39.冷遇令嬢は義妹に答える
「いいわよ。抹消して。わたしは何も困らないわ」
フランシスカが喚き立てるたびに、わたしの心は冷えて、落ち着いていく。感覚が研ぎ澄まされるような気持ちにすらなる。
「ふ、ふんっ! 強がっちゃって。モンフォール侯爵家の籍を剥奪されたら、お姉様の結婚も、婚約もなくなるわ! 大河伯でだっていられなくなるくせに!?」
「ひとつ忘れてるわよ?」
「なによ!?」
「フランシスカは、もうわたしを『お姉様』なんて呼ばなくて良くなるわよ?」
「そ、そうよ! よく分かってるじゃない!?」
「でも、どうして、わたしが大河伯でいられなくなるの?」
「当然でしょ!? 大公のご威光でもらった役職なんか、取り上げられるに決まってるじゃない!? そんなことも分からないの? これだから学のないお姉様は……」
「大河伯には爵位も、家柄も、血統も関係ないの。……フランシスカは敵国の政治体制に詳しくないのかもしれないけど」
「そんな建前……」
「ふふっ。……建前、ね」
「なによ、私を笑わないでよ!」
「……大公世子、エイナル様の婚約者であるわたしが大河伯に就任することで、大公家はいくつかの役職を手放し、王太子殿下の婚姻にまで影響が及んだ」
「なんの話よ!?」
「わたしの大河伯就任で、大公家に利はないってことよ。むしろ、マイナスの方が大きいかもしれない」
「じゃ、じゃあ……、なんで、お姉様が大河伯になれたのよ!?」
「やっと、聞いてくれたわね。フランシスカ」
「は?」
「実力よ。わたしの実力。わたしの才がリレダル王国に求められたの」
「そ、そんなのおかしいわ! だって、王立学院に通ってない、学のないお姉様に実力だなんて!? 私を騙そうと……」
「フランシスカ。貴女、本当にバカだったのね……」
「はあ!? なによそれ! 撤回しなさいよ! 私のどこがバカだって言うの!」
「お母様よ……」
「え……?」
「わたし、お母様から学問を授けられていたのよ? ……フランシスカ、本当に気が付いてなかったの?」
「そんな……、だって……」
「毎日、学院で教わったことを、賢しらげに〈ご講義〉に来てくれてたのに?」
「だって……」
「だって?」
「……書物もなしに」
「必要なかったみたいね。わたしには」
顔面蒼白になっていく、フランシスカ。
神話級の天才、テレシア・モンフォールから学ぶ、その意味は理解しているらしい。
フランシスカの血の気を引かせたのが、怒りなのか、驚きなのか、恐れなのか、それは分からないけど。
「大河伯は国家の重臣。たとえ外交は管轄外でも、たとえ、わたしとエイナル様の婚約が解消されたとしても、必ず、この和平は成立させてみせるわ。わたしが」
「そ……」
「和平のため、国に結婚を捧げたご令嬢方の気持ちを踏みにじるようなことには、断じてさせない」
「そんなこと……」
「できるわ。……そして、わたしは必ず、エイナル様のお隣に相応しいところまで、再び昇り詰める。フランシスカ、貴女に侯爵家の籍を奪われたとしても」
「騙してたのね……、私を。バカのふりして……」
「聞かれたら答えたわよ? ……お姉様、賢いの? って。ご飯抜かれちゃってたと思うけど」
「ひどい……」
続きはご実家でどうぞ。と思い、ばあやに紙とペンを出してもらう。
さすがに、この話の流れで出てきた「ひどい……」の続きを聞くほど、わたしも暇ではない。
「……それ、なによ?」
と、続きを聞いてもらえないフランシスカが、不満を隠さず、わたしの手元をのぞき込んだ。
「愚かな君主を戴いた、民に罪はないわ。今からでもモンフォール侯爵家領で出来そうな対策を書きとめるから、持って帰りなさい」
「い、いらないわよ……」
「いい? フランシスカ。土嚢は準備が間に合わないと思うから……」
「いらないって言ってるでしょ!? そんな難しいこと分からないわよ!!」
「……学院34位の優秀な成績を修めたんでしょ? 民のため、今、使わなくてどうするのよ?」
「詩学だけよ」
「……え?」
「……詩学だけ、34位だったの」
「ん? ……詩学って、詩よね? 韻律とか修辞とか、比喩、誇張、対照、反語、漸層、撞着、英雄詩、神話詩、恋愛詩、寓話詩とか学ぶ……」
