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32.大公世子は選ばれた

  Ψ  Ψ  Ψ



デビュタントを迎えたコルネリア殿は、ほんとうに美しかった。


エスコートできることが誇らしく、大河伯への就任に、いちばん近くで拍手を贈れることが光栄だった。


開式前、エントランスで騒ぐ父君と妹君に眉をしかめた。


あの場をユッテ殿下が引き取ってくださらなければ、捕縛し投獄を命じていたかもしれない。



「……和平を潰す気か? コルネリアを信じてやれ」



と、ユッテ殿下に囁かれ、ハッとした。


家族を断罪するならば、それはコルネリア殿自身の手によるべきだ。


あれほど、家族の話題に動揺を見せていたコルネリア殿が、父君と妹君の姿を見付けても、優雅な微笑みを絶やさず、華麗なステップを踏み続けた。



――蕾は……、大輪の花を咲かせる覚悟を決めたのだ。



手を強く握り締め過ぎていたのは、コルネリア殿のお心を繋ぎとめようと、ボクの肩に力が入っていたからだろう。


やわらかく握り直すと、コルネリア殿が優しく微笑んでくれた。


そのとき、コルネリア殿の瞳に最初に見付けた諦観にも似た光が、冷徹な知性であることに、不意に気が付いた。


いや……、ついにボクに明かしてくださったのだ。



「わたしは、エイナル様を信じておりますわ」



という、コルネリア殿の言葉が、胸に染み渡る。


この類稀なる知性は、ボクのもとで花咲くことを選んでくれたのだ。


ボクは……、コルネリア殿に選ばれた。


急がず、コルネリア殿をお待ちすると決めていたボクが、今度は、置いて行かれないように必死で追うのだろうなという予感に、心を満たされながら、コルネリア殿のデビュタントは幕を閉じた。


