258.冷遇令嬢は興味を惹かれる
離宮にある見晴らしの良いお部屋に、ポトビニスの諸侯、高位文官、将帥、またそのご家族をお招きして、お茶会をひらく。
ゆっくり歓談できるよう、少人数ずつ、朝餐の後、午餐の後、晩餐の前。一日3回。
舞踏会や園遊会など公式に近い形の社交ではなく、完全非公式でお互いに肩の力を抜ける場での交流を、わたしが望んだ。
ヨジェフ陛下はご快諾くださり、お招きする順番や組み合わせは、ご側近の差配にお任せする。
「この離宮に、私的なお茶会でお招きいただくなど……」
と、どの諸侯もご令嬢も、感激の面持ちでお運びくださった。
ほんとうは、わたしの方から諸侯の邸宅に足を運ぼうとしたのだけど、
「それは……、みなを恐縮させ過ぎましょう……」
と、ヨジェフ陛下から困惑気味に止められてしまった。
「……ですが、コルネリア陛下のお人柄、信念、エイナル陛下との絆の深さ。そういったものに、ポトビニスの諸侯が触れられる得がたき機会」
他国の王が、自国の諸侯に近付くことなど、警戒されても当然だというのに、ヨジェフ陛下はすべてをご差配くださった。
そして、すべてのお茶会で、冒頭だけはヨジェフ陛下もお立合いくださる。
――国王も承認した場である。
と、行動で諸侯に示してくださるのだ。
わたしに厚い信頼を寄せてくださっているのだと深く感謝すると同時に、身の引き締まる思いだ。
対ロアン帝国に向けて、大河流域のすべてをまとめようという、わたしの遺志を尊重してくださっているのだ。
ただし、お茶会に冒頭だけ出席するのは、わたしも一緒。
あとはエイナル様にお任せし、ヨジェフ陛下と共に席を立つ。
ルイーセさんに護られながら、ヨジェフ陛下にご案内していただき、地下で繋がる王宮へと渡るのだ。
レンガ造りの地下道を、ちいさなランタンを手にしたヨジェフ陛下がご先導くださる。
「……本来なら、この地下道の存在自体が国家機密なのです」
「ふふっ……。大国よりの使者を、暗殺するための地下道ですのね?」
「はははっ。その用途では、一度も使われたことはないのですよ? ……ふだんはもっぱら、諜報用です」
「使節団が離宮で交わす会話を、盗み聞きされるのですわね?」
「そうです」
ヨジェフ陛下はこともなげに仰った。
「……各部屋の床の下、天井裏、そういった場所につながっています」
「わたしに教えても?」
「ふふっ。わが国の誠意の表れと受け止めていただければ……」
この通路の存在は、王家の方、それも主要な方々しかご存じないそうだ。
つまり、国王自らが聞き耳を立てに、離宮に忍び込むこともあるということだ。
「国を守るためですから……」
淡々と語られたヨジェフ陛下のお背中からは、小国が尊厳を守る覚悟の凄まじさと、誇りが感じられた。
ポトビニス王政の特徴は、諸侯連合的な〈契約王政〉にある。
国王は支配者というよりは、王国の最高外交官という色合いが強く、また、国内の利害調整を担う調停者でもある。
国境付近の諸侯は隣接する大国と内通したり、一時的に臣従することもままある。これをポトビニス王家は反逆として即座に討伐するのではなく、
――領地保全のための緊急避難措置。
として、ある程度黙認し、見て見ぬふりをする、奇妙な慣習法が成立している。
そして、諸侯が他国の理不尽な要求に耐えかねたときには、再びポトビニス王家の下に戻ってくることを拒まない。
この「緩やかさ」こそが、王国が完全に分解しない安全装置であり、諸侯にとって王家は常に「戻れる場所」として機能する。
寛容さを基盤にした王政である反面、王家は諸侯に完全には心を許せない。
国王が自ら間諜のようなマネをするのもそのせいだろう。
「……ポトビニスは、ちいさな都市国家に起源を持ちます。それゆえ王侯貴族以上に、民が……、それも、とりわけ王都の民が『ポトビニスの民』としての強い誇りを抱いているのです」
「王家は、その民の想いを大切に守ってこられたのですわね……」
「ふふっ。そうでなければ、王家ごとクランタスかブラスタに臣従するほうが、よほど楽に生きられるのですが……」
と、ヨジェフ陛下は、実に楽しそうに肩を揺らした。
