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3.冷遇令嬢は嬉しくてたまらない

国境を越えて最初の街で、短い時間だけど街あるきを許してもらった。



「あれは、なに!?」


「リンゴの砂糖漬けね」


「あれが、そうなのね……」


「ネル、食べたい?」



と、執事長がカリスに持たせてくれたお小遣いから、お菓子を買ってくれる。


素朴な甘さが口の中いっぱいに広がって、カリスと微笑みあう。


最初の宿で、カリスは一晩中、わたしと星空を見上げてくれた。



「……友情って、こうやって積み重ねるものなのかしら?」



と言うわたしに、カリスは優しく微笑んでくれた。


その微笑みは、涼やかな風を思わせるカリスの普段のクールな雰囲気とは違い、まるで氷が溶けて水になるように、私の心を解きほぐした。


なんだか全部が許されたような気にもなってしまう。


ただ、翌日は馬車の中で爆睡してしまい、たくさんの風景を見逃したことが、とても残念だったので、夜はちゃんと寝ることにした。


カリスと護衛の騎士と歩く〈エルヴェン〉という大河に面した街は賑やかだった。


魚屋さんには獲れたばかりの魚が並び、肉屋さん、八百屋さん、どれも実際に目にするのは初めて。


ショーウィンドウのドレスに目を奪われ、甘い綿あめを頬張った。


ところどころ焼け焦げた跡があるのは、戦争の爪痕だろう。


けれど、行き交う街の人たちに、不機嫌な人は見当たらない。みんな笑顔で活気に満ちている。


心地いい河風が頬を直に撫でて、ふと気が付く。



「……カリスが、王都で馬車のカーテンを閉めたのは、お父様の指図だったのね?」


「ええ。ネルは聡明ね」


「ちょ……、やめてよ。わたし、聡明なんかじゃないわよ?」



クズの父は、19年間、屋敷に隠し続けたわたしを、王都の人たちの目に触れさせないまま、敵国に厄介払いしてしまいたかったのだろう。


カリスは父の命令に忠実だったし、いまはわたしの問いに正直に答えてくれた。


わたしが微笑むと、カリスも茶目っ気たっぷりに微笑み返した。



  Ψ



馬車に戻ると、子爵家から追加の護衛騎士が到着していた。


重厚な銀色のプレートアーマーを身につけ、その肩には、鮮やかな青と白の縞模様のマントが翻っている。


厳かな表情をつくり、着任の拝礼を受ける。



「お役目、ご苦労。子爵家領までの道中、よしなに頼みます」



王都を発つ時は窓の外で、父が受けていた儀礼。


私も同じようにやってみるけれど、中身はただの軟禁令嬢。ちゃんと〈主君ヅラ〉できているか、内心はドキドキものだ。



「立派だったわよ?」


「そう? カリスから見て、変じゃなかった?」


「そうねぇ……。もう少し、偉そうでも良かったかも?」


「ええ~っ!? ……できないよぉ」


「ふふっ。少しずつ覚えていけばいいわ」



と、馬車に戻って、カリスと反省会。


わたしが初めて街あるきした、〈エルヴェン〉の市街地が、遠くなってゆく。


追加の騎士たちの兜には、壮麗な装飾が施されていて、頬当てに刻まれているのはリレダル王国の建国神話だろう。


その精巧さは、彼らが単なる護衛ではなく、より高位の騎士であることを示している。いよいよ〈異国の地〉に入ったのだと実感できた。


騎士たちは、わたしと目を合わせない。


合っても、すぐに逸らす。


敵国に人質として送られるとは、そういうことだ。


子爵夫人として社交の場に出ることがあっても、そういう視線に囲まれる。


待っているのは、きっと監視付きの生活。


でも、領内をお散歩くらいはさせてくれるかしら?



