259.冷遇令嬢の魔法のような話
地下書庫のお隣のお部屋でお寛ぎの、ヨジェフ陛下に声をかけさせていただく。
黄緑色をしたカウチソファに寝そべり、なにやら読み物を読んでおられた。
ほんとうに〈隠れ処〉なのね……、と、微笑ましい光景に思わず目をほそめる。
「おや、ご休憩ですか?」
「え、ええ……、よろしければ、すこしお話をと思いまして」
座り直されたヨジェフ陛下から、向かいのソファを勧めていただく。
「そろそろ、私とポトビニスのことを、おキライになられましたかな?」
「え? ……ど、どうしてですか?」
「ふふっ、よくないことも、たくさん記録に残されているでしょう?」
「あ、ええ……。いえ、強かな生き残り策に感銘を受けております」
「コルネリア陛下から、そう仰っていただけるなら、墓園で眠る歴代国王も報われるというものです」
と、ヨジェフ陛下は立ち上がられ、手ずからに冷水を汲んでくださった。
御自ら毒見をしてくださり、わたしの前に美しいガラス製のグラスを置かれた。
ちいさな天窓から差し込む陽光を受け、キラキラと虹色に輝くグラス。意匠も繊細にして精緻。
飲み物を入れる器というよりは、液体の形をした宝石のように煌めく。
指先に触れる彫り込みのエッジは鋭く、のぞき込むと向こう側の景色が万華鏡のように分断されて見えた。
「……ほんとうに素敵ですわね。ポトビニスのガラス製品」
「ええ、ですが、まもなく終りを迎えようとしています」
と、ヨジェフ陛下がグラスの足元を、ツと指で撫でられた。
「もともと、細々と続いてきたものなのです。……私の代で終わらぬよう、原料を節約して使わせているのですが……」
「あの、そのことなのですけど……」
「ええ」
「……レジュカ陛下のご両親に、ほんの少しだけ分けていただきましたの……」
「そうですか。……レジュカの両親には王宮に移るよう勧めているのですが、向いてないからと、一向に首を縦には振ってくれず……」
「あの……、つくれそうです」
「ふふっ。さすがはコルネリア陛下。工房を訪ねただけで、もうガラス製品づくりを……」
「砂です。原料の砂……」
「……ん?」
「人工的に、つくれそうです」
ヨジェフ陛下は、紺藍の瞳を大きく見開かれ、わたしをまじまじと見詰めた。
ここは他国だ。
いくら、素晴らしいアイデアでも勝手にやってしまう訳にはいかない。
昨晩。晩餐のあと、レジュカ陛下のご両親からいただいてきた砂の分析も、わたしの私室で密かに行った。
「ええ~っ!? これ、なにぃ? コルネリア陛下ぁ!?」
せっかくなので呼んだイローナが、テーブルの上に置いた紙片をジッと見詰める。
お隣のペテル王子は、大人しく、なんなら『清楚』に腰掛けているというのに、まったく、騒がしい伯爵令嬢だ。
だけど、わたしには数少ない関係の良好な『親戚』でもある。可愛らしく思ってしまう気持ちが勝る。
「ふふっ。うまくいったら、手品みたいに色が変わるのよ?」
「へぇ~!? はやく見たい~!」
「もうちょっと待ってね。いま、ナタリアが準備してくれてるから」
「え!? ……ナタリア様もくるの?」
大ファンのナタリアの前では、お淑やかにふる舞いたいらしいイローナが、きちんとソファに座り直す。
――わたし……、女王なんだけど?
と、苦笑いするのも、大人げないというものだろう。
市井に育ったとはいえ、前王弟の庶子という立場にありながら、ずいぶん天真爛漫に育ったものだ。
一度、イローナのお母上にもお会いしてみたい。
前王弟はテンゲル動乱によって、事実上、失脚した。伯爵に叙爵したとはいえ、王子位は剥奪、王家の籍からも抹消した。
それに、正妃が激怒した。
「お前が、あの小娘に水軍の軍権を渡したりするからだ!」
と、前王弟を詰り、実家の侯爵家に戻る。
形式上、離縁こそしていないらしいけど、別居状態となった。
ちなみに〈小娘〉とは、わたしだ。
正妃は相当に性格のキツい方であられるようで、わたしはまだ会ったことがない。
そこで、前王弟は存在を隠してきたイローナのお母上を正式に側室に迎え、イローナと共に居城に呼び寄せた。
突然現れた異母妹が可愛くて仕方がないといった風情のアティラ伯爵の様子からも、正妃の性格の激しさが窺われる。
実母である正妃の激しさゆえに、イローナたちに身を潜ませてしまったと思っているのかもしれない。
イローナは、前王弟が父であるとは知っていたけど、まさか、そんなに偉い人だとは思っていなかったらしい。
「……お姫様になるなんて、どうしたらいいか分からなくて……。カアちゃ……お母様が、お父様と一緒にいられるのは、嬉しいんだけど……」
ときどき、夜にだけ、こっそりやってくる父親とお母上は、とても仲睦まじかったらしい。
ただ、子ども心にも、その愛を公にはできないことにもどかしさを感じていた。
その悩みが解消すると同時に、自分も伯爵令嬢になってしまった。
どうにかお手本を探すうちに見付けたのが、ナタリアだったのだ。
その憧れの伯爵令嬢にして女王侍女、ナタリアが、水差しとボウルを持って、部屋に入ってきた。
「ナタリア様ぁ……」
と、イローナはソファに腰かけたまま、上半身を左右に振っている。
となりのペテル王子に当たる勢いだ。
「あら、イローナ様。ペテル王子も」
「ふふっ。わたしが呼んだの」
「そうでしたか。……いい、お勉強になりますわね」
「ええ~っ!? お勉強なのぉ……?」
「どうかなぁ~?」
と、イローナの顔をのぞきこんでご機嫌を取ってみるのだけど、尖らせた口をわたしに向けてくる。
そんな顔をしなければ、イローナも充分に美少女だというのに残念なことだ。
まず、なにより頭がちいさい。びっくりするほどちいさい。
そのせいもあってか、瞳がすごく大きく見える。実際に大きいのだけど、さらに大きいような気がする。
生クリームのように白い肌はスベスベのツルツルで、上気すると頬の上側だけを、赤というよりはオレンジ色に染めるところは、わたしに似ている。
ずいぶん遠いけど、血縁があるせいだろうか?
