256.冷遇令嬢は秘密に目を凝らす
ポトビニスの王都に入り、まず最初に驚いたのは、王宮ではなく迎賓館として使われる離宮に案内されたことだ。
馬車から前庭に降り立つと、離宮と王宮、その両方が視界に入るように設計されていることがひと目で分かった。
離宮は明らかに王宮より立派。
迎えた賓客に、わざと比較させようという意図が明確な立地と設計だった。
離宮はいわゆる〈レンガ・ゴシック〉の巨大な赤レンガの城塞建築だけど、武骨なだけではなく、窓枠やアーチ部分には精緻なガラス細工の装飾が施され、陽光を反射して宝石のように煌めいている。
そして、エントランスでは、ヨジェフ陛下が、ポトビニスの諸侯をはじめ文武百官を従えて、わたしとエイナル様の到着をお待ちくださっていた。
――歓迎の意が、外交儀礼の常識の範囲を遥かに超えているわね……。
通常の外交儀礼であれば、国王は自分の王宮で賓客を出迎える。
離宮まで国王の方が出向くとは、この上ない謙譲の意の表明であり、ほかに例を聞いた覚えがない。
――わたしのための特別な礼遇という訳ではなく、ブラスタやクランタスから賓客を迎えるとき、小国ポトビニスは常にこのように遇してきたのね……。
儀仗兵が捧げてくれる栄誉礼も、極めて芸術性が高くて優雅。
それは、言い替えれば自国の武威を一切示さない、曲芸のような儀仗だとも言える。
優雅ではあるのだけど、捧げる相手に一切の敵意を汲みとらせない工夫の末に生まれたものだと見てとれた。
淡いコルク色の髪を陽光に輝かせ、ヨジェフ陛下は、圭角のない温和な微笑みを浮かべられた。
「ようこそポトビニスにお運びくださいました、コルネリア陛下」
「すばらしい歓待に感銘を受けましたわ」
「お気に召していただけたのでしたら、われら一堂、なによりの喜びにございます」
「……これまで、ブラスタもクランタスも、ポトビニスに対して相当に尊大にふる舞ってきたのですわね」
「ふふっ、コルネリア陛下に隠し事はできませんな」
ヨジェフ陛下は薄いブラウンの眉をピクリと上げ、伏し目がちの紺藍の瞳には確かな自信を浮かべられた。
王の方が離宮に足を運ぶ儀礼。
大国からの使者や賓客に謙って見せているようで、その実は異なる。
「……王宮で我が物顔にふる舞われるよりは、よほど国の体面と王の権威を傷付けられずに済むでしょうから……。ヨジェフ陛下をはじめ、ポトビニス歴代の国王陛下のご苦労が忍ばれますわ」
「ふふっ。……この離宮は創建以来はじめて、心の底から尊敬できる賓客をお迎えすることができました」
「あら、お上手ですわね」
わたしが微笑むと、ヨジェフ陛下はお隣に並ぶ、王妃陛下をご紹介くださった。
蝋細工のような硬質なお顔立ち。
それを縁取るのは、月光を吸い込んだ煙のような、アッシュグレーの髪。上質な磁器のような肌は、不用意に指を滑らせれば、薄い皮膚など容易く切り裂いてしまいそうな鋭利な静謐さを湛えて見えた。
だけど、わたしを見詰める、古びた琥珀を嵌め込んだような昏い瞳からは、意志の強さと情の深さが感じられる。
背丈はそれほどでもないのだけど、肩幅が広く、体付きがしっかりされている。
「……王妃のレジュカに、ございます」
緊張されているのか、声が震えていた。
わたしとエイナル様に微笑を贈ろうと、努力してくださっているのも分かる。
ただ、それは硬質な顔立ちとも相俟って、とてもぎこちない。
「どうぞ、お楽に。テンゲル女王コルネリアです。遅ればせながら、このたびは立妃、おめでとうございました」
レジュカ陛下は最近になって正式に王妃の地位を得られたばかり。
ヨジェフ陛下が王太子であられた頃から、ながく愛妾として遇されていたお方だ。
かつて、カルマジンで開いたエイナル様の叙任式では、ヨジェフ陛下の御母君、王太后陛下が王妃役を代行されていた。
なので、わたしもエイナル様も、レジュカ陛下とお会いするのは初めて。
こういう場には、まだ慣れておられないのかもしれない。
緊張をほぐそうと、やわらかく微笑むことを心がけた。
そして、ヨジェフ陛下から、もうひとり、ながく伸ばした黒髪が印象的な、ちいさなお子様をご紹介いただいて、心の中でとても驚いた。
