表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

263/266

262.冷遇令嬢は気まぐれを起こす

砂の採取作業をしていた中年女性を、川辺から離れた広場に誘う。


わたしがテンゲルの女王と知って恐縮する女性に、



「ふだんの姿を見せてほしいのです」



と、微笑みかけ、一緒に焚火にあたる。


冬の気配が近付く中、小川に入って作業していたのだ。女性は冷えた指先をこすり合わせながら火にかざす。



――大国女王の酔狂。



くらいに思ってもらったので、いまはちょうどいい。


砂を採取していたのは、小川の流れが大きく湾曲している箇所。カーブの内側では流れが緩やかになって、鉛成分を含む通常より重い砂が堆積するのは理に叶っている。


つまり、砂は上流から流れてきている。


砂が採れなくなってきた頃から、水の流量が減ってきたことはすでに聞いた。



「……もしかすると、その頃から水の透明度が上がっていたりしませんか?」


「あぁ……、言われてみれば、そうかもしれません……。前はもう少し濁っていたような……」



確信を深め、焚火から離れてスクロ子爵に小声で相談する。



「見たところ、この小川の源流はあちらの山にあるように思えますが、……水源地の調査などは?」


「あ、いえ。そこまでは……。手つかずの森になっているのですが、形の悪い松が生えるばかりで、なんの利益にもならないものですから」



冬が近いのに緑が濃いのは、常緑樹の松林が広がっているせいかと、目をほそめて見詰める。



「……恥ずかしながら」


「ええ……」


「近頃は、砂の枯渇で収入の減った領民が、麓のあたりの松から松脂を採っては、稼ぎの足しにしておるようです……」


「そうでしたか……」


「あの……、なにか問題が?」


「あ、いえ。……松脂を採ること自体に問題はございませんわ」



エイナル様とルイーセさんに目で合図して、スクロ子爵をそっと囲んでもらう。


ナタリアにも視線を送って、同行しているイローナとべテル王子を離してもらう。


ペテル王子はともかく、イローナが騒ぎ出しそうな話をしなくてはならない。



「あ、あの……、なにか粗相が……」


「いえ、落ち着いて聞いてほしいのですが、驚いても声をあげないように」


「は、ははっ……」


「……ほぼ間違いなく、水源地近くで大規模な崩落が起きています」


「え……」


「そして、崩落した土砂が〈天然ダム〉となって水を堰き止めているはずです」



比重の重い鉛入りの砂は、上流の天然ダムの底に沈殿してしまい、下流まで流れてこなくなったと考えるのが自然だ。


流量が減ったこと。そして、水がキレイになったのは、天然ダムが自然のフィルターとして作用している可能性が高い。


驚きを漏らさないよう、口元にギュッと力を込めるスクロ子爵の瞳を見詰めた。



「……崩落、そして天然ダムの形成が起きたのは、恐らく、砂の採取量が減り始めた数年前です」



スクロ子爵は硬い表情で頷いた。すでにその危険性を理解している表情だった。



「天然ダムが決壊すれば、この湾曲している地点まで鉄砲水が押し寄せます」


「はい……」


「……この数年、天然ダムは持ちこたえている訳ですが、それは、今日の安全、明日の安全を約束してくれません」



こうしている間にも決壊するかもしれないし、さらに数年、持ちこたえるかもしれない。


ただ、この「斜陽」の街は、民情が決して良くはない。


突然に鉄砲水の可能性を知らせたら、パニックが起き、ひどければ暴動にまでつながる恐れがあった。



「……わたしが、気まぐれを起こしたことにしてください」


「えっ?」


「わたしは清流が気に入り、水質調査を大々的に行いたくなったのです。スクロ子爵は『ワガママ女王には困ったものだ』と、困り顔で領民、とくに漁師や採取作業に携わる方々を川から遠ざけてください」


