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36.冷遇令嬢の予期せぬ再会

エルヴェンには、本降りになる前に到着。


懐かしむ(いとま)はない。


儀仗は省略。ただちに、総督府に入る。


上流域、中流域、下流域、さらには支流からの急報が間断なく届く。情報を集約し、王国全土で豪雨が始まったと判断。


わたしは、非常事態の宣言を、王都の国王陛下に通告した。


待機されていた勅使様より、臨時職である〈緊急時騎士団総長〉を拝命。王国騎士団の指揮権がわたしに委譲される。


あわせて、水防師団長のビルテさんが、緊急時騎士団参謀総長に昇格。わたしを補佐し、指揮の実務を担う。


ルイーセさんは、緊急時騎士団斥候総長。王国内の情報伝達と共有を担う。


ただちに、総督府に幕営を開き、王国騎士団全軍に臨戦態勢での待機命令を発した。


災害時、職人だけでは対応できない。軍隊、とりわけ機動力に優れた騎士団の働きが重要だ。


6年前の大氾濫後、前任の大河伯様が構築してくださっていた体制の先進性に、改めて感嘆の念を覚えるとともに、責任の重さを噛み締める。



「コルネリア様に何かあったら、エイナルに絞め殺されてしまいます」



と、エルヴェン近郊の堤防では、政務総監のクラウス伯爵が陣頭指揮を執ってくれている。


わたしは大河伯および騎士団総長として王国全土の状況を把握、指示。さらに、総督代理としてエルヴェン市街の対応も執る。


上流域では大公家取次のエイナル様が、周辺諸家も含めて指揮。


中流域は王家取次のユッテ殿下。


下流域は公爵家取次のカーナ様。


国王陛下や各家当主は、大河や支流から離れた、ご領地全体への対応にあたられる。


すでに、窓からは雨しか見えない。


幸い、風はそれほどでもない。


昼間なのに外は薄暗く、ランプやシャンデリアを灯して、王国全土を描いた広い地図を前に、最新情報の書簡をひらく。


書簡は、上流域のエイナル様から中流域のユッテ殿下へ。


ユッテ殿下から、下流域のカーナ様へ。


そして、わたしのもとへと届く。


全域の状況が相互に共有され、集約された情報をもとに、指示を出す。


上流域では堤防を超えた水が、氾濫を起こし始めた。ただ、決壊はしていない。


エイナル様が既に執られている対応に助言を付して、書簡を返す。



『ご飯、ちゃんと食べてる?』



と、エイナル様からの書簡に小さく書かれていた。


その下に、ユッテ殿下の文字で、



『食べてるぞ』



その下には、カーナ様の文字で、



『サンドイッチばかりで飽きましたわ』



と、ある。



――みんな、読んでるんだけどなぁ……。



と、苦笑いしながらも、エイナル様の心遣いが嬉しい。



『果物食べるといいですよ』



と、書き込んで、斥候の騎士に託す。


豪雨の中、駆け出してくれる騎士にも馬にも頭がさがる。


豪雨が始まり2日目。雨合羽姿のカリスが駆け込んだ。



「街の排水が追い付いてないわね。用水路から水が溢れ始めたわ」


「低地の住民を避難させてください。総督府のホールを開放します。炊き出しの準備も」



わたしの指示で騎士が駆け出し、ばあやも炊き出しを手伝ってくれる。


リサ様のところに残ってもいいのよ? と、声をかけたのだけど、



「私がコルネリア様のもとで働くことは、リサ様の誇りなのですわよ?」


「まあ……」


「もし私が残ったら、リサ様ご自身がコルネリア様のところに行くと言い出されかねませんわ」



と、朗らかに笑って、エルヴェンまで随行してくれている。


リサ様のお気持ちも、ばあやの気持ちも嬉しくて心強い。


エイナル様たちからの定時連絡の合間に、避難してきた住民の激励に、ホールに足を運ぶ。



「あらあら、姫様! わざわざありがとうね!」



と、果物屋のおかみさんと再会する。


わたしのプレゼントしたエプロンを、大事そうにたたんで、持って来てくれていた。



「姫様からのプレゼント、流されるわけにはいかないからね。エルヴェンで大流行してるエプロンの、記念すべき第一号だし」


「嬉しいです……」



わたしの遺したものを、誰かが大切にしてくれている。そんな出来事も、わたしにとっては初めてだ。



「あらあら、泣くことないじゃないか。ほら、これ!」



と、おかみさんが、恰幅のいい中年の男性を招き寄せた。魚市場の燻製職人さん。



「私の、新しい旦那候補だよ!」


「まあ!」


「へへへ、そういうことに、なってまして……」



照れ臭そうに頭を掻く、おじさん。