父母が提供した邸宅にコルネリア殿をお送りして、自分の部屋に戻る。


クラウスが待っていて、久しぶりにグラスを傾けた。



「……監禁?」


「ああ……。言葉を濁されていたが、宰相閣下の話を総合すると、どうも、そういうことらしい」



コルネリア殿の壮絶な生い立ちの一端が、畏友からもたらされた。



「箱入り娘の度が過ぎていた……、くらいに思っていたのだが」


「母君とふたり、世間と隔絶されて育たれたようだ。……お生まれになられたときから、19年も」



晩餐会で、あの愚かな父からコルネリア殿への愛情を感じることは出来なかった。


行き過ぎた愛情が、美し過ぎる娘を束縛していたという図は思い浮かばない。


まして、生まれたばかりの赤子のときから監禁していたとなると、ますます、その構図には結びつかない。


それも、男子のいない家で、母親が平民の出自とはいえ爵位継承権第一位の長女だ。



「……いずれにしても、コルネリア殿はボクとの結婚を選んだ。毅然と身上書の再提出を求め、父親も了承した」


「そうだな……。和平のため、わが国の河川政策のため……、そして、エイナルの幸福のため、これ以上に事を荒立てる必要はない。……が」


「守るよ。ボクが」


「ふふっ。……そうだな」



クラウスは戦場で父君を亡くされた。にもかかわらず、和平に心血を注いできた。


憎い敵国と、粘り強く交渉し、誼を通じ、停戦合意に導いた。


その和平を壊すことになってもという激しさで、コルネリア殿に惹かれた。気持ちを断ち切れたのは、コルネリア殿がボクを求めてくれていたからだ。


ボクには、クラウスのためにも、コルネリア殿を守る義務がある。


なのに、翌朝。コルネリア殿が結婚の延期を申し出られたとき、ボクはおもしろいほどに動揺した。


驚く父上と母上に、コルネリア殿は理路整然と、豪雨災害の可能性を論じられた。



――そうだ……。花は、すでにひらいていたのだった。



と、置いて行かれた心で、必死にコルネリア殿を追い駆ける。



「あなた。コルネリアの言うことは、もっともです」



と、母上が、父上に視線を送った。


父上の半生は、戦争推進派だった祖父との暗闘に染められている。その父上を陰から支え続けられた母上の発言は重たい。


母上の働きがなければ、祖父を引退には追い込めなかった。


父上がうなずかれた。



「分かった。停戦合意に影響が出ないよう、クラウスに工作を指示する」


「はやく……、奥さんになりたいのですけど……」



と、ボクに囁いてくれたコルネリア殿の瞳は、心から残念そうで、けれど、つよい危機感と責任感が浮かんでいた。


その場で、父上からボクをソルダル大公家の大河伯取次に任じてもらう。


役職に就いたコルネリア殿を、側で支え、守るには大義名分が必要だ。



「……嬉しいです」



と、頬の上側をほんのり紅く染めたコルネリア殿と、大河院に向かう馬車の中で、手を握り合った。


だけど、ボクが守るまでもなく、コルネリア殿は曲者揃いの博士たちとの会合を、見事に取り仕切ってみせた。


唸った。


才を見付け、信じているつもりだったけれど、コルネリア殿は弱冠19歳。


可憐なお姿から、ここまでの手腕を想像できてはいなかった。


侮っていたつもりはない。ただ、遥かに超えて来た。ボクの想像を。



――まさか、これほどまでに聡明なお方を妻に迎えることになろうとは……。



そして、コルネリア殿は、初めてボクに明確に頼みごとをしてくれた。



「ソルダル大公家領の、現在の天候が知りたいのです。……言い伝えなどを守る古老が見付かるなら、その聞き取りも」


「分かった! ボクが行くよ!」



もちろん、大河伯から取次への依頼であって、公的で公式なものなのだけど、ボクは張り切った。



「世子が自ら足を運んだとなると、頑固な古老たちの口も軽くなるからね」



馬を飛ばし、1時間で後悔した。


側で守ると決めた矢先に飛び出してしまったことだけではない。


寂しいのだ。


エルヴェンに入ってから、ずっとコルネリア殿と一緒に過ごしてきた。


自分の中で、コルネリア殿の存在がここまで大きくなっていることに、初めて気が付いた。


ただ、ここで「やっぱり、やめた」では、コルネリア殿の隣に相応しくはない。


歯を喰いしばって、大公家領に向かう。


数日のことで、書簡を送るのも、なんだかカッコ悪い気がして、我慢しながら古老たちとの面会を重ねた。


王国上流域にあたる大公家領には、完全に春が来ていた。たしかに、異常だ。古老たちも不安で口を揃えた。


コルネリア殿の慧眼に改めて驚嘆しながら、帰りの馬を飛ばす。


久しぶりに再会できたコルネリア殿は、ボクの姿を認めると、邂逅に奇跡を感じてくれるかのように目を輝かせた。



「ただいま……」


「お帰りなさいませ」



と、はにかまれたコルネリア殿の笑顔に、心を吸い込まれた。



  Ψ



国王陛下への奏上を終え、とりあえず一息吐けた昼下がり。


侍女長となったカリスに誘われた。