「わが王子、ぺテルにございます」
母親ゆずりの透明感あふれる肌に、ご両親の瞳の色を混ぜ合わせたような青緑色の大きな瞳は、すこし吊り目だけどナチュラルに潤んでいる。
ちいさな子どもとはいえ、肩幅は狭く、だけど頭も小さくて、わたしを見上げる眼差しからは生まれ持っての気品を感じた。
――ひ、姫かと思ってた……。
たしかに、ドレス姿ではないし、チラッと窺い見ていただけの、わたしの勘違いなのだけど、とてもキレイな少年だった。
ぺテル王子が上手にお辞儀してくれると、ヨジェフ陛下が満足気に微笑んだ。
「コルネリア陛下は、アティラ伯爵の妹君、イローナ様をお連れとか。実はペテルも今年8歳でイローナ様とはおない年。ぜひ、ご滞在中の遊び相手にと……」
わたしのポトビニス行きにあたり、帝妹ソレーヌに滞在場所を提供してくれているアティラ伯爵から、
――ぜひ、異母妹イローナの見聞を広めるため、随行をお許しくださいませ。
と、申し出があった。
要するに、わたしの不在中も、帝妹やマーティンに寝返ることはないという、人質をさし出して来たのだ。
わたしの後ろで、ナタリアの側に立つイローナのヒソヒソ声がした。
「うわっ……、本物の王子様だ。キレイな顔してますねぇ、ナタリア様」
潜めたつもりのイローナの声は、その場にいる全員に聞こえて、なんとも場が和む。
父の前王弟が使用人との間に儲けたイローナは、つい最近まで市井で育った。
伯爵令嬢らしからぬ、快活でサッパリとした娘で、好きなものは好きとハッキリ言ってしまう気性だ。
「ふふっ……、イローナ? みな様に聞こえてるわよ?」
「え? うそ。ごめんなさい」
「ペテル王子。イローナはこんな娘だけど、お友だちになってくださるかしら?」
わたしが、すこし腰をかがめて顔をのぞきこむと、少女のような黒髪の少年王子は、コクリと頷いた。
顔を近付けてみたら、
――たしかに……、男の子……、かしら?
くらいにまでは思えた。
黒い髪は陽の光のあたるところだけがコルク色に輝き、それがかえって神秘的な雰囲気を増している。
ヨジェフ陛下が苦笑いされた。
「……申し訳ありません。まだ、王子の身分に就けて日が浅く、礼儀が身に付いているとは言い難いのですが……」
「それは、イローナもおなじですわ。……ヨジェフ陛下のお心遣いに、深く感謝申し上げます」
イローナがアティラ伯爵からわたしにさし出された人質なら、ペテル王子はヨジェフ陛下からさし出された人質だ。
わたしとエイナル様の滞在中、身の安全は保障いたしますという誓約のようなもの。
イローナは、わたしからみれば〈はとこの娘〉、堅苦しくいえば再従姪にあたる。
つまり、テンゲル王家の係累であるし、王子を人質にさし出すのに〈イローナの遊び相手〉とは、どの方向からも角が立ちにくい大義名分だとも言える。
人質というのは、わたしの性には合わないのだけど、この場合は断る方が角が立つ。
ただ、謁見の間に向かう回廊では、早速、イローナがペテル王子の手を握っていて、みなで微笑ましく眺めた。
ポトビニスの両陛下、そしてエイナル様と玉座を並べ、謁見式に臨む。
頭上で燦然と輝くシャンデリアは、カット面が虹色に煌めく宝飾ガラス製。
そのダイヤモンドにも劣らぬ輝きは、ポトビニスの優れたガラス製造技術を、雄弁に物語っていた。
ポトビニスの諸侯、文武百官がひとりずつ、わたしとエイナル様の前に進み、拝礼を捧げ、祝賀を述べてくれる。
彼らとの交流も、わたしがポトビニスに来た大切な目的のひとつだ。
わたしとエイナル様とで、丁寧に話を聞いて、今後の交誼を願う声をかけた。
そして、離宮のもっとも奥の一室で、ヨジェフ陛下との会談に臨んだ。
王妃レジュカ陛下とエイナル様と、近侍も連れずに、4人だけでテーブルを囲む。
ヨジェフ陛下が温和に微笑まれた。
「お約束の通り、ポトビニスのすべての外交記録を自由にご覧いただきたく存じます。……ですが、その前に王都の街をあるき、わが国の気風を感じていただきたく」
「かしこまりました」
「ふふっ。……コルネリア陛下は既にお気付きであられましょうが、小国が生き残る外交とは、決してキレイな話だけではありません」
