253.冷遇令嬢は片膝を突かれる
ドーム型の天井と、金や銀、色鮮やかな釉薬タイルを特徴とする、テンゲル様式の大広間に、国王専用の入口である「玉座口」から入る。
「コルネリア陛下とエイナル陛下のお成りにございます」
カリスの涼やかな声が響き渡り、ご列席のみな様がその場で一斉に拝礼を捧げてくださった。
カルマジン駐在の各国の大河委員会大使のみな様も、わたしの舞踏会のために駆け付けてくださっている。
微笑みでみなに応えながら、いちばん下座を見渡すと、麗容極まるカーテシーを捧げてくださるメッテさんのお隣で、帝妹ソレーヌが儚げに膝を折っていた。
カリスからの連絡を受けたメッテさんは、面白がってばあやと前公爵夫人が立ててくれた策を快く引き受けてくださった。
つまり、帝妹ソレーヌが入場した後に、メッテさんが大広間に入られたのだ。
類稀なる美貌を誇り、ざっくばらんな無頼の親分でもあるメッテさんは、テンゲルでは大の人気者だ。
帝妹ソレーヌの登場を一瞬で霞ませた。
そして、人だかりができるメッテさんの側へと、
――あれなるは、ブラスタ7王家のご当主で王女殿下、大河委員会大使であられるマウグレーテ殿下にございます。ぜひ、ご紹介させくださいませ……。
と、帝妹ソレーヌを、ケメーニ侯爵が案内してくれていたのだ。
「みな様、本日はありがとうございます。どうぞ、お楽に」
わたしが微笑むと、みなが拝礼の姿勢を解く。段取りどおり、まずはペーチ男爵がわたしの側へと駆け寄って片膝を突いた。
その後ろに、わたしに挨拶しようという諸侯たちの列ができていく。
「……帝妹めの美貌。あれは、かなりヤバいですな」
「ふふっ。ヤバいですか?」
「あ、これは、女王陛下に対して失礼な言葉遣いを……」
熱血漢のペーチ男爵が囁く、率直で裏表のない言い回しに、頬をゆるめる。
「……魔性の類と申しますか、恐るべき蠱惑の力を宿していると申しますか……」
「ペーチ男爵が仰るのなら、よほどですわね」
「弱々しくか細く見えますのに……、それゆえでしょうか、気が付けば、つい視線が追っておりました」
「……心いたしますわ」
「あ、いや。……我ら枢密院の者たちが警戒すべきことなれば」
ウルスラ風に言えば「ドーンッ!」でも「ババーンッ!」でもない帝妹ソレーヌの美貌だけど、人の心にスルリと入り込むところがあるのだろう。
「ふふっ。……当のわたしが籠絡されてしまわないようにしないと」
「ええっ!?」
と、エイナル様がふり向かれた。
「……冗談ですわよ?」
「そ、そうだよね……、はははっ」
「もう、エイナル様ったら……。ペーチ男爵が呆れておりますわよ?」
「あ、いやいや。両陛下の仲が盤石であることはテンゲルの揺るぎなき礎石。まこと、めでたきことにて……」
などと、挨拶に訪れてくれる諸侯たちと、かるい歓談を重ねていく。
メッテさんは帝妹から離れ、別の輪ができている。よく見ればフレイザー大使のハリス侯爵と、なにやら賑やかにご歓談中。
帝妹にはフェルド伯爵が張り付いていて、いつもの鷹揚なふる舞いで、退屈させないよう、なにかれとなく話しかけていた。
入口のあたりでは、帝妹から案内役を望まれたのだろう、アティラ伯爵が緊張のほどけたような表情でグラスを傾けている。
報告の通り、マーティンとシャルルの姿は見えない。
帝妹のテンゲル社交界デビューに、マーティンの人望のなさは足手まといになると判断されたのか。
かすかに憐憫の情が湧く。
やがて、楽団が〈招請曲〉を奏で始める。
この〈招請曲〉が鳴っている間に、次のダンスパートナーに申し込むのが、前公爵夫人から指南してもらったテンゲル流。
広い大広間のそこかしこで、諸侯やご令息がご令嬢に片膝を突いて手をさし出し、自分を次のダンスのお相手にと請うている。
見れば、ナタリアにもウルスラにも、いくつかの手がさし出されていて、ナタリアは悠然と品定めし、ウルスラはオドオドと令息方を見比べる。
――早く決めてあげないと、断られた令息が次のご令嬢に申し込めなくなるわよ?