「そんな難しいこと、分からないわよ! ……なんて家に生まれたんだって詩にしたら、教授が褒めてくれただけ」
「恐いんだけど……、ほかは?」
「……」
「あっ……、え? 聞いた、わたしが悪いの?」
「賢しらなことを……」
「ふふっ。ほんとだ。気を付けないと、ご飯抜かれちゃうわね」
「ぐっ……」
「ありがとう、フランシスカ。まだ、加減が分からないのよ。たしかに、いまのは賢しらだったかもって、反省したわ」
新しい紙をもらい、メモを書きなおす。
「住民避難の要諦をまとめたわ。あとは、自分たちでどうにかしてちょうだい」
「こんなもの、もらっても……」
「誰か分かる人に渡して。……せめて、民を守る、貴族の責務くらい果たしなさい」
「ま、まだ、話は終わってないわよ!?」
「ん? なに?」
「なにって……、モンフォール侯爵家の籍の話よ」
「ああ、剥奪するんでしょ? フランシスカの好きにしていいわよ。すこし遠回りになるかもしれないけど、そうね、2年もあれば元の位置に戻れるわ」
「なんで……、そんなこと分かるのよ?」
「さすがに、分かるわよ。これだけ場数を踏ませてもらったら」
「場数……。まだ、半年も経たないのに、なんの場数を……」
「あ、そっか。ふふっ。……お母様から学び、温めてたことをまとめて実行してるから、半年じゃなくて19年かな? わたしにとっては」
「……帰るわ」
「そう。……豪雨の夜道に馬車は危険よ。馬車で大人しくしてるなら、総督府の中で夜明けまで待機を許すわ」
「情けをかけたつもり?」
「そのメモ、……持って帰ってもらわないとね」
テーブルの上に置いたメモを、ばあやが折りたたんで、フランシスカに持たせた。
「大河伯閣下よりの貴重なご助言です。これまで拒んでは、不敬の謗りを免れませんわ。……この老いぼれ侍女の顔を立てると思って、お持ち帰りください」
「そ、そこまで言うのなら……」
「ご心配されずとも、今日のフランシスカ様のご発言。リレダル王国の堤防を決壊させろだなど……、この〈ばあや〉めから、公爵閣下にも王妃陛下にも、決して漏らしたりいたしませんわ」
「くっ……」
ろ、老獪な脅しだなぁ、……と、ばあやに感心する。
フランシスカは、ばあやには応えず、メモを握りしめ、ソファから立ち上がった。
なにか気のきいた嫌味でも言いたいのだろうけど、言いよどんでいる。
――頑張れ、詩学34位!
と思ったけど、結局、無言で部屋から出て行った。
「ギャッ」
と、扉の向こうから声がして、みんなで一斉にふり向いたのだけど、
「……なによ、驚かせないでよ」
と、フランシスカの声がして、足音が去って行った。
足音が完全にしなくなってから、そぉ~っと、カリスとふたり、廊下をのぞく。
背の大剣に手をかけた白銀の女騎士ルイーセさんを、赤髪のビルテさんが羽交い絞めにしていた。
「コルネリア様への非礼……、許せぬ」
と、無表情にプルプルしてるルイーセさん。その肩越しに、ビルテさんが申し訳なさそうに眉をしかめていた。
「ごめん。大声がしたから……、立ち聞きするような形になっちゃって」
「ううん。こちらこそ、夜中に悪かったわね」
わたしの代わりに怒ってくれてありがとうと伝えると、ルイーセさんはようやく大剣から手を放した。
ビルテさんに、声を潜める。
「……わたし、賢しらだったわよね?」
「さあ……? あのくらい普通じゃない? 喧嘩してたんだし」
と、ビルテさんが白い歯を見せてくれた。
公式の場である幕営を除いては、友だち付き合いを続行してくれている。
気のいいお姉さんの言葉に、心を軽くしてもらう。
――喧嘩……、か。
と、苦笑いしつつ、幕営へと向かう。
心の奥底に、怪物はもういない。
これからは、自分で自分のふる舞いを律しないといけない。
定時連絡が届いていて、エイナル様からの書簡をひらく。
『すこし雲に切れ間が! 明日は日差しが見えるかも!?』
とあり、その下にユッテ殿下が、
『夜明けは近い!』
さらに、カーナ様が、
『あと一息。明るい朝を!』
と、書き込んでくださっていた。
前向きな心を忘れない皆さんの言葉に、心を強くして、
『一緒に、夜明けを!』
と、書き込み、書簡を返した。
エイナル様の方から日差しがさして来る。
豪雨が降り止むのはまもなくだ。