「承知しております」
「……なかには、薄汚れているとしか言いようのない策謀の記録も含まれます」
それはそうだろうと思うのと同時に、そこまで包み隠さず、わたしに閲覧を許すおつもりなのかと、かるい驚きがあった。
「外交記録の開示は、私の一存。このことを知るのは、私と王妃レジュカ。そのほかには、父前王と母王太后のみ。……諸侯はおろか、大河委員会大使に出しております叔父にも知らせてはおりません」
「……かしこまりました。ご厚意に感謝いたします」
「コルネリア陛下には、ポトビニスのもっとも汚い部分も知っていただくことになります。……その前に、そうまでしてわれらポトビニス王家が守るものがなんなのか。先にご確認いただきたいのです」
と、ヨジェフ陛下は、レジュカ陛下を王都市街の案内役につけると仰った。
貴重な記録を閲覧させていただく訳であるし、わたしに異存はない。
かつて、わたしが留め置いたとき、ヨジェフ陛下の自由にテンゲル王都を見ていただいた前例に応える意味もあるのだろう。
早速、ウキウキしながら街に出る。
堅苦しい意味と意図もあるけれど、なによりはじめて訪れる街への〈お出かけ〉だ。
大ファンだというナタリアとペテル王子に手をつないでもらい、上機嫌にキョロキョロと街を見回すイローナとおなじくらい、わたしも目を輝かせていた。
行き交う人たちは、みな温和な雰囲気。
家々は木の骨組みの隙間をレンガで埋めたハーフティンバー様式。木の焦げ茶色とレンガの赤色のコントラストが美しい。
一軒一軒は細長くて、隣の家と壁を共有するように密集して建つ長屋スタイルの街並みが続く。
そして、道はほそくて、迷路のように入り組んでいた。敵に攻め込まれた際の防衛を重視した街づくりだ。
「あっ! ……あれは、なに?」
と、イローナが街路の角の人だかりを指でさすと、ペテル王子が鈴の音が鳴ったような声で応えた。
「……影絵芝居です」
「まあ、こんなにも生活に溶けこんでいますのね!?」
今度はわたしが声をあげると、エイナル様がやさしげに微笑んでくださった。
「レジュカ陛下、近くで見せていただいても?」
「……え、ええ。もちろん……ですわ」
ぎこちなく笑われたレジュカ陛下のご案内で、人だかりに混ぜてもらう。
街の人たちは快く、わたしたちを受け入れてくれ、見やすい場所を譲ってくれた。
「あ! ナタリア様だ!」
と、イローナが声をあげた演目は……、
『コルネリア陛下、闇組織を討つ』
これは気恥ずかしい。
ナタリアもなんだか眉を寄せてるし、エイナル様も苦笑い。護衛のルイーセさんだけいつも通り。
深夜の森の決闘――、と題されたシーンでは、燃え上がる炎を背景に、にこやかに微笑むわたし、バッタバッタと悪者を倒していく剣聖ルイーセに、王配エイナル。
なぜか、わたしの影絵の隣には、あのときはカルマジンにいたナタリアがすまし顔で立っているし、大活躍だったメッテさんもクラウスも出てこないし、脚色がすごい。
観客からは、やんやの喝采。
――事実……、史実とは違いますわよ?
というのは、野暮というものだろう。
苦笑いしながら、影絵よりも、それを観るポトビニスの民の様子を楽しんだ。
わたしの隣から、そっとレジュカ陛下が硬い表情のままお顔を寄せられた。
「……こ、この影絵芝居にこそ……、わがポトビニスの〈強さ〉が秘められているのです……」
「え?」
と、視線を影絵に戻す。
レジュカ陛下が、震える声で続けた。
「こ、答えは……、民がいなくなってから……、まずは、とくとお楽しみくださいますよう……」
「はい……」
ポトビニスの秘密?
強さ?
ポトビニスに秘密の強さが?
と、疑問ばかり渦巻くけど、まずはレジュカ陛下の仰る通り、影絵芝居に集中する。
――カルマジンの〈聖域〉に〈柳のじいさん〉を捕まえに行ったとき、わたしが着てた巫女服は、あんなに色っぽいデザインではなかったんだけど……。
と、頬を赤く染めつつ、ジッと眺めた。
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