と、ウルスラを微笑ましく眺めていると、わたしの前でエイナル様が片膝を突いてくださった。
「コルネリア陛下。最初のお相手に選んでいただく栄誉を、ボクにお与えくださいませんか?」
「ええ、もちろん喜んで。エイナル陛下」
と、エイナル様の手をとった。
そして、ダンスフロアの中央へとゆっくりと歩み出ていく。
ナタリアは、カルマジンの夏祭りでの非礼を許す意味合いがあったのか、バーテルランドのヘラルト殿下の手をとっていた。
ウルスラは、顔を真っ赤にしてクラウスの手をとった。
「あっ……、エイナル様」
「ん? なに?」
「……ユッテ殿下が、イグナス陛下と」
「ふふっ、ほんとだね」
「順調に距離が縮まっているのですね」
「だと、いいね」
と、エイナル様と微笑み合う。
メッテさんは、なぜかカリスの前で片膝を突いて、男役を踊られるつもりらしい。
ご令嬢方が種類の違う黄色い声をあげているけど、カリスにも誰かいい人を見付けてあげたいので、ほんとは遠慮してほしい。
ちなみに、髭の騎士ゼンテは警護についているので舞踏会には参加していない。
カリスも面白がってメッテさんの手をとってる場合じゃないわよ?
ちょっと見惚れちゃうくらい絵にはなってるけど……。
そして、帝妹ソレーヌは実直なケメーニ侯爵の、実直な息子、ハンリの手をとり、ダンスフロアに並んだ。
ハンリは侯爵令息であるし、帝妹のダンスパートナーを務めるのに申し分ない。
なにより、実直な性格だ。
令息団のリーダーとして成長著しく、立派な眉が特徴的な端正な顔立ちには自信と気品とを漂わせ、美貌の帝妹と並んでも遜色がない。
――誠意をもったもてなし。
としては、充分だろう。
ただ、エイナル様は、やや曇った声を出された。
「……あのハンリが、すこし表情を緩ませているね」
「魔性の類……、ということでしょうか」
「大丈夫だと思うけどね。ハンリだし」
そして、ダンスフロアが落ち着き、〈招請曲〉が鳴りやんだ。
エイナル様がわたしの腰に手を回してくださり、わたしはエイナル様の肩にそっと手を添える。
「うん。立ち方がキレイになったね」
「ほんとですか!?」
「うん、ほんとう。前が悪かった訳じゃないけど、より優雅に、より可憐に、より美しくなったよ」
「……う、嬉しいです……。エイナル様のご指導のお陰ですわ」
これからみんなの前でステップをご披露するというのに、こんな直前に照れさせないでほしいと思いつつ、エイナル様のエメラルドグリーンの瞳を見詰めた。
やがて、ダンスを踊る〈正舞曲〉が優雅に鳴り響き始める。
エイナル様とのダンス。
いまでも、リサ様のサロンで練習した日々や、リレダル王宮で開いていただいたわたしのデビュタントを思い起こしてしまう。
まばゆいばかりの光と優雅な演奏に包まれ、ただ、エイナル様と呼吸を合わせることだけを心がけた。
「わたしは、エイナル様を信じておりますわ」
「……嬉しいな。とても」
微笑みを交わし、エイナル様のリードに合わせて、軽やかにステップを踏む。
帝妹を王都の港に迎えた後のことだ。
「……どうでしたか? ……グラリときましたか?」
と、帝妹ソレーヌに初めて対面した感想を聞いたのだけど、エイナル様はご自分の足元に目をやられた。
「グラリ? ん? ……揺れてた?」
「ふふっ。いいえ! わたしは、ちっとも揺れませんでしたわ!」
と、エイナル様の逞しい腕にギュウッと抱き付いた。
「いや、揺れてたよ?」
「…………え?」
エイナル様の真剣な眼差しにたじろぐ。
わたしが、揺れてた? マーティンに? そんなことは毫もないのだけど、なにか誤解させてしまうようなふる舞いを……?