  Ψ



窓から見える景色が寂しくなってゆく。


グレンスボー子爵領は北方の辺地。馬車が進むごとに、秋から冬へと季節が移る。


だけど、その風景も、わたしの目には新鮮に映る。


壁も建物もなく、はるか遠くまで見渡せるというだけで、わたしの心が躍る。


山を越えると、ちいさな街が見えた。


追加で派遣された護衛騎士たちが騎馬の速度を上げ、隊列から離れてゆく。



「先触れね」



と、カリスが言った。


ついに、グレンスボー子爵領に到着したのだ。


わたしは、深々とカリスに頭を下げた。



「ありがとう、カリス。おかげで、とても楽しい旅を満喫できたわ。……友だちになれだなんて無茶にも付き合ってくれて、本当に感謝しています」


「……えっと」


「なに?」


「ネル……。私が帰ると思ってる?」


「……えっ?」


「ふふっ。……これからも一緒ですわ。ずっと一緒。私のご主君、コルネリア様」



息を呑んだ。


てっきり、わたしを送り届けたら、カリスは帰国してしまうものだとばかり思い込んでいた。



「ほ……、ほんとう?」


「ええ。ほんとうですわ。……もっとも、コルネリア様が私をクビになさるのなら、仕方ないので国に戻りますが……」


「し、しないわよ! ……絶対、しない」


「ふふっ。光栄ですわ」


「……と、友だちは、……有効で」


「あら?」


「友だちで、いてほしい……、です」


「分かったわ、ネル。……でも、ふたりだけの内緒よ? 誰かに見られたら、変に思われちゃうわ」


「分かった! 絶対、秘密にするから、お友だちでいてね?」


「ええ。ネルの最初の友だちになれて、こんなに嬉しいことはないわ」


「……ほんとうに、嬉しい?」


「ええ、もちろん、嬉しいわ。ありがとう、ネル。私の友だちになってくれて。これからも、よろしくね」



カリスが、わたしの欲しい言葉を選んでくれていることは、薄々分かる。


出来る侍女として、主君のために〈仕事〉をまっとうしているだけかもしれない。


けれど、嬉しくてたまらなかった。


敵国との政略結婚。事実上の人質生活。


きっと過酷なその生活を、侍女として支え、友だちとして分かち合うと言ってくれたのだ。


外を護衛騎士たちが並走していなかったら、抱き付いて頬ずりしてた。


そして、馬車が止まる。


赤い絨毯が伸びていき、扉が開く。


北方の冷たい風が、わたしの頬を撃った。


黄土色の石が積み重ねられた武骨な城塞。リレダル王国の紋章が描かれた旗と交互に並ぶのは、グレンスボー子爵家の紋章旗だろう。


儀礼用の鎧に身を包んだ騎士たちが整列して、わたしを出迎える。


重厚な鎧は、陽光を反射して鈍く光り、その威容は、これから始まる人質生活への不安を掻き立てる。


高らかにトランペットの音色が鳴り響くなか、静かに歩んで行く先に、わたしの夫となるグレンスボー子爵が立っていた。



「〈あたり〉じゃない!?」



と、カリスが後ろから、不敬なことを囁いた。


けれど、わたしも同感だ。


絹のように滑らかな金髪は、まるで太陽の光をそのまま閉じ込めたかのよう。


端正な顔立ちからは、凛とした印象を与えられながらも、深いエメラルドグリーンの瞳には思慮深さがにじんでいる。


長身で、肩幅は広く、胸板も厚そうだけど、その体躯は無駄な筋肉を感じさせず、スマートで洗練された印象を受ける。


なにより、グレンスボー子爵が浮かべる表情は友好的で、まるで長年の友人を出迎えてくれるかのような笑顔だった。



「ようこそ、グレンスボーへ。子爵、エイナル・グリフです」


「盛大なるお出迎えに感謝いたします。バーテルランド王国、モンフォール侯爵が長女、コルネリアにございます」



こんな美男子を旦那様にできるのなら、監視付きの人質生活でも、まあ、いいか。


と、思ってしまう美形の子爵が、わたしを隣にエスコートしてくれた。


騎士たちが、歓迎の儀仗を捧げてくれ、わたしのグレンスボー生活が幕を開けた。


けれど、わたしは慎重にふる舞わなくてはいけない。



――貴族女性でいたいなら、バカでいる方がいい。



お母様の遺言を胸に刻み、これから受ける〈夫人教育〉でも、賢ぶったところを欠片も見せてはいけない。


リレダル王国の建国神話など、知っていても初めて聞くフリをしないといけない。



――さすが、旦那様は物知りでいらっしゃいますわね。



と、わたしは微笑み、驚いて見せなくてはならないのだ。


でないと、また軟禁されてしまう。


そして、今のわたしは、ひとりではない。


カリスも一緒だ。カリスまで軟禁されては、申し訳なさすぎる。


わたしの政略結婚相手。美形の婚約者エイナル様に、慎ましい微笑みを向けた。


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