35.冷遇令嬢は封印していた
リサ様の御父君は、わたしに深々と頭を下げてくださった。
「リレダル王国、大河院よりの報せで、わが国でも、豪雨対策をとれております」
「それは、なによりですわ」
「わけて、コルネリア大河伯閣下よりのご助言の書簡。各家、大変喜んでおります」
母国には、大河伯に類する役職はない。河川政策は貴族各家がそれぞれ領内で独自に行っている。
結局、この目で見たこともない母国。
だけど、水害に襲われ苦しむのは庶民だと、お母様から諭していただいた。
見て見ぬふりは、できない。
「……お役に立ったなら、良いのですが」
と、頭をさげ、花嫁のもとに向かわれる御父君を見送った。
その急がれるお背中に、エイナル様が目をほそめられた。
「コルネリア殿の才が、また奇跡を起こしてくれたね」
「……えっと?」
「……今回の政略結婚。両国ともに、和平賛成派の家が、ご令嬢を夫人に迎える」
「え、ええ……」
「対して、ご令嬢を送りだされるのは、和平懐疑派の家」
「懐疑派……」
「うん。反対派の家はさておき、懐疑的な立場をとる家に、賛成派に転じてもらわないと、和平は成らない」
「な、なるほど……」
「それに、賛成派の家は、もともと賛成派なんだから、迎え入れるご令嬢を大切にするしね」
「あっ……」
「懐疑的だったリサ殿のご実家が、急な挙式を認めたのは、コルネリア殿からの助言の書簡に恩を感じてのことだろう」
と、エイナル様は嬉しそうに、鼻の頭を掻かれた。
「それに、リサ殿から御父君に、恋文のような書簡が届けられたんだと思うよ? ……コルネリア殿への熱烈な愛を綴った」
「こ、恋文だなんて……」
「ふふっ。そうでもないと、この挙式、非礼だと騒がれてもおかしくないと思うけどな、ボクは」
「あの……」
「ん? なに?」
「……では、リレダル王国から嫁がれて行くご令嬢も……」
「うん。きっと、大切にしてもらってると思うよ」
「……良かった」
なにか、胸のつかえが下りるような心持ちだった。
敵国に嫁がされる政略結婚。なかなかハードな策だなと思っていたけど、ちゃんと考えられていた。
恋愛を経ない結婚だとはいえ……、わたしやリサ様のように、婚約してから恋に落ちてもいいではないか。
みなさんが幸福であることを祈って、結婚式に列席させていただいた。
祝賀の晩餐会にも出席し、ご用意いただいた宿舎に向かう。宿舎のエントランスにも、土嚢が用意されている。
リサ様の御父君は、夜間にも関わらず、そのまま馬車に飛び乗られた。ご領地の豪雨対策のためだろう。
それでも結婚式に駆け付けられた、リサ様と和平を大切に想われる親心に、胸が熱くなった。このまま和平が成立すればこそ、リサ様の幸福も守れる。
わたしの父とは大違いだ……、とは考えないようにした。
リサ様の御父君にしても、宰相閣下にしても、わたしを見詰める瞳には敬意と親愛の情がこもる。
だけど、制度と身分、それに、貴族の体面を守って、壁を乗り越えては来て下さらなかったのだ。
怨みはしないけど、わたしからすれば父の側に立っているとも考えてしまう。リサ様の御父君がわたしの父だったら良かったのにとは、ちっとも思わない。
暗い話をすればキリがない。
今晩は、リサ様の幸福そうな花嫁姿だけを思って過ごしたい。
とはいえ、天候も気になる。
と、テラスで、カリスと夜空を見上げた。
「……星の瞬きが、また大きくなったように見えるわね」
「うん……、そうだね」
「……ネル?」
「なに?」
「その浮かない顔は、雨のことを考えてた訳じゃないでしょ?」
「なんで、分かるの?」
「……私だから?」