そして、黒茶色の髪は、毛先がクルンと巻いているところが、とても可愛らしい。
すまして座っていれば、お隣の透明感あふれるペテル王子と、美少女ふたりで充分通るのにもったいないことだ。
苦笑いしながら、ナタリアから受け取った水差しの水を、テーブルの上の紙片に沁み込ませる。
「ええ~っ!? 濡らしちゃうの!?」
「そうなのよ」
すこし意地悪な笑みをつくって、イローナの顔をチラッと見る。
「やぶけちゃうんだよ? ……コルネリア陛下でも知らないことがあるの?」
「ふふっ。じゃあ、やぶれる前に済ませないとね」
そして、ボウルの中身をふたりに見せる。
「なに? ……砂?」
「あ、触っちゃダメよ。せっかく、ナタリアに洗ってもらったんだから」
と、スプーンで少量の砂をすくいとる。
わずかに通常の砂より重く、かすかに銀色に光っている。
ポトビニスを流れる大河の支流の、ある特定の場所だけで産出される、ガラスの原料になる砂だ。
「銀色だね……。ね、……ペテル王子」
イローナが話しかけると、ペテル王子はコクッとちいさく頷いた。
出会った最初こそ、臆することなく手を握ったりしていたイローナだけど、毎日一緒にお勉強するうちに、自分の目の前にいるのが人知を超えたレベルの美少年王子であることに気が付いたらしい。
「最近、どうも意識してしまうようで、どこかよそよそしいんですよ」
と、ナタリアが、ニマリと笑っていた。
さすが、わたしの〈恋のナタリア先生〉。恋心の芽生えに敏感だ。
そして、砂を濡れた紙片の上に落とし、スプーンでギュッと押さえつける。
「うわっ……、白い紙と銀の砂なのに……、黒くなってきた」
「ねえ。不思議でしょう?」
「うん……」
と、イローナはジッと紙片を見詰める。
紙片は、かつて〈真正緋布〉と〈茜緋布〉を見分けるために開発した『鑑定紙』だ。
アルカリ溶液をコショルー産の繊維の荒い紙に染み込ませてあり、緋布以外の鑑定に応用することも出来る。
毒見の前の簡易スクリーニングにも重宝していて、いつも持ち歩いているのだ。
――へぇ~っ!
鑑定紙の不思議に、ノエミとウルスラの姉妹が驚きの声をあげてくれていたことが、昨日のことのように思い出される。
そして、ジッと興味深そうに観察するイローナの様子に、
――いずれ、学問にも本腰が入りそうね……。
と、目をほそめた。
わたしも黒く染まる鑑定紙に目を落とす。
「……やっぱり鉛が含まれていたのね」
鑑定紙には、木灰から作った灰汁をアルカリ溶液として使用していて、不純物として硫黄が残る。
その硫黄が鉛と反応して、黒色の硫化鉛が生成されたのだ。
カウチソファから身を乗り出されたヨジェフ陛下が呟かれた。
「鉛……」
「ええ。鉛ガラスは、いわゆるクリスタルガラス。……ポトビニスの砂は、天然で絶妙な配合比になっていたのでしょう」
「そ、それで……、コルネリア陛下。人工的につくるとは?」
「答えはシンプルです。どこにでもある河砂に鉛の粉末を添加して、『ガラス屋の石鹸』とも呼ばれる木炭も混ぜて、あとは今まで通りで大丈夫なのではないかと」
配合比は難しいところだ。
だけど、わたしがあれこれ悩んだり、試してみたりするより、熟練の職人さんたちにお任せした方がいいだろう。
ぺちっと、ヨジェフ陛下が額を打たれた。
「……ただの砂を宝石にする、魔法のような話ですな」
「ふふっ。ほんとうに」
この件は、エイナル様ともよく相談した。
なにより、ガラス産業にまつわるポトビニス王国内の、利権構造を把握している訳ではない。
細々と続くとは聞いているけど、ガラス製造を主要産業とする諸侯領があるかもしれない。
そのあたりの調整は、わたしでは不可能だ。いや、やってはいけないことだ。
幸い、わたしにはヨジェフ陛下と内密にお話できる機会にはこと欠かない。
「なるほど……、それはお気遣いを」
「いえ、ポトビニスはヨジェフ陛下の国です。当然のことですわ」
「……コルネリアの通ったあとは栄える」
「え?」
「ふふっ。もはや格言ですな」
あらたなガラス製品づくりについて、ヨジェフ陛下と入念に打ち合せる。
「問題は、誰がこの製法を見付けたことにするか……、ですな」
ヨジェフ陛下が、久しぶりに見せてくださる鋭い視線でわたしを見詰め、薄いブラウンの眉を寄せて、ニヤリと笑われた。
本日の更新は以上になります。
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