と、困惑するわたしに、エイナル様の厳しめなお声が降ってくる。
「もうちょっと、朝の鍛練を頑張らないといけないね。ま、焦らずにだけど」
「ふ……、ふふっ」
「え、なに?」
「なんでもありませんわ! 頑張ります。励みます。そして、エイナル様と馬を並べて、大平原を駆けてみたいですわ!」
あれから、そう日にちは経っていないのだけど、エイナル様に立ち姿を褒めていただいたのは朝の鍛錬の成果だろうか。
わたしをすこしずつエイナル様の色に塗り変えていただいているようで、なんとも嬉しい。
そして、楽団の旋律が盛り上がり、ふわりとターンしたわたしが、エイナル様の胸に収められた。
「……どうでしたか?」
「うん。身体の芯がしっかりして、とても踊りやすかったよ」
「ふふっ。……嬉しいですわ」
互いに手をとりあい、お辞儀をして、ダンスの時間を終える。
大広間が盛大な拍手に包まれ、いまステップを踏んだみな様全員で、四方にお辞儀をした。
そして、ふたたび歓談に戻ろうとしたとき、大広間の入口あたりで、かすかなざわめきが起きた。
「おうおう。これはこれは、盛り上がっておるではないか!」
と、馴々しく聞き心地の悪い声が響く。
人々が、声の主を避けるように割れていき、その先にはマーティンがまっすぐにわたしの方へとのしのしと尊大に歩いてくるのが見えた。
「コルネリア陛下。お誕生日のお祝いに、儂とも一曲踊っていただけませぬかな?」
呆気にとられる周囲の視線など気にする様子もなく、マーティンがわたしの前で片膝を突いて手をさし出した。
反対の手では、似合わない口ひげを撫で、なぜか頬を赤くしている。
そして、その後ろでは、侍従シャルルが人懐っこそうな笑みを浮かべてニコニコと立っていた。
――しまった……。これが、狙いだったのか……。
とは、誰も表情には出さないけれど、カリスもエイナル様も、ナタリアも、フェルド伯爵も、誰もが鋭い視線でマーティンを見詰め、この場をどう収めたものかと考えを巡らせている様子が見てとれた。
わたしがマーティンの手をとれば、遠回りではあるものの、マーティンが王子位にあると認めたのも同然の扱いになる。
かといって、断れば、ロアンが認めるマーティンの王子位を否定し、
――誠意をもったもてなし。
という、和平合意を破ったと見做される恐れが出てくる。
招請曲が流れていないなど、断る理由はいくらでも出てくるものの、恐らくシャルルの狙いは、わたしに断らせることだ。
正面から合意違反を咎められ、マーティンが王子位にあることの確認を正式に求められたら、その返答を検討するだけでも枢密院とテンゲル諸侯は紛糾する。
「そう照れずに、遠慮なく儂の手をとってくれてよいのだぞ?」
似合わないはにかみを浮かべたマーティンが、照れくさそうに手を左右に振った。
徐々に周囲が、マーティンに対して明確な憎悪を向け始める。
――嫌われ者であることを、こんな形で活かしてくるとは……。
と、内心、唇を噛んだ。
わたしがマーティンの手を取れば、周囲の憎悪はわたしにも覆いかぶさるだろう。
だいたい、せっかくエイナル様とステップを踏んだ直後に、マーティンの手がわたしの腰に回ることなど、とてもイヤだ。
ここを、どう切り抜けたものかと、永遠にも思える一瞬が過ぎる。
静まり返る大広間。
「まあ……」
という声が、入口の方から聞こえた。
「これは、これは……」
「おお……、ご栄達を……」
といった声が広がり、そちらに目を向けると、人々の頭の上から、芥子色の髪が見えた。
「サウリュス陛下……」
「お久しぶりにございます。コルネリア陛下と出会った〈生誕祭〉にどうしても駆け付けたく、まかりこしました」
「ふふっ。相変わらず気まぐれですのね」
「はははっ。諸事、政務を片付けておったのですが、なかなか終わらず……、先触れを出す暇もなく、高速船に飛び乗った次第で」
と、サウリュス陛下が、腰の位置の高い、ほそくて長い脚を折り、片膝を突かれた。
「駆け付けたばかりなれど、私と一曲、踊ってくださいませんか?」
わたしの前に、マーティンとサウリュス陛下、ふたつの手がさし出された。
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