小国の王家に生まれた悲運を嘆くようなところは微塵も感じられず、やりがいのある天命を楽しまれるかのように、軽やかに揺れていた。
そして、まもなく王宮に到着しようかというところまで歩いたとき、ヨジェフ陛下はなんの変哲もないレンガのひとつに触れた。
ズズッとレンガを引き抜いた穴の奥には、鍵穴があった。
「……す、すごいですわね」
「ああ……。ここまで厳重な仕掛けは、リレダルでもお目にかかったことがない」
ルイーセさんとヒソヒソ話している間に、ヨジェフ陛下は鍵穴に鍵を差し込まれ、カチャリと回す。
すると、レンガの壁が動いて扉が開く。
ヨジェフ陛下のあとに続いて中に入ると、まだほそい道が続いていた。
先に進むと迷路のような道を、ヨジェフ陛下は何の迷いもなく進んでいかれる。何度か扉が現われ、その都度、ヨジェフ陛下は別の鍵で扉を開ける。
道は何度も折れ曲がっていたので、いま自分がどのあたりにいるのか見当もつかない。
「……大丈夫だ。すべて把握している」
ルイーセさんが耳元で囁いてくれたとき、最後の扉が開いた。
いくつかの天窓から陽光の射し込む空間。
この世の知識をすべて収蔵しているのではないかとさえ思える、広大な書庫だった。
「天窓は地上からは決して悟られない場所に設置しています」
と、ヨジェフ陛下がランタンの灯りを消された。
「……仮に悟られ、なかに侵入されたとしても、生きては戻れぬ仕掛けも……」
「ふふっ。ただただ感服するばかりですわ」
「もっとも、テンゲルの誇る剣聖にして、優れた斥候術をお持ちのルイーセ殿であれば脱出も可能でしょうが……」
ヨジェフ陛下の穏やかな微笑みにも、ルイーセさんは顔色ひとつ変えなかった。
「ここに、コルネリア陛下を監禁しようという訳ではないのだな?」
ルイーセさんの言葉に、ドキリとする。
ヨジェフ陛下は爽やかに笑われた。
「まさか。……ここは、歴代ポトビニス王の〈隠れ処〉でもあります。私は隣の部屋で寛いでおります。奥にはトイレとキッチンもございます」
「……す、素敵な隠れ処ですわね」
「はははっ。王たる者、側近にも知られぬ隠れ処をひとつ持っておくと、実に気楽なものです」
いくつも立ち並ぶ、長くて高い書棚の概要を、簡単にご説明いただく。
「……向かって右から順に古く、また、手前が古く、奥が新しい」
「ポトビニス数百年の外交記録……。圧倒されますわ」
「開示は諸侯にも側近にも内密。まあ、そもそも存在自体が内密という訳ですが」
「ええ……、よく理解できました」
「茶会の合間という限られた時間で申し訳ございません……」
「いえ、充分ですわ」
わたしが力強く応えると、ヨジェフ陛下に苦笑いされてしまった。
――さ、賢しらだったかしら……?
と、思いつつ、ヨジェフ陛下がお寛ぎになられるというお部屋にご案内いただく。
「まあ、素敵!」
イーゼルにキャンバスが立てかけてあり、そこには王妃レジュカ陛下と思われる描きかけの肖像画があった。
「はははっ。下手の手習いです。……いつか、クランタスの新王サウリュス陛下に教えを請いたいものですが……」
「ふふっ。いつかきっと、そんな日もやって参りますわ」
クランタスから威迫されてきた長い歴史の中に生きるヨジェフ陛下にとって、ご即位されたサウリュス陛下は心を許すことのできない相手になっている。
ただ、その寂しそうなご表情には、
――いつか対等に、いつか平和に……。
という願いが込められているように、わたしには感じられた。
お部屋にご案内くださったのは、
――罠などない。
と、主にルイーセさんにお見せくださるためだ。
室内をルイーセさんがしっかりと検分し、密かに抜け出せる隠し通路などはないと確認してくださった。
ルイーセさんが不愛想なお顔を、ヨジェフ陛下に向けた。
「一国の王に失礼なことを申すが、鍵をすべて預からせてほしい」
「はははっ、素晴らしい! ポトビニスの王宮騎士にも一度、ご指導賜りたい用心深さです。喜んでお預けいたします」
と、ヨジェフ陛下はいくつもの鍵をすべてルイーセさんにお渡しになる。
それだけではなく、王のローブをお脱ぎになられて、ほかに鍵が残されていないかチェックするようにと、ルイーセさんに促してくださった。
