26.冷遇令嬢の慌ただしい日々
王都の豪壮な邸宅に馬車が入る。
ソルダル大公グリフ家の権勢をそのまま形にしたような、堀に囲まれた赤壁の、城塞のようなお屋敷。
中庭に入っても馬車で進む広大さに、ただ圧倒される。
家が建つのではという広さの噴水を見上げ、中央に立つ女神像の迫力に見入る。
王宮に勝るとも劣らない、ただ高さだけは譲ってみましたけど? とでも言わんばかりの壮大さ。
――え? わたし……、この家の奥さんになるんですか……?
と、開いた口を、扇で隠す。
しかも、ソルダル大公閣下ご夫妻は、わたしのためにエントランスで出迎えてくださっていて、恐縮してしまう。
微笑むエイナル様に手をとっていただき、馬車から降りる。
ソルダル大公閣下は、エイナル様によく似た金髪を短く切りそろえられ、ややブラウンがかかった口髭を伸ばされている。
エイナル様よりも精悍な印象で、すこし垂れた目には優しげな光を宿され、わたしの来訪を歓迎してくださっていた。
「は、初めまして……。バーテルランド王国、モンフォール侯爵家が長女、コルネリアにございます。……お、お目にかかれて光栄です」
と、エイナル様に手をとってもらったまま、カーテシーの礼でご挨拶する。
御母君である大公夫人が、朗らかに微笑んでくださった。
「ほんとうに、お綺麗な方ね。エイナルをよろしくね、コルネリア様」
「ど……、どうぞ、呼び捨てにしてくださいませ。既に夫人教育は終えております」
「ふふっ。では、コルネリア。私のことも義母と呼んでくださいね」
「はい。……お義母様」
大公夫人は、シルバーアッシュな銀髪に、ながいまつ毛が印象的で、ライラックのような淡い紫色をした瞳。
鼻根の高い、通った鼻筋が、理知的な雰囲気を醸されている。
並ばれるご夫妻には、実に威厳と気品が満ち溢れていて、王族であるかのよう。
そのまま、歓迎の午餐会を開いていただいたのだけど、おふたりが示してくださる優しさと親愛の情に、どこか不自然なものを感じとってしまう。
過剰……、というか。
「現任の大河伯だが、実は病を得ておる」
と、大公閣下が仰られた。
「まあ……、そうでしたの」
「6年前の大氾濫を防げなかったことを気に病んでのことだとは思うが……、後任がなかなか決まらず、困っておったのだよ」
語り口は穏やかで、わたしに向けてくださる視線も柔らかい。
お隣に座る大公夫人も、嫋やかに微笑まれながら白ワインをお召しになられる。
つい遠慮がちに口を開いた。
「大河院には、学識豊かな博士様がそろっておりますのに……」
「さすが、老博士が見抜いた才媛。いいところに気が付く」
「お、恐れ入ります」
「博士たちは出不精だ。研究室で自分の研究に没頭したい。研究分野も専門に偏る。それでは、大河伯は務まらぬのだ」
「ああ……、そういう理由でしたか」
「どこにでも、どこまでも〈お出かけ〉したい、コルネリア殿だからこそ、老博士が強く推薦してくださったんだよ?」
と、エイナル様が微笑んでくださった。
学識は必要だけど、現場に出かけて自分の目で確かめ、ときには工事の指揮も執る。
大河伯とは、そういうお役目だと教えていただく。
いまの大河伯様も現場監督のご出身で、年齢がいってから、改めて学識を深められたことで抜擢されたのだという。
「コルネリアが申し出てくれた通り、下流域にあたるバーテルランド王国と水防に関する協議も始めたぞ?」
「ありがとうございます」
「わが国の水防で、バーテルランドを水に沈めては、まさに和平に水を差すからな」
「恐れ入ります」
「ま。コルネリアに引き継げて、ご老も、ひと安心というところだろう」
と、大公閣下ご自身も安堵されたような、穏やかな笑みを漏らされた。
現大河伯様の任期中、ほとんどが戦時下にあって、ひとかたならぬご苦労をされてきたそうだ。
肩の荷を降ろしていただける役に立ったのなら、わたしも嬉しい。
「ふふっ。だが、急に気が抜けたら、そのまま逝ってしまうのではないかと案じた老博士が、王立学院の教職をあてがったという訳だ」
「ご友情ですわね」
「まあ、ご老も、まずは療養生活……、であろうが、次の職が決まっておれば、気が抜けることもあるまい! ははははっ」
と、大公閣下が、ワインをあおられた。
不自然さの正体に、気が付いた。
大公閣下が、一瞬、言葉を詰まらせた〈療養生活〉という言葉。
大公夫人も、眉をピクリと動かされた。
『ずっと、お屋敷で〈療養〉されてお育ちになられたのですものね……』
と、リサ様は仰られた。
それが、母国でのわたしへの理解だった。
