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37.冷遇令嬢は義妹と対峙する

わたしが貴賓室に入るや、フランシスカは立ち上がり、喚き立てようとしたので、手を挙げて制した。



「……わたしが、ソファに座る時間も待てないの?」


「え、偉そうにしないでよ……!?」


「偉いのよ」



フランシスカの忌々しげな視線が、わたしの胸元に落ちる。


大河伯の徽章。そして、騎士団総長、総督代理の徽章を認めたのだろう。フランシスカは、顔を歪めて唇を噛んだ。


わたしはソファに身を沈め、フランシスカを見上げた。



「貴人を立って出迎えるくらいの礼儀は知っているのね? どうぞ、お座りになってください。モンフォール侯爵令嬢、フランシスカ様」



わたしは生涯で初めて、不機嫌な自分を自覚していた。


家族との私的な面会という扱いにし、侍女長のカリスと、侍女のばあやだけを連れている。


わたしにミルクを入れてくれ、先に休ませたばあやの寝入りばなを、フランシスカの金切り声が叩き起こした。


心配して随従を申し出てくれたばあやを、早く休ませてあげたいというのに。


憎々しげな表情で、わたしを見下ろし続けるフランシスカに再度、座るよう促した。



「それで? なんのご用件ですか?」



礼則にのっとる挨拶など期待しない。


ドスッと不調法に座ったフランシスカの視線は、わたしを見下し、蔑んでいる。


なんのことはない、押し掛けたデビュタントでは国王陛下や大公閣下、それに居並ぶリレダル王国の重臣たちに気圧され、猫を被っていただけなのだ。


わたしの言葉を聞きおえる前に、睡眠不足で過敏になってる耳に不快な、甲高い声を響かせた。



「モンフォール侯爵家領の堤防が、もう持たないわ!?」


「……はあ?」



フランシスカが馬車を飛ばさせた距離と移動時間を考えれば、雨が降り始めてスグに、限界を迎えたことになる。


戦時下、攻撃対象にならないよう堤防など水防施設の情報は厳重に秘匿される。リレダル王国在住のわたしが、最新情報は知らない。


けれど、地形から考えて、おかしな話だ。


思わず興味を惹かれて、身を乗り出してしまった。



「決壊させて!!」


「……ん? なんの話? モンフォール侯爵家領の堤防を、わたしがどうやって決壊させるの? ……緊急に遊水地化させる話?」



モンフォール侯爵家領は平坦で遊水地には向かない。だけど、どうしてもと言うなら土嚢を積み上げて水を誘導して……、


と、真面目に頭を回転させた、わたしがバカだった。



「バカ! モンフォール侯爵家領の堤防を決壊させたら、わが家は終わりじゃない!」


「そうねぇ……」


「そうねぇじゃないわよ!? ホント、学がないんだから!?」


「ん?」


「私が教えてあげるわよ! リレダル王国の堤防を決壊させて!! そしたら、こっちに流れてくる水を減らせるでしょ!?」


「……フランシスカ。貴女、何を言ってるか分かってるの?」


「お姉様は大河伯なんでしょ!? 大公のご威光でもらった役職でも、そのくらい出来るでしょ!?」



世界に、これほど難解なものがあるとは知らなかった。わが義妹の思考回路を、どこから紐解けばいいか、さっぱり解らない。


得意満面のフランシスカの可愛らしい顔立ちは、醜く私欲に歪んでいる。


きっと、自分では私欲だと気が付いてもいないのだろう。



「分かった!? お姉様!? 分かったなら、すぐにリレダル王国の堤防を決壊させるのよ!? 私が代わりに命令を出してこようか!?」


「……フランシスカ?」


「なによ!? さっさとやりなさいよ!」


「わたし……、宰相閣下を通じて、モンフォール侯爵家にも豪雨対策の助言を書簡にして送ったと思うんだけど?」


「あ、あんなの……、出来る訳ないじゃない!!」


「どうして? わたしの言うことを聞くのがイヤだった?」


「お金がないのよ!!」


「……ん?」



モンフォール侯爵家領は大河沿いの穀倉地帯で、比較的裕福な家柄のはずだ。


戦場になったこともないはず。


わたしが書き送ったのは、地形から考えられる基本的な対策だけだし、巨額な経費を必要とする訳でもないのに……?


