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30.冷遇令嬢は嬉しい誤算

晩餐会後のダンスパーティは招待客全体が楽しむ社交の場。


デビュタントを迎えた令嬢は、貴族社会で正式に恋愛の対象になったことを意味し、多くの男性貴族からダンスに誘われる。


わたしも、王国二大権門に次ぐ四家門、それに次ぐ九家といった有力貴族家のご当主やご令息方から、次々にダンスを申し込んでいただく。


が、わたしは既に婚約済み。


当然、お互いに恋愛目的ではない。



「我が領内の遊水地に、ペリカンが飛来しております」


「まあ。ペリカンは幸せを運ぶとか。今年は良い年になりそうですわね」



とか、



「戦争が終わり、領内で毎年、小さな氾濫を繰り返していた箇所の堤防建設に、ようやく着手できました」


「それは、ぜひ一度、視察に寄らせていただきますわね」



と、色気のない会話を交わす。


見れば、わたしのお相手は、カリスが取り仕切ってくれていた。


ソルダル大公家の侍女長様と相談しながら、大河流域に領地を持つ貴族家から優先して選んでくれている。


出来る侍女様っぷりをいかんなく発揮し、明日から始まる、わたしの大河伯としての実務に役立つ人選だ。


頭の中にある地図に、王国各地の最新情報を書き込んでいく。


煌めくシャンデリアの下、まだ見ぬ地への訪問にワクワクと胸を躍らせながら、ステップを踏む。


新しいお相手がわたしの手を取ってくれるたびに、エイナル様がピクリとされる。


エイナル様も当然、社交としてご令嬢やご夫人と踊られるけれど、その瞬間だけは優しげな視線をわたしに向けて、ピクリ。


本当は、わたしを独り占めしたい気持ちもおありなのだなと、じわり嬉しくなる。


カーナ様の踏まれるステップは流麗さに磨きがかかり、すでにデビュタントを終えているユッテ殿下のステップは快活で潔い。


ふだん控え目なリサ様のステップには艶があって、詩藻めいたものさえ感じられる。


内に養われる豊かな感受性があればこそ、リサ様のもとへと芸術家たちの足が向かうのだろうと感銘を受けた。


わたしのステップはどう見えているだろう? などと、考えを巡らせながら、初めてのダンスパーティに目を輝かせた。


休憩に、テラスに出る。


カリスがお水を持って来てくれて、のどを潤し、一緒に星空を見上げた。


星々が、すこし大きく見える。


わたしが、口元に手をあてたとき、母国の宰相閣下が歩み寄って来られた。



「正式なご成婚も待たず、大河伯にご就任とは……。さすが、テレシア殿のご息女と感服いたしました」



手すりに手をのせ、一緒に星空を眺めてくださる。


お母様と同い年の宰相閣下。懐かしげに、目をほそめられた。



「……テレシア殿が、王立学院に聴講生として現われてからの2年間。煌めくような奇跡の日々を忘れることはできません」


「リサ様のお父君も、母のことを〈鬼才〉と讃えてくださっていたとか……」


「ふっ。……鬼才という言葉でさえ、私にはテレシア殿を侮蔑して聞こえます」


「まあ……」


「敢えて、私が言葉にするなら神話級」


「……神話級」


「神話級の天才でした。あの2年間に起きたことを、いまの若い者に聞かせても、信じる者は誰もいないでしょう」


「それほど……」


「ご懐妊され……」



わたしだ。



「ご出産から復帰された暁には、次期宰相に内定していたのです」


「…………は?」


「ふふっ。弱冠19歳。無学な平民女性が、先代侯爵閣下の反対を押し切る大恋愛の末に侯爵令息の夫人となり、夫の深い愛情で聴講生となった。即座に才能が開花して、2年で次の宰相にと乞われる。……誰が信じます? こんな話」


