4.辺境子爵が見抜いた才
Ψ Ψ Ψ
ボクは老博士の報告に首をひねった。
「……コルネリア殿の様子が変、とは?」
送られてきた簡素な身上書には、コルネリア殿が王立学院で学んだという記載がなかった。体が弱いという話であったし、箱入り娘だったのだろう。
しかし、わがリレダル王国で貴族夫人として生きていくのなら、ある程度の教養がないと惨めな思いをする。
王都ストルムセンから老博士を招聘し、夫人教育とは別で、家庭教師を頼んだ。
その老博士が白い眉を下げ、困惑した表情を浮かべている。
「変と言いますか……。エイナル閣下。私もまだ、ハッキリと確信の持てない話ではあるのですが……」
「この場はボクと博士のふたりきりです。どうぞ言葉を選ばず、感じられているままに仰られてください」
「……いや、なんと言いますか、……たしかに、いわゆる淑女教育は足りておらず、礼則に外れた貴族らしからぬふる舞いをされることはあるのですが……」
「ええ」
「そちらは、夫人教育の方で身に付けられるかと思うのですが……」
いつも謹厳で物事をハッキリと言い過ぎ、お偉方に疎まれることもある老博士が、いやに持って回った言い方をする。
まるで、興味深い研究対象に出会ったかのようだ。
ボクの好奇心も刺激され、軽く身を乗り出してしまう。
「私のする講義で、コルネリア様は実に熱心にメモを取られますが、時折、お振る舞いから、退屈さが漏れ出ており……」
「……ああ」
ボクは苦笑いする。
コルネリア殿は、学問が苦手か、むしろ嫌いなのだろう。それならば、王立学院に進まなかったことにも納得できる。
ただ、老博士はそんなことで遠慮して言い淀むような、お人柄ではなかったはずなのだが……。
「あ、いや。その……、まだハッキリとは分からないのですが……」
「ええ」
「……もしかすると、私の講義内容は、既にすべてご存知なのではないかと……」
「…………ん?」
「夕刻になると、コルネリア様は欠伸を噛み殺されながら、眠気を振り払うために、メモを取られているのだと分かるのです」
「え、ええ……」
「それが時々、……私の講義を追い越しているのです」
「追い越す?」
「私が次に話そうとする内容が、既にメモに書かれていることがあるのです。……それも、専門用語や学術用語を交えて」
「ふむ……」
「走り書きのメモではありますが、難解な理論や歴史的経緯に、相当に深い理解がなければ、あのようなメモは書けないはずでして……」
とりあえず、老博士に引き続きの講義を頼んで、ボクの執務室から下がらせた。
和平のための政略結婚。
ボクのお相手は、父上や王国の偉いさん方が勝手に決めた。
それも王国のためと、了承した。
けれど、生涯をともにする妻だ。どんな相手なのか気にならないハズがない。
護衛の騎士に扮して、国境の街エルヴェンに向かった。
コルネリア殿を乗せた馬車はボクより先に着いており、侍女とエルヴェン観光に出かけたコルネリア殿の帰りを、騎士たちと談笑しながら馬車で待った。
やがて戻られたコルネリア殿のお姿に、ボクは雷に撃たれたような衝撃を受けた。
バーテルランド王国から護衛してきた騎士たちから〈とても直視はできない、お美しさ〉だと聞かされていた。
――大袈裟なことを言う。
と、苦笑いしていたのだけど、目の前に現れたコルネリア殿は、その言葉を遥かに上回る美しさだった。
月光を宿したようなプラチナブロンドの髪は、淡雪のように儚くも美しい。
その髪に縁取られた白磁のように白い肌は透き通り、ほんのりと紅潮した頬に整った顔立ち。生まれ持った気品が漂う。
そして、ボクが最も心を奪われたのは、その大きな瞳だった。
騎士たちから聞いた「透んだ青い瞳」という言葉は正しかった。だけど、実際にこの目で見たコルネリア殿の瞳は、まるで深い湖のように透き通っていて、その奥には、何か強い意志のようなものが宿っているように見えた。
かといって押し付けがましくもない。不安げでありながらも、諦観にも似た、複雑な光を湛えている。
口元は、淡く紅を差したように愛らしく、小さく結ばれた唇が、どこか儚げな印象を与える。
全体として、華奢でありながらも、内に秘めた強さとしなやかさを感じさせられる、不思議な魅力を持った女性だった。
生まれて初めて経験する、熱のようなものがボクを襲う。
自分が護衛騎士に扮していたことを思い出し、慌てて拝礼を捧げた。
答礼するコルネリア殿は、慣れていないのか、どこか健気で愛らしいふる舞いにも見え、ボクの心がますます惹き付けられる。