大公閣下ご夫妻は、すでにご存知なのだ。
わたしの生い立ちを。
なのに、大公ご夫妻は、わたしをソルダル大公グリフ家の世子、エイナル様の夫人に迎え入れようとしてくださっている。
身上書に偽りを書いた、父の所業を不問にしても。
それが、和平のためなのか、大河伯のためなのか、本当のところは分からない。
ただ、
「素敵な娘ができて、本当に嬉しく思っているのよ?」
と、微笑み合われるおふたりから、計算も策略も感じらない。
おふたりの瞳には、わたしへの親愛の情と敬意しか映らない。
――甘えて……、いいのだろうか。
と、思った、そのとき、
「なんでも、甘えてちょうだいね」
と、大公夫人が淡い紫の瞳をほそめられ、ギョッとした。
「あ、えっと……」
「義母ですもの。娘のことは、なんでも分かりますわよ?」
と、エイナル様によく似た、優しげな微笑みを向けてくださる。
「はい……。お、お義母様……」
「なにもかも、悪いようにはいたしません。なにもかもです。それは、エイナルのためでもあります」
「……エイナル様の?」
「はい。そうですよ。もう……」
と、大公夫人が、ポッと頬を薄紅色に染められた。
「……親に、あんな恋文のような惚気を書き送るものではありませんわ」
大公閣下も、気まずそうにお顔を斜め上に背けてしまわれる。
――実家にも、か……。
と、エイナル様の顔をチラッと見たら、堂々と胸を張っておられた。
「父上と母上に、ボクの本当の気持ちを伝えて、なんの障りがありましたか?」
「あう……」
と、わたしと大公夫妻、3人同時に絶句して、後ろに控えるカリスが、プルプル震えていた。
理由は分からないけど、……幸せだ。
Ψ
慌ただしい日々が始まった。
国王陛下が主催してくださる、わたしのデビュタントの日取りは決まっている。
それまでに、大河伯の引き継ぎを終えてしまいたい。
運河の舟に乗せてもらったり、王都見物に街あるきをしたりしながら、毎日、王宮の大河院に通う。
国王陛下と王妃陛下にも謁見が叶い、
「大河伯の重責。よろしく頼む」
「噂に違わぬ美人ね。ほんと、エイナルは幸せ者ね」
と、ありがたいお言葉を賜った。
フェルディナン殿下は、カーナ様をお迎えにブロムに向かわれたそうで、わたしのデビュタントで、おふたりの婚約が正式にお披露目される。
お茶に誘ってくださった、ユッテ殿下が笑われた。
「エイナルにフラれたカーナと、コルネリアにフラれた兄上で、コルネリアのデビュタントを盛り上げようというのだ」
「は、はは……」
「諧謔好きの兄上らしい趣向だ。気にせず受け取ってやれ」
「あ、あはははは……」
笑うしかないという体験を、初めてした。
慌ただしい日々を縫って、ユッテ殿下たってのお計らいで、王立学院で講演をすることになった。
「こ、講演って……」
「まあ……、若いご令嬢方には、先に顔を見せておく方がいいだろ」
「……え?」
「エイナルは人気者だからな」
「あ……、ああ……」
「先にハンカチを噛む機会をつくっておいてやれ。それで、デビュタントでは心から祝福できるというものだ」
ということで、母国では通うことも、足を踏み入れることも出来なかった王立学院で、演壇に立った。
演題は、柔らかく『渡り鳥の生態』。
ツバメやカッコウ、ペリカン、ヨタカなどのお話をさせてもらった。
別邸の、高い壁に囲まれた狭い空で、飛んでいく姿をお母様と見上げていた。
ちょうど、夏鳥が王都に姿を見せ始めている。身近な話題なら興味を持ってもらいやすいかな? と、選んだ。
講堂から控室に戻ると、水をさし出すカリスが、珍しくニタニタ笑っていた。
「ご令息もご令嬢も、教授方も、ポオッとネルに見惚れてたわよ?」
「ええ~っ!? ……話は、聞いてくれてなかったってこと?」
「さあ、どうだろうね?」
「せっかく、頑張って準備したのになぁ……」
「ファンクラブが出来るんじゃない?」
「え~? まもなく、人妻なのに?」
と、カリスと笑い合った。
そして、ポカポカ陽気に包まれた、晴れ渡った空の、天気の良い日。
季節外れの春の花がフライングで咲いているのは、わたしの門出を祝福してくれているのか。
王家からの迎えの馬車が、ソルダル大公グリフ家のお屋敷に到着する。
わたしの、デビュタントの日を迎えた。
今日という日は笑顔で過ごしたい。
だけど、これが壮絶な日々の始まりになると、わたしは薄々気が付きながら、荘厳な純白の馬車へと乗り込んだ。
本日の更新は以上になります。
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