「……さきほど〈ポトビニスの民〉と申しましたが」
と、ルイーセさんに身体をくまなくチェックされながら、ヨジェフ陛下が微笑まれた。
「コルネリア陛下とエイナル陛下が提唱された〈大河の民〉として……、大河の民の誇りを持つ者のひとりとして、私はロアン帝国の野望を喰い止めねばならんと思っているのですよ……」
「……お気持ちは重々、伝わりました」
「ポトビニス外交の裏面史には、コルネリア陛下の胸を悪くするような内容も含まれておりましょうが……。エイナル陛下との離婚を求めるような『胸の悪さ』には、さすがに耐えかねるものがありました」
「……痛み入ります」
「しかも、何事もなかったかのように要求を引っ込め、引き換えに帝妹を送り込んでくる。さすがに、はらわたが煮えくりかえりましたな」
そして、ルイーセさんのチェックが終わり、わたしたちはお部屋を出て扉を閉めた。
「……隠れ処で妻の肖像画を描く。なかなか粋なところのある国王だな」
「ええ、ほんとうに」
「……下手だが」
ルイーセさんの不愛想な呟きには苦笑いを返し、遥か長くて背の高い書棚を眺める。
わたしにとっては宝の山だ。
ヨジェフ陛下からお渡しいただいた、ぶ厚い〈案内書〉と照らし合わせながら、書棚を歩く。
膨大な外交記録。
なにがどこに収納されているのか、国王が過去の例を調べたいときのために編纂されたのが〈案内書〉だそうだ。
『ブラスタとクランタス、両国から同時に攻め込まれたとき』
といったケース別の索引が、分かりやすくまとめられている。
ふと、わたしの足が止まる。
――わたしが生まれた年の、バーテルランドへの諜報記録……。
それは、お母様が別邸に軟禁された年だ。
ぶるっとひとつ身震いし、そっと書棚に手を伸ばしてから、その手を止めた。
――前後の脈絡なく、その年だけを最初に目にしたら……、ポトビニス外交の本質を見誤る可能性がある……。
逸る心を押さえ付け、足を一歩前に踏み出した。
ヨジェフ陛下は「胸の悪くなるような」と、自国外交の裏面史を表現された。
ただ、そこに至るには必ず理由があるはずで、長い文脈を無視して〈つまみ食い〉したら、胸の悪さだけが残る可能性がある。
わたしがあの別邸に軟禁されていた19年間。外からどう見えていたのか。どう見られていたのか。
とても興味を惹かれる。
だけど、ヨジェフ陛下がこの国家の最高機密をわたしに開示してくださり、なおかつ、すべてを自由に閲覧させてくださるのは、わたしの個人的興味を満たすためではない。
呼吸を整え、まずは全体像の把握に努めた。
そして、次のお茶会までに離宮に戻る。
テンゲル本国では帝妹ソレーヌとマーティン、さらにはシャルルを〈放し飼い〉に泳がせていて、わたしのポトビニス滞在期間は限られている。
慌ただしく、忙しなく、だけど充実した日々が始まった。
滞在3日目は、午餐のあとのお茶会が終わった後、晩餐前のお茶会までのわずかな時間を利用して、レジュカ陛下のご実家であるガラス工房を訪ねた。
「……あら、残念ですわね」
硬質なお顔立ちのレジュカ陛下とは対照的な、好々爺然としたお父君から、ポトビニスのガラス産業の苦境を聞かされたのだ。
そして、
――ああ……、レジュカ陛下はお母君に似られたのね!
と、ひと目で分かる、一見すると人当たりのキツそうな、だけど口を開くと朴訥ながらも情の深さが窺われるお母君から、まもなくこのガラス工房も閉めるのだと教えていただく。
「原料の砂が採れなくなっちまって。アタシの若いころの10分の1も採れないってんじゃ、お手上げですわ」
「そうでしたか……」
ススの付いた頬を、グイッと拭いながら、お母君は寂しげに笑った。
出来た製品を冷ます、商品棚にならぶガラス製品はどれも見事な出来栄えだ。
この産業を廃れさせるのは、他国のことながらどうにも惜しい。
「……その砂、見せてもらってもいいですか?」
わたしの申し出に、ご両親は戸惑ったように顔を見合せた。
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