「そ、それではコルネリア陛下が……」


「よいのです。……緊急性が判然としない中、とりあえず川から離れていただければ。その間に、わたしが山に入り調査いたします」



すでに、天然ダムを除去するための技師の派遣は、大河院に要請した。


ポトビニスの土壌環境と松の原生林が広がるという山の特性から、高度に専門的な技術が必要になるはずだ。


わたしが山に入ろうとしているのは、現状の危険度を測り、住民避難に関する政治判断の材料を得たいがため。


恐らく、危険は鉄砲水だけではない。


だけど、そこまでスクロ子爵に知らせたら、今度はスクロ子爵までパニックになりかねない。


さしあたっては、わたしが戻るまでの間だけ、川から人を遠ざけてくれたのでいい。



「か、かしこまりました……」



青ざめた表情のスクロ子爵に、ナタリアからおカネを渡してもらう。



「こ、これは……?」


「ふふっ。ワガママ女王としましては、気まぐれを聞いてくれた民を殊勝に思い、今晩の酒代くらいはお支払しておかないと」


「な、なんというお気遣い……」



恐縮するスクロ子爵を見送り、わたしはヨジェフ陛下に早馬を飛ばす。


子爵領とはいえ、山への立ち入り調査を行うなら国王の許可を得ておくべきだ。勝手に行えば「侵攻のための地形調査」と疑われても仕方がない。


それと、今日の〈晩餐前のお茶会〉を取りやめにする旨、お招きしていた諸侯にお詫びする親書も早馬に持たせた。


さすがに、山に登って降りて、対処を決めてとしていると、間に合いそうにない。


焚火のそばに戻り、女性にもわずかばかりの『褒美』を下賜した。



「よい話を聞かせてくれましたから」



と、わたしが微笑むと、女性は嬉しそうにおカネを入れた小袋を抱き締めた。


よほど生活が苦しいのだろうと、胸が痛み、そっと手を握り締めた。



「あ、あの……?」


「ふふっ。……手にしびれなどは?」


「え? ……いや、そんなことは」


「頭痛や、貧血は?」


「そ、それもございませんが……。健康だけが取り柄でして……」


「そうですか。お身体を大切にしてくださいね」



川砂の採取は重労働だ。女性を労わり、家路を急ぐ背中を見送った。


やがて、スクロ子爵が戻り、漁師やその他住民たちを小川から遠ざけたとご報告いただく。


そして、一緒に焚火を囲んで、ヨジェフ陛下からの返書を待つ。



「……私は、ブラスタの在地貴族から養子に入ったのです」


「ええ、おうかがいしておりますわ」


「在地貴族の三男に生まれ、小国ポトビニスの諸侯とはいえ、爵位持ちになれるのだと、喜び勇んだものです……」



外交記録の閲覧で、ポトビニスの婚姻政策の実態を知り、唸らされた。


ポトビニス諸侯のご令嬢を、ブラスタかクランタスの在地貴族に嫁がせる例が頻繁に登場していたのだ。


在地貴族側は、小国と侮るポトビニスの諸侯の子女とはいえ、大いに喜ぶ。


また逆に養子に迎える例もあった。


在地貴族とは諸侯に仕える、爵位を持たない貴族階級の総称。多くは土豪や地主、土地の名士といった家柄にあたる。


諸侯と民の、いわば中間に位置する。


つまり、ポトビニスは自国を威迫する両大国の中間層に、広大な情報ネットワークを張り巡らせることに成功していたのだ。


さらに、この策が極めて有効であると唸らされたのは、いわゆる『政略結婚』ではないというところだ。



「……ブラスタに留学していた妻と知り合い、時間をかけて関係を深め、お互いの気持ちをしっかり確認し合ったのち、婿入りを決めました」



と、スクロ子爵は若き日を懐かしむような仕草で頭に手をやり、白髪を撫でた。



「ポトビニスとブラスタの間では、極めて厳しい局面が何度も訪れます。……損得だけのつながりでは、とても耐えられないのです」


「ええ……、お察しいたしますわ」