コルネリア殿の邸宅の広いテラスに、敷物が敷いてある。外は春の陽気。



「……これならば、どうです?」



と、カリスが囁く。


リレダル王国では婚約期間中、キスも抱擁もご法度だ。



――ふしだら、させない。絶対。



ということなのだろうけど、婚約期間前の交際中はゆるくて、そんなことはないので、理不尽なものを感じる慣習だ。


いっそ、コルネリア殿との婚約を解消して、交際からやり直したいとも思う。


だけど、和平のための政略結婚でもあり、そういう訳にもいかない。


コルネリア殿と並んで寝転がり、ボクたちふたりを、カリスと新しく雇った老侍女が挟んで寝そべる。



「これならば、出来ないでしょう? ふしだら」



と、カリスが、クールに微笑み、


コルネリア殿が、



「バカね。カリスったら」



と、頬の上側を紅く上気させ、ボクの胸の中に顔を埋めた。



――たしかに、抱擁はしてないなぁ……。



と、思いながら、スースー寝息をたて始めたコルネリア殿の寝顔を見守った。


疲れが出たのだろう。


陽光に輝くプラチナブロンドの髪を撫で、そのまま4人で夕暮れまで昼寝して過ごしたのが、つかの間の休息になった。



  Ψ



わが国の下流域にあたるバーテルランド王国には、和平交渉を担うクラウスを通じ、大河院の見解を通知する。



「敵国バーテルランドに、わが国の知見を漏らすなど……」



と、難癖を付ける者もいたけど、



「むしろ、わが国が、バーテルランドからコルネリア大河伯の叡智を頂戴しているのでは?」



と言えば、沈黙した。


政治向きのことは、ボクがコルネリア殿をサポートしていく。


上流域で国境を接する山岳国家群には、王太子フェルディナン殿下を大使として派遣することになった。


降雨量など上流域の状況は常に把握しておきたい。物腰の柔らかい女性博士を随行させ、当面の間、殿下に常駐していただく。



「こちらも嫁入り前だというのに。お天気には敵いませんわね」



と、苦笑いしたカーナは、王太子妃教育を中断して、ホイヴェルク公爵家に戻った。


公爵家の大河伯取次を務めるためだ。



「セヴェリンではダメなのか?」


「あら? どこかの貴公子が愛する婚約者のために役職を返上しまくるせいで、シワ寄せが全部、私の優秀な弟、セヴェリンに行っておりますのよ?」


「め、面目ない……」


「ふふっ。……それに、王家も女性のユッテ殿下を取次とされました。この緊急時、コルネリア殿とは私の方が呼吸を合わせやすいでしょう?」



そう微笑むカーナも、王立学院では優秀な成績を修め、首席で卒業した。


王家、大公家、公爵家で、大河沿いの要地の過半を押さえている。三家が一致して行動すれば、他家は追随する。


大河伯との連携をとる取次が、息の合わせやすい者なら、コルネリア殿の負担は軽くなる。


カーナの配慮に感謝した。



「ばあやのサンドイッチ美味しぃ~!」



と、コルネリア殿は、食事の時間も惜しんで図面を前に、次々と指示を出す。



「この地点は、騎士団を投入すればギリギリ掘削が間に合い、川の直線化が可能。その分、はやく排水できます。すぐに手配を」


「ここは堤防の修復が間に合わないので、むしろ、堤防の外に土嚢を積んで対応しましょう」


「堤防が途切れている箇所を、いまから連続化させるのは現実的ではありません。浸水域のコントロールに主眼を移して、最終的な結論は視察の際に出します」



と、凄まじい勢いで、大河院をフル稼働させていく。


カリスも素晴らしい。


出来る侍女だとは思っていたけど、秘書官に就任するや、あっという間に大河院の事務方を掌握してしまった。



「カリス、次の……」



と、コルネリア殿が指示する前に、必要な書類や文献が書庫から届いている。


とてもいいコンビで、コルネリア殿が側に置きたがるのにも納得だ。


しかも、コルネリア殿は、ずっとウキウキ、ワクワクとされている。


まるで、視察に向けた〈お出かけ〉の旅支度をするかのように、豪雨対策を立案しては、準備を整えていく。


時折、ふっと視線が彷徨ったとき、ボクが手を握ると、安心したように微笑んでくれた。


王都の街角に、水防を啓発する絵画が並び始める。その前では、楽士が奏でる調べに乗せて、詩人が英雄王の神話を歌う。



「本当は数年かけて取り組むようなことなのですが……。芸術の力でなんとか、住民の心を動かしたいのです」



と、リサ殿を通じて、ブロムのサロンに依頼したのだ。


万一の浸水に備え、大切な財産は2階に上げておくだけでも事後の復旧復興が違う。


不安を煽り過ぎず、かといって快晴続きの春の陽気に住民から侮られもしないようにと、コルネリア殿の丁寧な施策が、実行に移されていく。


そして、王都でやるべきことを終えたコルネリア殿は、ボクの馬の前に乗って、視察へと向かう。


大河では、雪融け水による水位の上昇が、すでに始まっていた。


危機が、迫っている。

本日の更新は以上になります。

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