なのに、コルネリア殿の視線がボクに向くと、思わず目を逸らしてしまった。
――まさか、これほどまでに美しいお方を妻に迎えることになろうとは……。
グレンスボーに向かう道中、コルネリア殿のふる舞いは実に純粋で、外見の完成された美とは対極的なまでに可愛らしく、微笑ましかった。
街を見ても、森を見ても、荒野を見ても、目を輝かせている。
この女性のことを、もっと深く知りたいという気持ちが自然と湧き上がってくる。
――先に確認しておいて良かった。
と、心の底から思った。
お迎えする城で初めて会っていたら、ボクは言葉をなくし、無様に立ち尽くしていたかもしれない。
先触れの騎士たちに混じり、城に戻って、急いで出迎えの正装に着替えながら、なんども深呼吸した。
コルネリア殿からすれば、ボクとは初対面の場に赴くのだ。
みっともない姿を見せたくない。
高揚と緊張を平たく伸ばし、ゆったりとふる舞うことを心がけた。
隣にエスコートするとき、手が震えてないか不安だったし、すぐそばに立つコルネリア殿にボクの全神経が向いていた。
――敵国の貴族令嬢との政略結婚。
であることを、思い出したのは、1週間以上経ってからのことだ。
婚約者を迎えての夫人教育。その慣例に従い、毎朝の朝食だけはともにする。
一日の間で、ボクの心が最も浮き立ち、最も緊張する時間。
コルネリア殿は、ボクが何を話しても、ニコニコと魅惑的な笑顔で聞いてくれるし、敬意を表してくれる。
いつの間にか緊張を忘れ、いつもボクを気持ちよくさせてくれる。
多少のマナーの間違いなど、問題にならない。夫人教育が進めば解消する話だ。
トントンッ――、
と、執務机を指で弾いた。
博士の講義に、ボクも立ち会いたい。もっと、コルネリア殿のことが知りたい。
だけど、それもコルネリア殿を監視しているようで、変に思われては嫌だ。
翌朝。饗宴の間にいそいそと赴き、コルネリア殿と朝の挨拶を交わす。
壁にかけられたタペストリーに目を向け、そこに描かれたわが国の建国神話を語る。
「……神の遣わされた半神半人の英雄、脚には牛の力が、腕には馬の力が宿るとされた英雄王が、わがリレダル王国で大河の氾濫を止めたことが……」
そのとき、確かに、コルネリア殿の空気が揺らいだ。
知っている。わが国の建国神話を。
「失礼。脚に馬、腕に牛でした」
「あら、そうですか。エイナル様は物知りでいらっしゃいますわね」
かといって、ボクを馬鹿にしているような様子もない。
なにか、確固たる信念をもって、その身に秘めた知性を覆い隠している。
それからボクは、コルネリア殿を試すようなことばかりしてしまった。
だけど、コルネリア殿は、あらゆる分野の、あらゆる知識に対して反応を示し、ボクの理解が間違っているところまで、その空気の揺らぎで分からせられる。
数日が過ぎ、ボクの中に生まれた確信を、思い切って切り出した。
「コルネリア殿……。我がリレダル王国では、賢い女性が疎まれるといったことはありません。……あ、いや、そのように大口を開けられては……、そうそう、口を閉じて……。賢い者は女性であろうがなかろうが、むしろ尊ばれます。……だから、口を……、ああ、閉じられないのなら、手元の扇で……、そう、隠して」
まっすぐにボクを見詰めるコルネリア殿の透んだ青い瞳には、ありありと警戒心が浮かんでいた。
初めて見せていただいた表情に、つい見惚れてしまったけれど、ハッと我に返る。
――どのようにお育ちになられれば、このようなお振る舞いになられるのか……。いや、むしろ、この知識と学才を王立学院にも通わずに、どのようにして身に着けられたのか……。
ボクは急がないことにした。
コルネリア殿のお立場からすれば、敵国に乗り込んでこられたのだ。
まずは、この城をコルネリア殿にとって居心地のいい場所にしてさし上げたい。
バカのふり――、
を、されたいのなら、当面はそのままにしてさし上げようと、心に決めた。
あの透んだ瞳や、純朴なおふる舞いから、敵国であるバーテルランド王国から、なにか謀略の密命を帯びているとも思えない。
しかも、お連れになられた近侍は、侍女がひとりだけ。並みの度胸ではないし、両国和平に対する決意と覚悟がうかがえる。
そして、ボクの立場からすれば、コルネリア殿に愛を語ろうにも、既に婚約はしている訳で、どこから話を始めたらいいのか、皆目見当がつかない。
政略結婚で恋に落ちるとは、想定外だ。
そうだ。ボクたちは結婚する。
この先、時間はいくらでもある。ゆっくりと焦らずに、コルネリア殿がボクに心を開いてくれるのを、待つことにした。