「愛……、などと言う歳ではなくなってしまいましたが、妻との絆があればこそ、これまでスクロ子爵領の君主を務めてこられたつもりでおったのですが……」



ポトビニス諸侯の子女はブラスタかクランタスに留学し、本当に愛せる相手を在地貴族から探すのだ。


見付からなければ、そのまま帰国し、ポトビニス国内で縁談を求める。



――愛情と信頼でつながらなければ、意味がない。



ということに対して、極めてドライ。


もっともツラい時期でも愛し合えるか、信頼し合い、力を合わせられる相手であるかが結婚相手を決める基準になっている。


小国が生き残るためのドライな打算で導き出した答えが、



――最後に信じられるのは、愛。



であるということには、大いに考えさせられる。


外交巧者と呼ばれ、詐術も裏切りも虚言も使うポトビニスの存立を支えていたのが、実は〈愛情のネットワーク〉だったという実相には、胸を打たれるものがあった。



「ですが、コルネリア陛下にこうしてご教示いただくまで、領内にある水源地の調査すら行っていなかった私は、君主の務めを果たせていたのかどうか……」


「……これからですわ。これから、一緒に頑張りましょう」


「コルネリア陛下……」


「ふふっ、わたしたち同じ〈大河の民〉ではありませんか。力を合わせ、助け合ってまいりましょう。ねえ、エイナル様?」


「うん、そうだね。……ボクの出自リレダルも、コルネリアの才に王国全体が救われました。エルヴェンでは堤防の欠陥を見付けてもらい、豪雨災害時は洪水を防いでくれました」



と、エイナル様はやわらかにスクロ子爵に微笑みかけてくださった。


だけど、スクロ子爵は険しいシワを眉間に刻み、視線を足元の焚火に向けた。



「……テンゲル王家とポトビニス王家と肩をならべる、合同商会へのお誘いはとても光栄なことながら……」


「ええ……」


「その出資金すら用意できないのが、いまのスクロ子爵家の実態にございます」


「そのことでしたら、きっと、あの山が解決してくれますわ」



つとめて明るく軽い調子の声を出したわたしに、スクロ子爵が虚を突かれたように、力の抜けた視線を向ける。



「山……」


「わたしが〈お宝〉を掘り当ててきますので、わたしに売ってくださいませね?」


「お宝とは……」


「ふふっ。外れたら恥ずかしいので、まだ内緒ですわ」



わたしが悪戯っぽく笑い、指を口元に立てると、スクロ子爵は乾いた笑いを漏らし、そして頬を緩めてくれた。



「はは……、それは、楽しみです」



そして、ヨジェフ陛下からの返書が早馬で届いた。


ご用事で同行できなかったことを丁重に詫びていただいた上で、



――大河委員会議長にして清流院総裁たるコルネリア陛下から直々に、わが国の水脈調査をしていただける。光栄の限りです。



と、あたたかい文面が綴られていた。


近くの小屋を借り、ナタリアに動きやすい鍛錬用のお衣裳に着替えさせてもらう。



「……厚手の亜麻布ってあるかしら?」


「ええ、何枚か。……登山はウルスラたちが幽閉されていた〈聖域〉に赴かれて以来ですわね」


「ふふっ、そうなのよ。鍛錬の成果をエイナル様にお見せできるかしら?」



水源地の調査には、エイナル様とルイーセさんと3人で向かう。


馬を飛ばしていただきたい機動性と、万一だけど天然ダムの決壊が起きてしまった場合に、大人数での移動はかえって危険。


それに、日が暮れるまでに下山しないと、遭難の恐れもある。


その点、このおふたりなら安心だ。


エイナル様の馬の前に乗せていただき、松林の山を目指して最速で駆けた。



本日の更新は以上になります。

お読みくださりありがとうございました!


もし気に入っていただけたり、おもしろいと思っていただけたなら、

ブクマや下の☆☆☆☆☆で評価していただけるととても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