「ふふっ。もう……」
大聖堂での結婚式。荘厳で、華やかで。
芸術家たちが多数駆け付け、大楽団の演奏は感動的で、詩人たちが歌う永遠の愛にも心を震わせられた。
リサ様はお美しくて、幸せそうだった。
旦那様になるセヴェリン様も、心から生真面目に、リサ様のことを愛しんでおられると伝わってきて、胸を打たれた。
キュンとした。
誓いのキスを皆で祝福して、わたしの胸も満たされた。
敵国に馴染めず、最初は孤独に過ごされていたリサ様の幸福が、嬉しくて嬉しくて、涙がこぼれて……。
「いい? ネル」
と、カリスが真っ直ぐに見詰めた。
やさしげで、全部許してくれるような、カリスの眼差し。だけど、いつもより真剣な光を帯びて見えた。
「うん……。なに、カリス?」
「いまのネル。なんていうか、モヤモヤしてるでしょ?」
「う、うん……」
「それはね、悪いことじゃないのよ?」
「えっ?」
「とても、自然なことなの」
「うん……、なに?」
「……その気持ちが、嫉妬よ?」
「しっ……」
「いいなぁって、羨ましい気持ち」
「いいなぁ……」
「そう。別に悪いことじゃないし、自然と湧き上がるものよ」
「カリス……?」
と、カリスの瞳の、奥を見詰めた。
「そうか……。わたし、フタをしてたんだ……。この気持ちに……」
別邸で、フランシスカに「いいなぁ」と思ってしまえば、わたしは生きていけなかった。
悔しかったり、憤ったり、惨めさを味わっても、羨ましいと感じたら……、わたしは耐えられなかっただろう。
「ふふっ」
と、カリスが、笑みをこぼした。
「チューだ」
「…………はぁ?」
「リサ様のチューを見て、ネルは『いいなぁ』って、思っちゃったんだ?」
「ちょっと、カリス!? ……え? そうなの? わたし」
カリスが涼しげな表情で、夜空を見上げた。
「羨ましがらないし、やきもちも焼かない。それは、ネルの美徳になってるけど、知らない間に貯め込んだら……、ちょっと大変かな?」
「……カリス」
「はやく出来るといいね。エイナル様と、チュー」
「せ、せめて、キスって言ってくれる?」
きっと、わたしはリサ様のキスを見て「はやく、わたしも」と、思ったんだろう。
いいなぁ、リサ様。って。
「キスかぁ……」
どんな気持ちになるのかな?
と、なんだか経験のない興奮をして、目を輝かせ、カリスに何度も、
「カリスはしたことあるの?」
と、聞いたけど、クールに微笑むばかりで教えてくれなかった。
結婚式でエイナル様にキスしていただく夢に、赤面して飛び起きた、翌朝。
エイナル様の美しいお顔が、わたしに近づいて、ドキッとするや、おでこに唇がやさしく触れた。
「エ、エイナル様!?」
「ふふっ。しばらくお別れだ。ボクのこと、忘れないでね?」
「わ、忘れませんわよ!? 絶対!」
豪雨が近い。
わたしは最下流の街、エルヴェンに入って全体の指揮を執る。
そして、エイナル様は大公家取次として、上流域の大公家領で指揮を執られる。
「最後だけ取次の役を投げ出す訳にはいかないからね」
「ええ。どうか、安全に気を付けられて」
「うん。コルネリア殿もね」
と、エイナル様は、もう一度、おでこに〈チュー〉をされ、馬に乗られた。
颯爽たる騎馬姿。翻るマント。逞しいお背中を、ポオッと見送ってしまった。
カリスが、ニヤッと笑った。
「良かったじゃない?」
「よ、良かったわよ!?」
なぜか、怒ったような声が出て、自分でビックリする。
そっと、おでこに手をあてたとき、大粒の雨が一滴、わたしの頬を打った。
豪雨が来る。
馬車に駆け込み、わたしもエルヴェンへと急ぐ。
おでこに、温もりを感じながら。




