緩みがないか、職人に細かく確認させ、避難してる人たちの一時帰宅を認めていた。


水は引いているけど、安全のため完全に雨が上がるまで避難を続けてもらう。総督府に戻る皆さんの列から、感謝の声が響いて胸がいっぱいになる。



「……疲れが吹っ飛ぶわね」


「うん……、良かった」



カリスと微笑み合い、皆に手を振った。


エルヴェン市街での被害は、ごく一部での床下浸水にとどめることができた。


皆さんの声に元気をもらい、大河流域の監視を続けながら、わたしはグレンスボー復興計画の立案に着手する。


峡谷を埋めた岩や土嚢が自然決壊したら目も当てられないので、まずは補強。それから、排水路を設け水を徐々に大河に流す。


それでも、水が引くまで、およそふた月。今回の雨量の多さを改めて噛み締める。


エイナル様と出会った、黄土色の武骨な城塞も水に浸かった。清掃には、わたしも行きたい。ピカピカに磨きたい。


やがて、久しぶりの快晴が訪れた。



『こっちも快晴!』



と、エイナル様からの書簡が届き、ユッテ殿下は、



『ピクニックに行きたいな!』



カーナ様は、



『いいですわね! 復旧を終わらせたら、みんなで行きましょう!』



と、記してくださっていた。


豪雨の期間中、この短信のやり取りが、どれほど心を支えてくれたか分からない。



『遊覧船もありますわよ?』



と、返信して、わたしからの最後の書簡とした。


王都の国王陛下に、非常事態の宣言を解除するよう献言。


わたしは、緊急時騎士団総長の臨時職を返上し、体制を平時に戻した。


大河の水位はまだ平常時より高く、警戒と監視が必要だけど、大規模な氾濫の恐れは去った。



わたしは、堤防を決壊させなかった。



王国全土から報告と集計が集まってくる。雨量、流量ともに6年前を超えていた。


でも、被害は想定内。人的被害はゼロで、床上浸水は一軒も出さなかった。


堤防沿いの監視櫓から撤収してきたクラウス伯爵と、互いを労い合う。


疲労困憊の中にも爽やかな達成感を漂わせる笑顔のクラウス伯爵と、初めてグーパンチで挨拶を交わして、目を輝かせた。


とりあえず、爆睡。


夢も見なかった。


ばあやによると、わたしの寝顔は、とても笑っていたらしい。



  Ψ



王都にあがり、エイナル様と再会した。



「……こういうとき、抱擁し合えないのは、不便だよね?」



と、笑いながら口を尖らせたエイナル様に、



「はやく……、結婚式を挙げましょう」



と、はにかんだ。


ずっと手を握り合い、お互いの無事を喜んだ。



「また、コルネリア殿は変わったね……」


「え……? そうですか?」


「うん。また一段と……、凛と芯が強くて……、美しくなったよ」


「ま」


「ふふっ。本当だよ?」


「……信じておりますわ。エイナル様の仰られることですもの」



と、エイナル様の胸に、おでこをつけた。


抱擁はされてない。


ただ、わたしの〈おねだり〉には気付いてもらえなかったようだ。ちょっぴり残念。


カリスと、ばあやと、赤髪のビルテさんがニヤニヤ見てたので、そのせいかもしれない。


こういうときは、無表情なルイーセさんを見習うべきですわよ?