「え、ええ……」


「……出産で体調を崩されたと聞いても、宮廷はテレシア殿の復帰を待ち続けました。急逝された3年前まで、わが国の宰相はすべて、内々には暫定宰相の扱い」


「暫定……」


「私が正式な宰相に任じられたのは、実に16年ぶりでした」



呆気にとられた。


お伽噺か。


王立学院創立以来の天才……、でさえ謙遜した言葉だったのか。



「テレシア殿が予定どおり宰相に就任されていたら、戦争は10年早く終り、6年前の大氾濫もなかったでしょう」


「そ……、そうですか」


「……貴族家の家政にあたることは、王家であろうとも踏み入れません。モンフォール侯爵の様子がおかしいと気が付いても、我らは手をこまねくしかなく……」



と、宰相閣下は、神経質そうな細面を、苦しそうに歪めた。



「お救いすることが、出来ませんでした」


「いえ……、お心だけでも」


「たとえ家格の釣り合わない辺境の子爵であっても、テレシア殿の忘れ形見を、モンフォール侯爵が解放するのであれば……、と、我らは見過ごすことにしました」


「……そうでしたか」


「故に確認が甘くなり、よもや大公家の世子であられたとは……、嬉しい誤算です」


「……嬉しい?」


「コルネリア殿の才を活かせる場に、連れ出してくださいました」


「はい……。エイナル様には、心から感謝しております」


「不甲斐なき我らですが、……なにか、お力になれることがあれば、ご遠慮なく」


「痛み入ります」


「……罪滅ぼしのようなものです。情けないことですが」


「いえ……。では、ひとつ」


「なんなりと」


「父は……、母を愛していたのですか?」


「ええ。それはもう、深く」


「間違いは……」


「ありません。当時の侯爵令息ディック・モンフォールは、テレシア殿を愛し、愛し抜いて結ばれたのです。それは、テレシア殿も同様。あのご美貌でしたが、ディック以外の男は眼中にありませんでした」


「……ありがとうございます。救われます」



最も大きかった心の重しが、とれた。


お母様の生き写しのようなわたしに、父の面影はない。


自分が、お母様の不義の子なのでは? という疑念は、ずっと、わたしを苦しめた。


でも、お母様には聞けずじまいだった。


これで、この疑念はもう閉じよう。


お母様には何の非もなかった。問題は父だけにあったのだ。



「テレシア殿のことを、どうしてもお伝えしたく……。クラウス・クロイ伯爵に頼み込んで押し掛けてしまいました。ご不快あれば、ご容赦くださいませ」


「不快など……。わたしの心が整いましたら、また、母の話をお聞かせください」


「ええ、喜んで」


「……6年前は、母と暮らした別邸も沈みました。どうぞ、水害への備えだけは怠りなく」


「お心遣い、胸に沁みます」



と、宰相閣下は、立ち去られた。



「……知ってた?」



と、カリスに尋ねると、首を横に振った。



「……私はネルと同い年だし、本邸ではテレシア様の話題はタブーだったし。執事長の祖父も、口が重かったわ」


「そっか……」


「でも……、ネルには不謹慎かもだけど、納得いったわ」


「なにが?」


「だって、書物もなしに口頭だけで授けられた学問がスラスラ出てきて、誤りもない。……神話級の天才なら納得だわ」


「ふふっ。お母様の話でしょ?」


「神話級の令嬢だったのね、ネル」


「ふざけてる?」


「尊敬してるのよ」


「もう……、カリスったら」



苦笑いして、手すりに肘を乗せた。


大広間から漏れる灯りに照らされ、葉の落ちた樹々から吹き出したばかりの小さな新芽が、わかい緑色に輝いていた。


枝々では、渡ってきたばかりで巣づくり前のツバメの大群が、翼を休めている。


わたしは目をほそめ、大広間に戻った。


最後に、エイナル様と心満たされるステップを踏んで、わたしのデビュタントは幕を閉じた。


華々しく煌びやかで、夢のような時間だった。いろんなことがあったけど、生涯、幸せな記憶として思い出せるだろう。


そして、翌朝。


突然のことながらと、エイナル様とソルダル大公ご夫妻に、わたしは結婚の延期を申し出た。


父のせいでも、フランシスカのせいでもない。もちろん、お母様のせいでもない。


エイナル様のせいでは断じてない。


王国に、危機が迫っていた。

本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


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