頭のなかで、面積、気候、その他諸々の要素を加味して、モンフォール侯爵家の年間税収を算出し終わった頃。


フランシスカが、忌々しげに口を開いた。



「……お父様は、テレシアとお姉様を見張るのだと言って軍役にも就かない。毎年毎年、多額の軍役負担金を払って……」


「そう……」


「毎年のように、別邸の壁を高く厚くするし、わが家にあるのは借金だけよ!」



醜い表情を浮かべるフランシスカ。


わたしの足をつかむ怪物が、目のまえで憤っていた。まるで、自分は何も悪くないと言わんばかりに。



「……そんなに、わたしが嫌いなら、お父様に言って追放してしまえば良かったじゃない?」



わたしの言葉に、キッと睨み返してきたフランシスカの瞳が、わたしを見下し、侮蔑する色に染まる。


そして、視線が宙を彷徨った。


もう、わたしの食事を抜き、暗黙裡に屈服させることは出来ないと気が付いたのだろう。無垢に戸惑うような表情が憎らしい。



「……イ、イヤよ、そんなの」


「どうして? わたしを追放すれば、お父様は軍役にも出られるし、壁も壊せたわよ?」


「絶対、イヤ! お姉様は、なにも分かってない!」


「そうね……。壁の向こうのことは、わたし何も知らないの。わたしに教えてくれる? フランシスカ」


「き、綺麗なお姉様と比べられ続ける人生なんて、私、耐えられない!!」


「そう……」


「テレシアと比べられ続ける、私のお母様みたいな人生、私は絶対にイヤ!! ……だから、私はお姉様を別邸から出すことに、反対したのに……、お父様が……」



支離滅裂で、結局、フランシスカが何を大事に思っているのか、よく解らない。


わたしの背後から、カリスの声が低く響いた。



「侯爵家の財政を悪化させたのは、フランシスカ様の散財にも原因があります」


「なによ!? あなた、カリスね!?」


「はい。フランシスカ様のドレス、アクセサリー、旅行、豪遊。それがなければ、ここまで悪化することはありませんでした」


「カリス、今すぐここを出て行きなさい! 不快だわ!」


「……フランシスカ。貴女、言ってはいけないことを言ったわね」



と、わたしの声も低く響いた。



「な、なによ!? カリスなんて、所詮はモンフォール侯爵家の使用人でしょ!?」


「……わたしはカリスを退出させない」


「わ、私の言うことが聞けないっていうの!?」


「カリスは、リレダル王国の大河伯秘書官。そして、騎士団参謀総長補佐官。次席斥候総長にして、総督府行政総監臨時代理。貴女の命令を聞く必要はないわ」


「なっ……」


「そして、わたしがカリスをリレダル王国の公職者として扱うことは、この場が、私的な面会ではなく、公の謁見になることを意味するのよ?」


「そ、それが、なんだっていうのよ!?」


「王立学院に通わせてもらっても学のない貴女に教えてあげる。貴女は公の場で、堤防を決壊させてリレダル王国を潰滅させる謀議をもちかけた、大罪人なのよ?」


「な……」


「停戦合意中の敵国に卑劣な騙し討ちを仕掛けようとした、極悪人」


「そんな言い方って……」


「言い方の問題じゃないわ。わたしは、緊急時騎士団総長として、ただちに貴女の首を刎ねる権限も、国王陛下から委譲されているのよ?」


「私に、そんなことしたら……」


「当然、バーテルランド王国には厳重に抗議することになるし、貴女をかばう者は誰もいないでしょうね」


「なっ……」


「それとも、わたしが知らないだけで、フランシスカの敵討ちのために戦争を再開してくれるほど、母国では人望があるの?」


「う、うぐっ……」


「……やっと、お分かりになられましたか? 学のあるモンフォール侯爵令嬢、フランシスカ様?」



そのとき、フランシスカが、不自然に首を左右に振った。


耳で揺れる、お母様のイヤリング。



「あっ、これね」



と、フランシスカが、イヤリングを外そうとした。



「テレシアのイヤリング。よ、よかったら、お姉様にあげるわよ?」


「いらないわ」



フランシスカは、耳に手をかけたまま、信じられないものでも見るように、わたしを見た。



「お母様のイヤリングを見るたびに、どうして、貴女のことを思い出さないといけないの? 不快だわ」


「ふ、不快だなんて……、そんな、強がらなくても……」


「それに、さっきから、フランシスカがお母様のことを呼び捨てにしてるの、とても不愉快なのだけど?」



キレていた。生まれて初めて。


どうやらわたしは、声を荒げるようなキレ方をするタイプではなかったらしい。


呆然と視線を宙に彷徨わせるフランシスカを、冷静に見据えていた。

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