でも、ふたりは、とても幸せそう。おじさんは、おかみさんの荷物を抱えて持って来てくれたそうだ。



「姫様のエプロンのおかげだよ! ……たぶん」


「そこは、正直なんですね」



と、笑い合った。


大変なときなのに、みなさん、まずは元気そうで良かった。


豪雨が始まり3日目。各地から届く情報の精査を続ける。



「……水位の上昇が、想定より少しだけ早いわね」



と、ビルテさんと地図を睨む。



「どうされます? コルネリア閣下」


「やはり、雪融け水に重なったのが痛いですね……。流れ切るまで、あと、少しだったのに」


「ええ……」



だけど、嘆いても仕方がない。


降った水は、どこかに流れ着いてしまうし、雨が上がる兆候はまだ現われない。



「やむを得ません。先手を打ちます。峡谷の封鎖を」



グレンスボーの手前にある、蛇行する峡谷に岩や土嚢を投げ入れ、支流の流れをせき止める。


一帯を巨大なため池にして、大河への流入量を減らす。


住民全員を予め退避させ、水防師団100名を駐屯させたのは、この策のためだ。


グレンスボーは水に沈む。


わたしとエイナル様の出会いの地。グリフ家にとっても、大切な発祥の地。


苦渋の決断だけど、躊躇すれば王国全土の被害を拡大させる可能性が高まる。


ソルダル大公閣下もエイナル様も、事前に快くご了承くださった。



「故地を惜しんで、王国を水に沈めたとなれば、グリフ家の名望は地に落ちる。大河伯の判断で好きにしてくれたので良い」



と、おふたりは口をそろえた。


度量の大きな親子に、ただただ、頭がさがる。


わたしも、



――賢しらじゃないかな……、



とか、悩んでる余裕はない。


わたしの足をとる怪物も無事にひきずり回してる。次々に、賢しらな指示を出し続けないといけなくて、躊躇する暇がない。


深夜になっても雨は降り続く。


各地で氾濫が起きてるけど、被害は想定内に収まっている。堤防の決壊は、かろうじて防げてる。


王都の運河では内水氾濫が始まったけれど、こちらも国王陛下の指揮のもと、被害を最小限に抑えつつ対応できている。


全体的には、なんとかコントロールできていた。


エイナル様たちからの定時連絡への対応を終えると、カリスから、すこし休むようにと勧められた。



「そうねぇ……」


「長期戦になりそうよ? 次の定時連絡が来たら起こすから、ベッドで横になって」



ここは素直に従うことにして、寝室に向かう前に、ばあやに入れてもらった温かいミルクを飲み、外を眺めた。


激しい雨音が耳を打つ。


夜の闇を、大河が流れていく様子を思い浮かべ、現場で夜通し対応にあたってくれている騎士たちに思いを馳せる。


そのとき、雨音に別の音が混じった。


窓の下を見下ろすと、豪雨の中、馬車が入ってくるのが見えた。



――急報!? どこかで、決壊した!? いや……、でも、馬車って……?



怪訝に思いつつ、ミルクを飲み干した。


やがて、とびきり複雑な表情をしたカリスが、わたしの前に現われた。



「……モンフォール侯爵家より、フランシスカ様がおみえです」


「……ん?」


「……モンフォール侯爵家より、フランシスカ様がおみえです」



わたしの聞き間違いではなかった。



「コルネリア様に至急の用件だと、面会を求めておられますが、どうされますか?」



この豪雨の中、馬車を飛ばして来たというのか。フランシスカは。


ぬかるみ切った路面に馬車は危険だ。雨水の流れる路面では、境目を見間違えて側溝に車輪を落とす可能性もある。特別に訓練した馬でないと、豪雨にパニックを起こす恐れもある。まして、深夜。


正気の沙汰とは思えない。


扉の向こうから、叫び声が聞こえた。



「私を誰だと思ってるの!? 大河伯の妹なのよ!? こっちは急いでるの! さっさと会わせなさいよ!? さもないと、お姉様に言い付けるわよ!?」



カリスと目を見合せた。



「……なにを、言い付けられるんだろ?」


「さあ?」



フランシスカの声は金切り声のようになって、エントランスから響いてくる。



「……仮眠をとってるみんなに迷惑だから……、通して」


「はい……」



幕営に入れる訳にもいかず、貴賓室に通させた。


わたしは貴重な休憩時間を潰して、フランシスカと対峙する羽目になった。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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