王宮にあがる。


煌びやかな謁見の間には、大公閣下はじめ、群臣の皆さまが晴れやかな表情で立ち並び、わたしを迎えてくださった。


エイナル様、ユッテ殿下、カーナ様とともに、事態の収束を、国王陛下に奏上する。


わたしに控える形で、うしろで片膝を突かれるエイナル様の表情は誇らしげで、その度量の大きさに、むしろ、わたしが包み込まれるような心持ちがした。



「ときに、コルネリア」



と、国王陛下の声が厳かに響いた。



「はっ」


「此度の洪水を防ぎ切った、コルネリアの絶大なる功績を、余に報いさせてはくれぬか?」


「もったいなきお言葉。恐悦至極にございます」


「うむ。余は、コルネリアをエルヴェンに封ずる」


「……えっ?」



封じるとは、わたしをエルヴェンの領主にするということだ。


恩賞としては過大なのでは……? と、思わずお礼の言葉も忘れてしまった。



「さらに、エルヴェン公爵の爵位を復活させ、コルネリアを叙爵する」


「あ……、ありがたきことなれど……。いささか、過剰に感じてしまいます……」


「そんなことはない。……季節はずれの異常な豪雨襲来をピタリと予測。短期間で備えを整え、6年前を超える洪水を防いだ。奇跡を見る思いとはこのことだ」


「お、恐れいります……」


「責任ある立場の者ほど、コルネリアの偉大さを理解し、驚嘆しておるのだ」


「……過分のお褒め、光栄にございます」


「つまり、コルネリアの叙爵と叙封については、既にソルダル大公、ホイヴェルク公爵はじめ、群臣からの賛同も得ておるということだ」


「なんと……」


「ふふっ。聡明なるコルネリアは、大公家の権勢が強まり過ぎるのではと懸念しておろうが、その心配は無用である」


「え?」


「……そなたほどの者、いずれはさらなる大国からの誘いもあろう。それに比せば、王国内の権勢争いなど小さい」


「なんと……、もったいなきお言葉」


「正直に言い替えれば、エルヴェン叙封も公爵叙爵もそなたをわが国に繋ぎとめる、錨である。いずれどこかに旅立っても、必ず戻って来てもらうための港である」



うしろを振り返れば、エイナル様は優しく微笑み、肯いてくださっている。


群臣の皆さまも、温かい視線で、わたしに何度も肯いてくださる。


わたしは意を決し、国王陛下に向き直った。



「そ、そこまでのお言葉を頂戴して、お受けせぬ訳にはまいりません。……なんという栄誉。末代までの誉れにございます」



ただちに、わたしは叙爵され、エルヴェン公爵としてリレダル王国の群臣の列に加えられた。


ふわふわする。


皆さま方の拍手が、自分に向けられていることが不思議でならなかった。



――きっと、この拍手は……、お母様がお受けになるはずだったものね……。



と、自分の心を落ち着け、皆さまにカーテシーの礼で応えた。


叙爵の式典および祝賀の席は、後日改めて盛大に催されるとして、王宮をさがる。


とりあえず、大公家から頂戴している邸宅に向かう。


馬車のなかでは、エイナル様がずっと手を握ってくれていたけど、なんだか、ふわふわが取れない。



「えっ? ……わたし?」


「公爵だよ?」


「あ……、そうですよね……。えっ?」


「大河伯も引き続きで」


「あ、はい……」



フランシスカには大見得を切ったけど、それを超えて、2年かからなかった。


実家、モンフォール侯爵家を超えるのに。


和平への影響とか、母国でのわたしの位置付けとか、いまはそこまで頭が回らない。


ただ、王宮からそのまま邸宅に駆け付けてくださった、ユッテ殿下とカーナ様からの祝福を受けて、ようやく、これは現実なのだと認識できた。



「まるで神話ね」



と、カーナ様が眉を寄せて笑われ、わたしは、はにかんだ。


約束だったピクニックに〈お出かけ〉の朝。


母国からの召喚状が届いた。



「……なんだって?」



と、カリスが、心配そうに声をかけてくれる。


モンフォール侯爵家領の堤防は、やはり決壊してしまい、平坦な地を流れ出た水が王都を襲っていた。


王都をはじめ、他家領に甚大な被害を与えていたのだ。


侯爵家には莫大な賠償金が課され、しかし、支払い能力のない父と義母、それにフランシスカは、すでに拘束。獄に落ち、裁定を待つ身となっていた。



「和平のこともあるから……、継承権第一位のわたしも交えて、善後策を協議したいって」


「……ほんと、どこまでネルに迷惑をかけるのかしらね……」


「うん……」



ピクニックでは、エイナル様、ユッテ殿下、カーナ様ともよく話し合い、わたしは帰国することにした。


ただ、ピクニック自体は、とっても楽しかった!!


快晴の青空の下、道々の民衆からは感謝の声をたくさんかけてもらったし、エイナル様たちも心からリラックスされていた。


ばあやのサンドイッチは絶品で大好評。


エルヴェンの燻製でエイナル様とカーナ様とカリスはお酒を楽しみ、わたしとユッテ殿下は新鮮なオレンジジュースを堪能した。


危機を乗り越えた安堵と達成感を、みんなで味わい、青空を見上げて、最高だった。


日を改め、国王陛下や大公閣下ともよく相談させていただく。とりわけ、大公夫人は親身になって話を聞いてくださった。


そして、わたしはエイナル様の馬に乗せていただき、初めての母国を目にすることになった。

本日の更新は以上になります。

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